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向き合う

福島県西会津町に「西会津国際芸術村」という施設がある。

閉校になった古い木造校舎を活用したミュージアムであり、アートを核とした地域活性化の拠点でもあり、さまざまな人々が集まってきて、協力し、刺激し合い、これからの社会や人生への問いかけを行っている。

少し前に、久しぶりでこの芸術村を訪問した。
ぼくは以前に二度ほど、写真の展示会を開かせてもらったことがあり、再訪するたびに、何だか仲のよい親戚のお宅にふらりとお邪魔したような気分になる。
このときは、知人の画家さんが展示会を開催しており、その鑑賞に訪れた。
3月で、会津の山あいに位置する芸術村に桜の季節はやや遠かったが、空気はすっかり春の陽気だった。

芸術村では昔から、国内外のアーティストの滞在制作を受け入れている(いわゆる「アーティスト・イン・レジデンス」)。
この日も、3カ月ほど滞在しているという画家の方が、かつて教室だった一室を借り切って、作品制作に勤しんでいた。
普段は東京で仕事をしている日本人女性で、年齢はわからないけれど、ぼくと比べれば確実に(かなり)若い。
「よろしければ覗かせてください」
と入ってきたぼくに、快く作品を見せてくださり、積極的に解説もしてくれた。
率直に述べて、西会津は寂れた町だ。絶対的な人口は少なく、全体として見れば活気に乏しい。過疎化の進む全国の自治体がどこもそうであるように。
自然は豊か。しかし、人間は、豊かな自然だけでは満足できない厄介な生き物である。
彼女は、
「自分を見つめ直すためにここに来ました」
と言った。
絵を描いて、何度も展示発表を繰り返し、それなりの手応えはあるのだけれど、自分の芯のようなものがどうしても掴めない。飽きっぽくて、いろいろなことに興味関心が向いてしまって、しかもそれがよいのか悪いのか、絵でも仕事でも水準以上の結果を出せてしまう。
「器用貧乏なんです」
と呟いた。
西会津での3カ月間は、想像以上に苦しかった様子。雪国の、何かに閉じ込められたような、色のない景色は、たぶん自分自身の鏡のように思えたのではないか。
その反映なのか、滞在制作の仕上げに作る作品は、
「モノトーンを主体にした絵になります」
と言っていた。

器用貧乏・・・よくない意味でパワーワードかもしれない。
言葉は、自分を縛る。
何でもやってみたいのなら、それでよいと思うよ。
やれるだけのことをすべてやってみたらいい。
君の生きるエネルギーがそこにあるんだから。

なんて、思った(本人にもその場でちょっとだけ伝えた)。


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