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不思議な出会いと満天の星空と。

私は過去にお客さんと友達関係になったことがある。

それはつまり、プライベートな付き合いもあったほどの友達だ。今思えば、当時私は随分と若かったし、”楽しければすべてよし”みたいなそんな軽い感じだったから、そうなってしまったのだと思う。

相手は40代前半の男性のお客様。ブランドの背広を上手に着こなした細くて静かな笑顔が印象的な人だった。たまたま私が接客をしていて、どういうわけだか、その人と意気投合してしまったのだ。

当時、私は20代前半だったから、年はかなり離れていた。それでも、その話し方や考え方が私にとって、ヒーローにあこがれる少年のような気持ちになっていた。その人も私に対して、何かその人と似たような所を見つけていたのかもしれない。

「今度、君のアパートまで遊びに行っていいかい?」

冗談か本気かわからないような爽やかな笑顔で、その人は私に言ってくれた。「えぇ、本当ですか!」と私は喜んだけど、本当の気持ちとしては、ただ、話の流れで冗談半分に私をからかっただけだと思っていた。

でも、その3日後に私のアパートのチャイムが鳴った。(その当時、独身だった私は一人暮らしをしていた。)その人は本当に、私の所にやって来たのだ。しかもなぜか、夜中の11時過ぎという遅い時間に。

40代の彼は自由業で個人で何でもしていたようだ。当時は家電製品などの修理サービス業をしていて、引っ越したばかりで取りつけていなかった私の窓用エアコンを取り付けてくれた。電器売場の店員だった私が、お客さんにエアコンを取りつけてもらうと言うのも実におかしな話だけど。

私とその人との不思議な付き合いは、それからほぼ毎日のように続いた。なぜか夜中の11時過ぎになると、彼は私のところに訪れた。そして、彼の車でドライブを楽しんだ。車のことはまったく興味のない私でも、それが高級車だと言うことがすぐにわかった。やたらと電動であちこち動くし、なにより座り心地が最高に良かった。その人と深夜までやっているいつもの喫茶店に行き、時も忘れるほど話をした。仕事のこととか、これからの経済のこと、人生や、夢のこと、恋愛のことに至るまで・・・。

私は誰もが教えてくれないような人生の本当に大切なことを、あの頃、彼からほとんどを教わったような気がする。

その彼と、そんな付き合いをして2週間が過ぎた頃だろうか?いつものように夜中の11時過ぎに彼がアパートにやって来て、私が車に乗ると、いつもと違うことを突然、彼は言ったのだ。

「いいところに行こうか?」

”え!”と驚いた私は一瞬、不安になった。
(まだ、私は彼に対して、知らないことがたくさんあったからだ。)

小一時間、車を走らせたその場所は、満天の星空が見渡せる誰もいない海辺だった。その美しさに、私はしばらく言葉を忘れた。ようやく我に返って興奮しながらも、「いいところへ行こうか?なんて突然言うから、僕はてっきりホテルにでも連れこまれるのかと思いましたよ!」と正直に言うと、その人は腹を抱えて笑っていた。(あとでわかったことだけど、彼が夜中の11時過ぎに訪れていたのは、家族が寝静まってから、黙って外出していたからだそうだ。)

「ここは僕だけの秘密の場所なんだ」

そういう40代の彼の心は、まだ少年のままのロマンチストだった。あの頃、彼はいろいろと悩みを抱えていたようだ。仕事のこと、家庭のこととか。彼にはちゃんと妻も子供もいて仕事も成功して、お金もたくさん持っていた。実は彼の両親は、不動産をたくさん持っていて、彼は働かなくてもお金に困ることは何も無かった。それでも親の金を使うことが絶対に嫌だと彼は言う。

「まわりの人達に、僕は親の金でラクして生活していると思われているけど、それが僕の中でとても大きなコンプレックスになっているんだ。自分だけの力で僕はお金を得ている。親の金なんて一銭も使っていないというのに」

絶対に愚痴をこぼすような人じゃないのに、その日だけは、星空を前に素直な気持ちがこぼれてしまったようだ。

「君は不思議な雰囲気を持っているね」いきなり私は彼にそう言われた。「え?何のことですか?」とその言葉に、私のほうが不思議な気持になった。

「君といると、つい、素直な気持ちになってしまうんだ。たぶん君の心が汚れていないからなのかなぁ。君はきっと私にとって、世界で一番上手な人生の相談相手だよ」

私はそれまでの人生の中で、これ以上の誉め言葉を聞いたことがない。人生もほぼ成功したと言っていいほどの40代の年上の彼が、なんの取り柄もないただの店員にすぎない私にそう言ってくれたのだ。

彼の言う”人生の相談相手”というのは、本当はそうじゃなくて、私はただの聞き役にしかすぎなかった。それに私の心が汚れていないはずもないし、20代の若造が、40代の人生に成功した彼にアドバイスなんて出来る訳がない。だから私は聞き役に徹していただけだった。

それでも私にそう言ってくれる彼にとっては、それだけで十分満足だったのかもしれない。

・・・・・・
それから彼とは、3か月くらい”不思議な付き合い”をした。毎日とまではいかなくても、私は彼の高級車に乗る時のあの独特のシートの革の匂いや、車から流れる質のいいブラックコンテンポラリーミュージックが私をどこまでも夢のような気持ちにさせた。(私がブラックミュージックにはまったのは、その時の影響だ。)あの頃、夜中の11時過ぎは、私にとってもうひとつの夢の始まりだった。

最後に彼に会ったとき、彼は目を輝かせながらこう言っていた。「僕はね、今度アメリカに行って事業をはじめようと思うんだ。夢をかなえようと思ったら、日本にいちゃダメだ。世界に飛び出さないとね」

私はその言葉を聞いた時、もうこの人とは会えないのだろうなと思った。私には絶対に手の届かない人だと知っていたから。なんだかひとつの恋が終わってしまったような、そんな不思議な気持ちだった。

・・・・・・
それから夜中の11時を過ぎても、私のアパートのチャイムは、もう二度と鳴ることはなかった。彼は私に別れの言葉さえ言わなかった。たぶん、別れの時の、あの独特な気持ちが嫌だったのだと思う。それもあの人らしいと思った。やっぱり彼は少年の心を持ったロマンチストだったのだ。

あれから私はひとりで、何度かあの人が教えてくれた秘密の場所に行った。彼のいなくなったあの海辺には、まるで彼の心のように、満天の星空がいつまでもそこに輝いていた。

「いつか君に彼女が出来たら、ここに連れて来たらいい」

あの頃、彼が言ってくれたその言葉通り、いつしか私は彼女を連れてこの海辺に来ていた。

「きれいな場所ね、あなたが見つけたの?」

ちょと興奮気味にそう尋ねる彼女に、私は返事の代わりに、カーステレオから一本の音楽を流していた。ナット・キング・コールの”アンフォゲッタブル。あの人が好きだった歌だ。

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今も私は彼の名刺を持っている。
でも、一度も電話をしたことはない。

なぜなら、きっと彼は遠い街で
同じ満天の星空を
今も眺めているのだろうから。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一