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愛は技術

最近「愛」について考えることが増えた。

2ヶ月前に生まれた息子と家で二人で過ごしているとき。ふと「私はこの子を真っ当に愛せているんだろうか、真っ当に愛し続けることができるんだろうか」と考えたり。

インタビューライターとしてやっていくにあたって、欠かせない素養について考えているとき。対象の物事や人を深く知ろうとする姿勢が必要。何事も面白がることができて、自分自身を更新していくことに積極的であることが必要。
ここでも煎じ詰めると「愛する力」が求められるな、と考えたり。

それにしても愛って曖昧な言葉だな、と。よくわからない。それは日常の根底に流れているのが望ましいのだろうけれど、そもそも愛って何なのだろう。それは、自然と溢れ出てくる神聖な心の動きなのか?

愛について、一つの答えを提示している本がある。

人を愛そうとしても、自分の人格全体を発達させ、それが生産的な方向に向かうように全力で努力しないかぎり、けっしてうまくいかない

これは、エーリッヒ・フロム「愛するということ」の序文に書かれている言葉だ。フロムは、愛とは誰もが簡単に浸れる感情ではなく「技術」だと一貫して主張している。

人によっては、この考え方に「打算的」「人為的」「信用ならない」といった印象を持つかもしれない。
けれど私は「愛は技術」であることに希望を感じるので、とても魅力的な考え方だと思う。

もし愛が才能だとしたら?そこには希望がない。愛を通じて感じられる充実感や安心感を、これ以上増やせないことになる。

でも、愛は技術だとしたら。そこには希望しかない。自分の意識と行動次第で「愛」を獲得し、その力を高めていくことができる。
そうして、大切にしたいものを、より大切にすることができるのだから。気持ちの温かさや昂りの総量を、どこまでも増やしていけるのだから。

この本「愛するということ」は以前に最後まで読んだことがあるのだけれど、少し前から再読し始めた。「ただ読んだだけ」だったところを、いよいよその技術を身につけたいと思ったのだ。息子も夫も、家族や友人や仕事も、学びも、推し活も。そこにある愛をもっともっと大きくしたい。

再読後、心のOSがアップデートされるように、じっくり読んでいく。愛する筋力を鍛え続けられる自分になりたい。



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