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袖振り合う人生

先日、大学時代の友人と飲むために久々に上野に行った。やはり東京、人が多い。
当たり前のことだが、大学時代に東京に通っていたときには思わなかった。社会人になり滅多に東京に来ることがなくなった今だから思うのだろう。

そして、この人の分だけそれぞれ人生があるんだよな、などと当たり前の事をふと思ったりもした。 
一人一人が人生という膨大な情報量を持ち、その「人」が、街に集まって交わり合う。
何とも言い表し難い不思議な感じがした。

老人に道を聞かれて二人揃って鞄からスマホを取り出すカップルがいた。
スマホを取り出すのはどちらか片方だけでも事足りるだろうに、二人共親切だ。
二人は無事道案内ができて、老人は目的地につけたのだろうか。

喫茶店でオーラの話や宇宙人さんと意識が繋がった話をする3人組のおばさんがいた。
同じ趣味を共有できる仲間って大切ですよね。
彼女達がスピリチュアルなことを信じるようになるきっかけってなんだったんだろうか。

居酒屋のトイレで私に上野でおすすめの店を聞いてきた若い男の子がいた。
私も上野に詳しくなくて、教えてあげられなくてごめんなさい。
良いお店にたどり着けたかな。

私のことを高校の時に好きだった人に似ていると言ってくれたガールズバーの女の子がいた。
ちょっとテンション上がりました。
でも、何故だろう。よく聞くセリフだなと思ってしまうのは私の心が汚れているからだろうか。

街に出て人に目を向けてみることで、その対象の人の人生の欠片を垣間見ることができる。それは何気ないワンシーンであり、人生の役に立つような情報では無い事のほうが多いだろう。
だが、私はそれこそが、自分と他人の人生を実感する貴重な時間なのだと思う。
冒頭で書いた「何とも言い表し難い不思議な感じ」とは、その瞬間に他人の生をありありと実感したということだったのかもしれない。


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