「死」とは何か 「生」とは何か (3)宇宙の陰謀

前回の記事では「はじまりの誕生」ということを述べました。
その中で、「生」とは何かを考えるためには、「死ぬ生」の誕生について考えなければならない。特に「死なない生命」の側からみた「死ぬ生」の誕生ではなく、「死ぬ生」自身にとっての意味を考えるべきだろう、そのようなことを申しました。

今回の記事では、やや遠回りに感じられるかもしれませんが、最初に「誕生」というものの意味について考えたいと思います。
「死ぬ生の誕生」について考える前に、「何かの誕生」ということではなく、「誕生」というものそのものについて考える必要があります。
さて、「誕生」について問うのであれば、例によってそれがどのように生まれてきたのか、すなわち「誕生の誕生」について検討しなければなりません。前回、宇宙にあるものはあらゆるものに起原があると申しました。ですから「誕生」だけを例外にするわけにはいきません。

ところで、それを考えることに関連して、以前に紹介した大島泰郎先生の講義で教わった話の中にもう一つ、強く印象に残っていることがあります。
もう一休み 大島泰郎先生と小尾信彌先生の衝撃|ego-saito (note.com)参照)
日本語には「キゲン」というよく似た言葉が2つあります。漢字で書くと「起原」と「起源」です。読みも同じで文字もよく似ていますから、きちんとした区別なしに使ってしまっていることはないでしょうか。しかしこれを英語で言うと「オリジン」と「ソース」というだいぶ違った単語になります。明らかに違う語です。例えば「生命の起原」と言った場合には「オリジン」を使います。この2つを間違わないように、と大島先生に教わりました。
さて、「起源=ソース」というと、何かが生まれる場合にその前身となるものがあり、そこから流れ出てくるように何かが現れてくるイメージだと思います。それに対して「起原=オリジン」の方は、それまで全く存在していなかったものが新しく生まれ現れてくることを意味していると考えます。
今回の記事で問うている「誕生」、そして私がしばしば何かのはじまりについて問うときの「誕生」は、上の「キゲン」のうちの「起原=オリジン」を考えています。
つまり、何か前身となるものがあって、そこから何かが流れ出てくるといった感じではなく、それまで宇宙に存在していなかった形式のものが全く新たに生じること、それを「誕生」と言っています。

しかしちょっと考えてみると奇妙です。それまで影も形もなかったものが、突如現れ出てくるって、それではまるで魔法です。
もっとも、何もなかったところに何かが現れてくるみたいなことは結構あります。例えば、食塩水が干上がってくれば透明な液体の中から塩の結晶が現れてきます。ある意味、魔法のようにも見えます。ですがこの場合は、食塩水の中に初めから塩の成分が含まれており、乾燥すれば固体の結晶になるという科学的な理屈が最初からあります。そして、塩の結晶が生じることは、何度も繰り返されてきたことです。
ただこれが、宇宙が始まって以来初めてのことだったとしたらどうでしょう。例えば質量を持つ粒子というものは、宇宙の初期には存在しませんでした。あるとき宇宙が始まって以来初めて粒子が生まれました。影も形もなかったものが、突如として現れました。
その場合も、そのような粒子が生まれる科学的な条件が最初から宇宙にあったのだ、という考え方も成立するでしょう。それなら、宇宙が始まって初めての「粒子の誕生」は、科学的には想定内の出来事だったと言えます。
ですが、そもそもの始まり、宇宙自身の誕生はどうでしょうか。
上の伝で言えば、宇宙が誕生するときには「プレ宇宙」があって、その中にこのような宇宙が生まれるべき科学的な条件が備わっていたのだ、という言い方になるでしょう。
でもこの言い方には難点があります。「プレ宇宙」にはさらに「プレプレ宇宙」が必要になり、際限がありません。つまり最初の最初は、どうしても魔法のように始まるしかないのです。

さて、本日最初の問い、「誕生の誕生」とは何だったのか、それに対して私が考える答えが見えてきました。
それは「魔法」です。まじめな話をしているのに、臆面もなく魔法だなんて言ってしまっては身も蓋もありませんが、端的に言えばそういうことです。
「誕生の誕生」とは、まさに宇宙が生まれたこと、そしてその実質は魔法です。それ以上に問いようがない、ということです。
その後、宇宙にはありとあらゆるものが誕生しました。これらの誕生はもともと宇宙の誕生、すなわち宇宙の魔法の中に仕込まれていたものです。そしてそれぞれの誕生は、仕込まれた魔法の中身が初めてひとつずつ現れてくることです。

