見出し画像

神社における、この世とあの世の境界

 今日は日本建築史に関する、小話を書いてみたい。

*****

 私が卒業論文を書いていたころ、「空間の境界」というトピックに興味が惹かれていた。特に、「俗世間と神域の境界は、どうやって表されるのだろうか」というファンタジーめいたことに興味があった。

 たとえば、神社の入り口である鳥居。「ここから先は神社の敷地ですよ」と知らせる目印の役割はもちろんあるが、それ以上に”神域”への入り口を示す役割がある。鳥居の外と中では、空間の性質が違うのである。

スクリーンショット 2021-04-22 10.51.49

▲筆者が中学生のときに訪れた、鎌倉・鶴岡八幡宮、三の鳥居。

 ほかにも社殿のある区域を囲む垣や回廊も、神域の境界としての役割を果たしている。神社によっては、垣が幾重にも重なっているところもある。囲いが多いほど、その奥の空間は聖性が強まる。

 ちなみに神域という概念は、場合によっては神社の中に留まらない。紀伊半島の熊野の地は、神話の時代から一帯が他界への入り口とされてきた。平安時代には貴族らが、浄土への入り口として熊野三山を参拝したそうだ。ある意味熊野という場所自体が、この世とあの世の境界になっていたといえる。

*****

 今度神社を訪れたら、鳥居をくぐるとき、「自分は今神社の中に入っただけではなく、俗世間から神域へと移動したんだ」と意識してみると面白いかもしれない。きっと鳥居をくぐる重みが変わってくるだろう。

〔参考文献〕
・米澤貴紀『神社の解剖図鑑』(エクスナレッジ、2016)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?