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一人静かに停止する人。

その方は、私よりも年上で、もう60近い人なんだけど本当によく働く。(と言っては失礼か。)ほとんど雑用みたいなことしか任されていない人なのだけど、朝から晩まで働いている。私はその人が帰るところをまったくといっていいほど見たことがない。いったい、いつ来て、いつ帰るのか。

「今、時間が空いているから」と時々私の仕事を手伝ってくれる。とても助かる。けれども、その方は重い荷物を持ったりすると動きが一時停止するのだ。(その他いろんな動作においても。)

私は事情がわかっているので「ゆっくりでいいですよ」と言う。実はこの方は、特有の病気を患っているらしく、何の病気かは教えてくれないけど、どうも腰か背中の神経を痛めているみたいで、その動き方によっては、活動がぴたっと停止する。(幸いにも、日常生活に困るほどではないと言う)

痛そうな顔をするでもなく、しゃがみこむわけでもない。本当にぴたっと動きが止まるその様は、まったく事情を知らない人が見たら、ロボットか野生の熊のように見えるかも。(風貌もどこか熊に似ている。)そのたびに、私は「ゆっくりでいいですよ」と言う。でもその方は「大丈夫。こうしてしばらく休んでいれば、また、動けるから」と私に言う。私はそのたびに、その人の優しさの大波を、ざばーんと浴びたような気持ちになる。

もの静かな人なのに・・・なんてすごい。それまでのその人生が、その言葉だけでまるであふれているみたい。その心の中ではたぶん、夏の高校野球並みの(いや、それ以上の)戦いが繰り広げられているんだろう。

私は今、いろんな私なりの決め事をしている。そのひとつに、とにかく仕事はいい意味で無理をしないと決めている。(いわば、その方とは正反対かも知れない。)

具体的には、残業はできるだけしない。効率的な方法で仕事を進め、時間は残り何時間で考え、その仕事にかかる適正な時間で、ひとつの仕事を終わらせて、そして、次の仕事を進めてゆく。もしも時間に間に合わないときには、優先順位の低いものを翌日の仕事に回してゆく。(またはきちんと残業をつける。)その繰り返し。

そう私は決めている。それが正しいと思っている。

それは今まで、無理をしすぎてエンジンが焼け付き、それでも走り続けた結果、黒く焼け焦げた心が、他人を傷つけてしまうと私なりに気づいたから。なのにこの方ときたら、いつまでもずっと働いて、恐らくその仕事内容は、大きな達成感を得るとかそういうものとは皆無なのに、その原動力はなんだろう?

その方は、いつも前かがみで倒れそうに歩いている。見ていて少しはらはらする。それはその病気のせいで、まっすぐには歩けないのだと言う。どうしてもっと楽な仕事に変えないのだろうか?と私はいつも思ってしまう。

荒れた広い土地に生えた草を、ただ、むしって取るような、そんな繰り返しの仕事を、どうして続けるんだろう?いや、続けられるんだろう?仮にもお金で困ってるようには見えない。だからといって、誰かと楽しそうに仕事をしているでもない。いつもひとりで黙々としている。

すべてにおいて私は不思議でたまらない。

今日もその方が、忙しそうにしている私に近づいて「手伝おうか?」と笑顔で言ってくれる。最近、その笑顔を見ると私は泣きそうになる。私はまだ、その方よりも十分若く、走れるし、高くジャンプも出来る。でも、その方は一時停止するのだ。

そして私にこう言うんだ。

「大丈夫。こうして静かにしていれば、また、動ける」

そのとき私も、一人静かに停止する。心がどうにも動けなくなる。過ぎた”一所懸命”なんて私は無意味だと思っている。それは今も変わらない。

でも、いつしか私の知らないうちに、ひたむきな何かを置き去りにしてきたような、そんな気がしてならない。それが本当に大切なものなのかどうかは、まだ、私にはわからないけれど。

その方がまた、動き出す。

まるで壊れたおもちゃのような
とても不安定な姿勢で。

でも、その背中は私よりも
多くの汗で濡れている。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一