もう一休み 大島泰郎先生と小尾信彌先生の衝撃

人はなぜ生きて死ぬのか、という話を書き始めて、次の記事へ進むはずのところですが、前話から2か月近くも経って、なかなか手つかずになっています。
なかなか先に進められないのは、このあたりから、私が考えてきたことの核心部分に入って行くということがあり、なおかつ、その核心部分がつい最近になって、ある意味で揺らいできているということがあるという事情が、背景にあります。

もう一休みさせていただこうと思います。
今回の話は、私のもろもろの発想の根底にあるベースを与えてくださった先生方の思い出です。

大学時代の、たぶん2年生くらいの時だったと思います。ということはもう45年ほど前のことですが、その後の私の考え方に決定的な衝撃を与えた講義を受けました。
私が通っていた大学では、当時、一つのテーマに関して、4,5人の先生がそれぞれの専門分野から話をなさるという形式の講義がありました。
そのとき私が受けた講義のテーマは「進化」でした。
進化ということについて、そのころの私がイメージできたのは、原始的な生物からだんだんと高等な生物へ変容していく過程の、とりとめのない形態変化、複雑な系統図、なじみにくい無数の生物の名前、そして毛むくじゃらのダーウィンの顔、そのようなややうっとうしいものばかりで、それほど意欲の湧くテーマとは感じていませんでした。
しかし、講義を聞くにつれて、進化に対するイメージは劇的に一変しました。

教室はやや薄暗い部屋でした。右側から弱い外光が差していた記憶があります。学生は30人とか40人くらいだったかな。
大島泰郎先生は、講義の一人目の先生だったか二人目だったか。当時、三菱化成生命科学研究所というところの研究員というご身分でした。
比較的小柄で、顔というか髪型というか四角い印象のおじさんでした。第一声から、独特のガラガラ声でお話をなさったのがおぼろげな印象に残っています。
「生物を専門にしているというと、近所の子どもたちから、この虫は何て言うんだとか聞かれるけど、あまり生き物の名前は詳しくないんです。そうは言っても、少しは知っています」
そうおっしゃって、黒板の左半分に大きく「ヒ」と書きました。先生は一文字書くのに黒板の半分を使います。そして右へ一歩移動して、黒板の右半分に「ト」と書きました。
こうして教室は一気になごんだ雰囲気に包まれました。
「ヒト」から始めて、どんなお話をなさったかは記憶していませんが、先生のご専門は「化学進化」という分野でした。「化学進化」という言葉もこの時初めて知りました。
簡単に言うと、生命が誕生する前の段階で、生命の材料になる物質、特に有機物がどのように生まれてきたのか、そしてそれがどのように生命の誕生に結びついたか、ということを探る学問です。
お話の内容は、生命が誕生する前の地球上にどんな組成の大気があったと想定されるか。そこに雷とか紫外線などの強いエネルギーが作用するとどんな物質が生まれるか。などといった、文科系の人間にはやや七面倒臭い科学実験についてでした。
ですが、お話を聞いているうちに、にわかにその話の意味合いの重大さに衝撃を受けました。

それまで私は、生命あるいは生物というものは、いわゆる普通の物質とは別格の、別領域の存在だと、漠然と思っていました。
しかし、化学進化の発想は、物質から生命へ向かって、切れ目なしに連続してつながっていく流れを解明することです。
物質と生命は地続きです。

そんなことは少し考えればわかりそうなことですが、当時の私にとっては衝撃でした。
でもこれはまだ第一の衝撃でした。

この連続講義は、週に2回ずつ行われました。ですから、大島先生の講義はほんの2週間か3週間で終わりでした。
最後の日、講義が終わるというとき、先生は黒板の左半分に書き始めました。「社」と書きました。右へ一歩移動して、右半分に「会」と書きました。
先生がお話になったような「進化」の流れの先にあるもの、「それはこれです」といった趣旨のことを述べられて書いた言葉が「社会」でした。
強烈な衝撃でした。
この意味するところは、物質から生命が地続きだというだけでなく、さらに人間の社会にまで、すなわち人間の精神や文化といった領域までが地続きにつながっているということだったのです。
文化・社会といったものは、物質や生命などとははるかに別格なものだと思っていました。というより、そもそも並べて考える対象であるとさえ思っていませんでした。

