禍辻斬りの春川

切り捨て御免ーー!!

さる武士が気合一閃、たった一合で女を斬り伏せた。女は肉切り包丁を手に辻道を夜な夜な出歩く、ちかごろ、とみに噂の怪人であった。包丁が折れて刃の先がストンと、落ちる音がした。

けれど女は立っている。包丁もろとも胸を袈裟斬りに刻まれた筈が。

武士は抜身の刀を手に異状を背中のみで察知する。女が、亡き骸と相成って崩れる音が聞こえて来ないのである。怪人と噂される女はおんなのかたちだけかもしれぬ、武士は返す刃で次は喉を両断せしめんとした。明るい満月の夜に銀を帯びた白光が線を描いた。怪人の首が、折れ曲がった。

斬られず、折れ曲がった。

「!」

これなるはヒトでなし。これなるは怪異! 即座に武士は腰に差した二本目の刀に手をやった。一本目の愛刀は惜しくはあるが、最も惜しんではならないものは命である。妖刀・ムラマサを抜きはなつ武士に、首を後ろ側にねじったおんなのナリをしている怪異が、なにやら薄い口唇を震わせて告げた。

「わらわの肉を喰ろうたものがおるぞ。貴様が斬るのは、ソイツの頸じゃ……」

ムラマサによる、無双一閃。おんなは、反対側の首を叩かれて頸をべらべらの板切れのように、細くした。けれどまだ立つ。立っている。ムラマサを受けてもなお。

おんなの怪異は、真っ青なこの世ならざる眼球をガッと見開いたままでまた告げる。

「人魚の肉を喰ろうた者がいるぞ。頸を斬って殺せ。頸を斬って殺せ!!!!」

ばしゃん。

倒れる音はしないが、水気が爆ぜた。ムラマサはとたんに、虚空を斬ってからぶりする。武士の愛刀ががらんがらんと闇色の路地裏に落ちて僅かに螺旋を巻いた。女は消えている。水浸しになった土が、月に照らされて光る。武士はしかめ面になって、ムラマサを不詳不詳と仕方がなく鞘に戻した。

月を宿した水溜まりに愛刀は浸る。刃文のさざ波が見て取れるほど、月明かりは眩い。

武士は、やはり詮無きことと苦い面差し。

ややして、消えた怪異なるおんなに、もはや立ち去ったであろう海のおんなに向けて返答した。

それは怪異斬りの武士としてではなく。ただ、単に、一介の浪人、御堂春川(みどうはるかわ)としての言。

「妖怪からの依頼にゃ懲り懲りしてんだが? 全くよォ〜、何処のすっとこどいから儂の噺を又聞きしてきた? 妖怪の揉め事相談役じゃねえんだわ!」

御堂春川は、妖怪のあいだではとみに著名な、人間世界の揉め事処理人である。怪異斬りができるから、そのくせ人間の身であるから、妖怪たちに、勝手にそう呼ばれているだけではある。

満月は潤沢に十全な水を蓄えた器のように、江戸の路を隅まで照らしていた。溜息ひとつ漏らし、御堂春川はニンギョの残した水溜まりから愛刀を拾い上げた。

チン、音をさせて、納刀した。


END.

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