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彼にいじめられていた頃。

私は小学生の頃、よくいじめられていた。友達とか、先生にさえいじめられていたような気がする。とは言っても、殴れたり蹴られたりした記憶は、ほとんどないから、今のいじめの現状を思えば、まだ幸せなほうなのだろう。

あの頃、私は、とにかくすぐに泣いていた。先生に叱られたというより、ちょっと注意されたくらいで、えんえん泣いていた。友達でもないクラスメートの女の子に見かねて慰められた時は、自分自身が情けなくて、余計に涙が止まらなかったのを覚えている。

私のおとなしい性格とあまり他人としゃべらない態度は、たぶん、今もあまり変わらない。すぐに泣くこととその気弱な性格が、いじめる者達にとっては、面白くて仕方がなかったのだろう。

小学6年の頃、あるひとりの友達がいた。友達というより、友達にさせられたというほうがいいのだろう。あの頃、私はいつもひとりだった。そんな私を友達にしてくれた。

その友達は、クラスでも有名ないじめっ子だった。

・・・・・・
私はよく、彼に奴隷のような扱いを受けた。教科書を忘れたから貸せ!と言われれば自分のを貸して先生に叱られたし、休み時間になれば、馬乗りになって、教室をぐるぐる回り、級友達に笑われたりした。

その時の私には怖いと言うよりも、妙な使命感のようなものがあった。彼の言う通りにしなければならないのだ、という思いがただ、強かった。

彼は確かに私をいじめていたのだが、時として私を守ってくれる事もあり、そんな時、私はいつもこう思っていた。そう言えば、彼にとっては私が唯一の友達であることを。彼の親が離婚したとか、複雑な家庭環境にあることは、私だけが知っていた。今思えば、ふたりは妙な友達関係だった。

ある日のこと、大きな事件があった。その彼が何があったのかわからないが、いつになく機嫌が悪かった。それまでに大声で友達を罵ったり、物を投げたりして暴れていた。今までにない彼の強暴さに、クラスのみんながどうしようもなく困っていた。

そんな時、彼が隣りにいた私の机を、意味もなくいきなり蹴り上げた。ガランガランと大きな音を立てて私の机が転がった。クラスの女の子が悲鳴を上げた。机の中にあった教科書とか筆箱が散乱した。私はビックリしてしまい、イスから転げ落ちた。その拍子に、私は手に怪我をしてしまい、ちょっと血が出ていた。

この時ばかりは、私は大きな怒りを感じた。いくらなんでもこれはないだろう。これまでの私の忠誠心はなんだったんだ?意味もなくこんな仕打ちを受ける理由はないはずだと。たとえ犬みたいな私でも、時として噛みつくことくらい出来るんだ。そう思っていた。

彼のあの表情を見るまでは。

私は彼が机を蹴り上げて、私が転げた時「あ!」と小さく言葉を漏らしたのを聞き逃さなかった。彼なりに、やり過ぎたと思ったのだろう。

私は彼の、それまでの付き合いの中で、ナイフみたいに危険でいて、それでいて、小さくて不器用なやさしさを、彼の中に見つけていた。

でも、ここまでしたのだから、彼はもう後には引けなかった。彼は「だらしねえなぁ」とニタニタ笑いながら私を見下していた。

その態度に、再び私に怒りの感情が生まれた。その時、私は小さな拳を握りしめていた。たぶん、あんなに人を憎く思ったのはあれがはじめてのことだったかもしれない。だが、すんでのところで思い直した。私に意気地が無かったといえばそうなのだろうが、彼の目があまりに哀しそうに見えたから。

その時、私は彼を許そうと思った。

彼は私を罵りつづけた。「バカ」とか「死ね」とか言っていた。私は何も聞こえないみたいに、静かに散乱した教科書や筆箱を片付けはじめた。何も言わずに、黙々と床に四つんばいになりながらも。

それを見ていたクラスの友達たちが、やがてひとりひとり私の手伝いをはじめてくれた。誰もが一言もしゃべらないままで。

あの時、まるで時が静かに止まってるみたいだった。私にはそれが奇跡のように思えた。

思いがけない友達のやさしさに、私は涙が出そうになった。誰も何も言わないまま、まるで話したこともないようなクラスメートまでが手伝ってくれた。その机を蹴り上げた張本人の彼は、呆然と立ち尽くし、ただひとり見ているだけだった。彼は何もしゃべらなくなって、それを眺めるしか術がない様子だった。

片付けが終わり、私が最後に机を元に戻した時、昼の休憩時間が終わった。

時がまた、静かに流れ始めた。

何も知らない担任の先生が教室に入り、午後の授業をはじめた。私と手伝ってくれた友達は何も言わないで、ただ黒板を見つめていた。本当に何事も無かったかのように、教室にはいつもの時が流れていた。

私は彼が気になり、ちょっと彼を見た。
彼は窓の外を見ていて、その表情は見えなかった。

たぶん、泣いているのだろうと思った。
彼の(たぶん)泣いている姿は
あれが最初で最後だったような気がする。

この広い教室の中
泣き虫の私には、少なからず仲間がいて
彼にはだれひとり、仲間がいなかった。

そうなんだ。
あの時も、そしていつも、いつも
彼は、ただ、ひとりきりだったんだ。

いちばん寂しくて、辛かったのは
私じゃなかった。

思えばあれからだったと思う。
彼が私をいじめなくなったのは。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一