妖怪たちの永久欠番

忘れられた妖怪たちのすがたは、文献に散見される。すがた、そうではなく、もはや残滓であった。

こんな、変わったできごとがあった。
こちらに、あの人に起きたことと、おなじことが起きた。

平安時代の日記帳にそんな文字だけが残されている。きっと、当時は、名前があって、すがたも、あったものだろう。

ただ、失われた。
時代とともに行方知れずとなった。

それらが闇に消えたか、好き勝手に暮らしているか、はたまた錯覚か、当時の気候など地理的な現象か。
それを知るすべすらもう無く、何千年もの永久欠番ともなると、誰にもわからない。もはや現代の人間には知る由もないセカイだ。

ただ、妖怪たちだけは、ほんものの怪異だけは、友人がすがたを消したことを、忘れられたことを、無念に思ったり悔しがったりしている、かも、知れない。

人間たちに知る由はない。
ただ、友人をうしなう悲しみ、つらさ、むなしさは、知っているから、いつか次元の壁すら超えて人間たちと妖怪たちがいっしょに暮らす日がくれば、そうした理由で友達になれるかもしれない。

失うばかりではないのだった。
新たに得る、その可能性はずっと未来にあるから。

とある、研究者は、考えるのをやめて、ああ、自分も1000年くらい生きられたらいいのに。そうしたら未来の可能性を実際の現実として立ち会いできる。

人魚の肉がせめて、なんかこう、キャビアぐらいの価格で売っていたら、な、など、彼は夢想する。ああでもキャビアよりもマズイなんてのはヤメてくれ、たのむ。


END.

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