そのような諸々の誕生の一つ、そして当面私たちが最も関心を寄せている誕生は「死ぬ生」の誕生です。
「死ぬ生」はそれまで存在しなかった形式が、全く新たに現れ出たものだと考えます。そしてそれは、宇宙の魔法の中に、あらかじめ現れ出るべく仕込まれていたものです。
「生殖細胞が用務に都合のよい装置を作って、もっとよい装置をリニューアルするために死ぬ能力を持つ種が自然選択された」という説明は、「死ぬ生」がどのように誕生したかという構造的な説明にはなっていると思います。
しかし「死ぬ生」はなぜ生まれたのか、なぜ生まれなければならなかったのか、「死ぬ生」が生まれた意味は何だったのか、そういう我々自身が切実に求める問いの答えにはなっていません。
その答えを知るためには、宇宙の魔法の中に、「死ぬ生」がなぜ仕込まれていたのかを問うことが必要です。

もちろん、宇宙の魔法を知ることは困難ですが、その魔法が順次実現されているのが私たちが住むこの宇宙ですから、宇宙の姿を見つめることである程度の推測は可能です。
でも宇宙を見つめると言っても、実に色々な側面があります。
さてしかしながら、そのことそのものが宇宙の最大の特徴ではないかと、私は考えています。
「えっ、文章が間違っていないか」と、上の2行ほどを読んで思われたかもしれません。
分かりやすく言い直します。
宇宙の最大の特徴は、「色々なことがある」ということそのものではないか、という意味です。
「最大」なのかどうかとかは別として、宇宙に色々なことがあることは異論のないところだろうと思います。

最近の難しい科学については、ろくに理解していませんが、この宇宙はとんでもなく絶妙な条件でできている、といった意見を聞いたことがあります。
「普通の」宇宙であれば、ほぼ何事も起こらないのっぺりとした空間になるはずなのに、この宇宙は信じられないほど絶妙なバランスでできていて、色々なことが起き、そして人間が生まれたというのです。
「人間原理」と呼ばれる議論です。
乱暴に言えば、宇宙は人間が生まれるようにできている、といったところでしょうか。

「人間原理」は、とても面白い発想だと思います。
ただ、とても強烈で、普通の常識感覚からかけ離れている印象はあります。
ですから私としては、もう少し普通感覚で考えを進めたいと思います。
まず最初に、ほとんどの方々に異論なく認めていただけるであろうという事実、すなわち「宇宙には色々なことが起こった」という事実から考えてみたいと思います。
「宇宙に色々なことが起こった」
ということは、色々なことが起こるようになっていた、つまり
「色々なことが起こるように(魔法に)仕込まれていた」
と考えるのはそれほど無理のないことだと思います。
さらに言えば
「宇宙は色々なことが起こるように誕生した」ということでもあります。
私の好みとしてはもう一歩踏み込みたいところです。
「宇宙は色々なことを起こしたがっている」
宇宙が「したがったり」「欲したり」するのはおかしいと思われる方は多いと思いますが、宇宙の一部である私たち人間が意志や意欲を持つのに、その親分である宇宙が意志や意欲を持つのが、どうしておかしいのか、私は理解ができません。
なので、「宇宙は色々なことを起こしたがっている」のではないか、と思っています。
「起こしたがっている」というのに抵抗があるなら、「起こる傾向がある」と理解していただいてもよいかと思いますが、私としては「起こしたがっている」という言い方が話しやすいので、この言い方で進めさせていただきたいと思います。

別の言い方をすれば、そもそも、「色々なことが起こった」「起こるように仕込まれていた」「起こしたいと欲した」というのは、同じ一つのことではないかでしょうか。
同じだというのは論理的にはやや乱暴かもしれませんが、一回性かつ全体性の宇宙は論理以前のものだともいえると思います。
(そういう意味では、本当は「論理の誕生」も問わなければならないのではないかと思っていますが、当面私には手に余ると感じています。)

さて、
「色々なことを起こしたがっている」
「より多くの可能性を試したがっている」
それが宇宙の魔法の中身(のひとつ)ではないかという考えに至りました。
その考えから「死ぬ生」がなぜ生まれたのかという問いの解明を進めよう、というところまで参りました。
ところで、大変申し訳ないのですが、ここまで「宇宙の魔法」というワーディングで申し上げてきたことを、私は長らく別のワーディングで言っていました。今回の記事では自然と「魔法」という語を使うのが流れやすかったのでそうなってしまいましたが、これまでこのことを「陰謀」と言っていました。
すなわち、「宇宙の陰謀」です。
私たちがこのようであるのは、「宇宙の陰謀」のせいだと、そのように考えてきました。
なぜ「死ぬ生」が生まれたのか、なぜ私たちがその生を生きなければならないのか、それはすべて「宇宙の陰謀」のせいだ、と。

私の口調、論調からお感じのこととは存じますが、私は「生」に否定的な気持ちを持っています。なんでこんなものが生まれてしまったのか、と。
それを宇宙の「陰謀」のせいだ、と考えたわけです。

「色々なことを起こしたがっている」という宇宙の陰謀と、私たちの「死ぬ生」がどのように結びつくのか、それについては記事を改めて申し上げたいと存じます。

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