第一の衝撃、物質から生命へのつながりは、「言われてみれば当然だ」と思えるようなものでした。しかし、第二の衝撃、社会や文化にまで地続きでつながる進化、そんなものはまるで思いもよらないものでした。
この二段階の衝撃が、当時の私にもたらしたものは、「物質、生命、文化・社会を一元的に統べる原理」を探求せよ、という途方もない課題でした。
それに対して当時私が出した答えは「関係」でした。
そのあたりのことについては、いずれ「「哲が句」を語る」の記事でご説明する時が来ると思います。

進化にまつわる学生時代の衝撃にはまだ続きがあります。
「進化」の講義の翌年だったでしょうか、今度は「宇宙進化論」という講義、というかゼミのような授業がありました。参加者はほんの5,6人。先生は、当時よくテレビに出演なさっていた小尾信彌先生でした。
テキストは、その後ノーベル賞を受賞したワインバーグの「宇宙創成最初の3分間」という本。先生が翻訳なさったばかりでしたが、授業は英語の原文で行いました。でも、学生はみな翻訳本を持っていました。
この本に書かれていたことは知らないことばかりで何もかも新鮮でしたが、当時、一番驚いたのは何よりも「10億分の1」の話でした。

今ではもはや常識に近い話になっているのかもしれませんが、当時、これを初めて知ったときには、どう理解していいのか途方にくれたことを記憶しています。
詳しく説明する能力はありませんが、こういう話です。
「ビッグバンのあと、宇宙が膨張していくある段階で、それまで宇宙に充満していた「物質」と「反物質」が互いに衝突し合って消滅した。「物質」と「反物質」は理論的に正確に同数存在していたはずで、その段階ですべてが消滅するはずだった。ところが、なぜか「物質」の方がわずかに多かった。その差が「10億分の1」。結局、現在の宇宙に残っている「物質」はその時になぜか消滅しなかったそのわずか「10億分の1」にすぎない。現在我々が見ている宇宙は、本来なら何もなかったはずなのだ。」
そういう話です。

この話は、衝撃というよりも、まるでキツネにつままれたような思いでした。いわば一切合切をちゃぶ台返しされてしまったようなものでした。
古今あまたの賢哲たちが、存在だ、本質だ、万物だ、精神だと大騒ぎをして、いくら偉そうに語ったところで、彼らが全宇宙・大宇宙だと思っていたものは高々10億分の1のカスでしかなかったというのですから。
少なくとも半世紀よりも前の人間で、そんなとんでもない事実を想定して哲学した人は一人もいなかったわけです。
そうだからと言って、過去の哲学がすべて無意味になるなどというつもりはありません。でも、だったらこの事態をどう咀嚼してどう理解したらいいというのでしょう。

以来、私にとっては、ビッグバンから現在にまで続く宇宙進化が、「哲学原理」となりました。

物質から生命を通して精神にまで続く切れ目のない進化、そして「10億分の1」をはじめとする宇宙進化、大学時代に出会ったこの二つがその後の私の思考をすっかり規定していたと言って間違いはありません。

その後も、前世紀から今世紀にかけて、とんでもない発見や発想が次々にありました。
ダークマターやダークエネルギーの発見、マルチユニバースとか人間原理とかいった発想。素粒子論とか生命科学などにも視野を広げれば、まだまだほかにいくらでもありそうです。
そういったことについて、私は決して詳しいわけでも勉強したわけでもありませんが、伝え聞こえることを知るだけでも、世界観の動揺を感じないわけにはいきません。

私の半生は、考えることに事欠かない、実に面白い時代だったと思います。
考えることが好きでたまりませんでした。好き放題考えてきました。
残り少ない人生で、それを語れるだけ語りたいと思っています。

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