我が子が感じる親とのいい塩梅な距離。
ふたごの片方が泣きながら帰ってきた。
クラスの子とケンカしたらしく、納得のいく謝罪をえられなかったようだ。
仲裁にはいった担任も、我が子に対する対応と相手に対する対応があきらか違うかったらしく、本人の話をそのまま聞くには100対0で我が子は正しいように聞こえた。
ただその場にいたわけでもないし、人は自分を守るために自分に非がないように話をするものである。
だから100対0というのはあるようでないのかもしれない。
我が子は大人しいほうである。
今回ケンカしてきた上の子は真面目すぎるほど真面目で、8歳とは思えないほど空気を読む子である。
そしてビビリである。
『相手の子に言ったら怒ってくるから我慢するしかない』と話す我が子。
我が子に伝えた。
『間違ってないと自信があるなら堂々してなぁよ』
『偉そうにするんと、堂々とするんは全然ちがうんやで』
『相手にコイツなら言ってもイケるわ。コイツなら許してくれるわってなめられたら終わりで』
『優しいのと、なんでも許してあげるのは違うんやで』
『はっきりあかんもんは、あかんって言うんやで』
最後に。
『学校でケンカしてきたらええよ。お母さん謝らなあかんならいくらでも土下座でもしちゃるわ。帰ってきて悔しくて泣くならしっかり学校でやりあってきな。
もし自分が間違ってるなら、やり合わずすぐ素直に謝るんやで。
そのかわり、もし向こうが悪くてあやまったら、必ずゆるしてあげなよ。』
帰宅してから泣く我が子を膝にのせ、熱く硬くなった背中をさする。
上下にゆれる肩。
だんだん母の声と、理解してくれる存在がいることに安心を覚え、落ち着いてくる。
手を出しすぎては我が子の成長を妨げてしまう。
出しすぎず、出さなさすぎず、我が子がいい塩梅と思える距離を様々な出来事を通して親が学ぶ。
子育てとは親育てという言葉の意味がまた更に理解できたできごとだった。
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