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旅先で目を離したら、息子がナッツボーイになっていた

1.今回旅行に至った経緯

とある夏の日、帰省の最中に親孝行も兼ねてリゾートホテルに宿泊した。

参加メンバーは私と妻、そして娘と息子の子供2人に、私の母、つまり、子供にとってはおばあという構成である。

そのホテルは、街から車で約1時間の緑豊かなロケーションに位置し、無色透明でまろやかな塩辛さが体の芯からポカポカ温めるという温泉を有し、食事も非常に美味しいとの口コミで、我が家の週末の団らんの時には鉄板のネタとなりつつあった。

実は私と妻、そして娘、おばあと今は亡きおじいとで以前、同系列のホテルに宿泊し、朝食の質の高さと多様性に感動した思い出がある。その思い出が、週末の鉄板ネタに仕立て上げようとしていた一番の要因だったかもしれない。

しかし、おばあにとってはそれが唯一当てはまらなかったかもしれない。

なぜなら、おじいが認知症を患っていたからである。

当時、おじいの認知症はある程度のレベルまで進んでおり、レベルでいうと要介護3bだった。要介護3bは、7段階中の7が一番悪いとした時に、5に位置するレベルで、着替えはもちろんのこと、自分で排泄ができない、時々怒り出すといった症状が出るレベルで、在宅介護の限界レベルと言われているレベルである。

そのような状況を分かりながらも、親孝行ができる時間も限られてきていることから、おばあと話し合って旅行に踏み切った。

当時の旅行を振り返ると、運転中におじいが車から降りると言い出して聞かなかったり、トイレが暫くない中で娘がトイレに行きたくなったりと、プチパニックが起こったものの、私と妻、おばあで何とか鎮圧しながら観光することができたので、そういう意味では概ね良い旅行だったと言える。

しかしながら、唯一ホテルでの朝食においては、精鋭3トップを以てしても、おじいの食事中の強硬離席を鎮圧することは難しかった。

おじいの長年の習慣なのか、朝には散歩したいという欲求がおじいを何度も突き動かそうとしてきたからである。

おじいの怒涛の攻めに我々3トップは、代わる代わるマークするという戦法を採ったが、我々のスタミナが持たなかったのと、周りへの迷惑を考えると気が引けるということで、おばあが朝食をゆっくり堪能することなく、早々に部屋に戻らざるを得なかったのだ。

そして、その旅行の3年後におじいは亡くなったのだが、帰省の度におじいの思い出話になるわけで、その中で必ず出てくるのがその時の旅行の話である。

毎度、おばあの口からは、「あそこのホテルの食事はたくさん料理があって凄かったねぇ」という、当時、さも100%楽しんだかのような言い方を気遣いからかしてくれるのだが、実はもっと楽しみたかったという無念さが微かに漏れ出てくるのを感じずにはいられなかった。

そういう経緯もあり、今回再びリベンジ旅行を計画したのだった。

2.今回の旅行について

今回と前回の旅行で違うのは、おじいと入れ替わりに息子がメンバーに新たに加わった点である。

ちょうど息子は、前回旅行時の娘の年齢と同じぐらいになった頃で、娘が成長した分、息子の面倒を見てくれるだろうから前回ほどのパニックは起きず、今回は純粋に旅行を楽しむことができると期待に胸を膨らませていた。

そんなこんなで、気持ちが高ぶっていた私たちは昼前に現地についてしまう。

今回の旅行先はいわゆる温泉街で、多数の旅館やホテルにお土産屋が連なっており、街角には足湯コーナーがあるといった30年前では先を走っていたであろうと思う反面、今まさに温泉が枯渇してしまった時には何が残るのかといった物足りなさを感じざるを得ない街でもあった。

まあ、都会の暮らしに疲れた人が休息するためだけにやってくる場所と限定するならば、温泉以外の自然を上手にアピールして何とかやっていけるかもしれないが・・・。余計なお世話か。

因みに、チェックインが15:00からだったので、現地をぶらつく必要があったのだが、事前情報で得た場所に全て行っても2時間ほど余ってしまった。

そこで急遽、現地の観光パンフをゲットし、パンフ片手に著名な橋やお堂巡りという普段の生活からは程遠い観光を急遽組み立て、チェックインまで何とか凌いだ。

チェックインしたホテルはというと、森の中に存在するホテルというテーマで、例えば、水滴や木を見事に融合したオブジェで、そこがホテル内であることを一時忘れさせてくれるような場所であった。

一方、部屋においては、地元文化を色濃く反映しつつも癒し空間が損なわれないように設計されており、異国が好きな人にとっては『ここから暫く帰りたくない』と思わせる作りとなっていた。

そんな部屋でゆっくりするのもいいけど、目的の1つである温泉を食事まで早速堪能する私たち。

チェックインしてからすぐに温泉に行ったため、広大な浴場には他の客は見当たらず、家族で浴場を占拠した形となり、私たちの満足度を引き上げるには十分だった。

温泉を堪能した我々一行は暫く部屋で過ごし、レストランのオープンまで待ちきれずに、手前のロビーでそれぞれが思うがままに過ごした。

例えば、私はロビーの椅子に腰を掛けて空想に耽り、それ以外のメンバーはロビーを隈なく探索したり、レストラン脇に併設されているお土産コーナーで時間を潰したりしていた。

お土産コーナーには、定番の温泉饅頭をはじめ、クッキー、地元名産の漬物などが所狭しと並べており、試食もできるようになっていたようだ。

3.異変

レストランの開場に合わせて、多くの人がどこからともなく湧き出てきた。

多くの人が我先にと列を作り始めたので、我々一行も負けじとそこに入り込む。

その時、息子が1回、2回とくしゃみをした。

人込みで埃も舞っているため、仕方ないなと思いながらも歩を進める私達。

そのような中、今度は息子が鼻水を出した。

もう浴衣に着替えているし、手持ちのティッシュも持ち合わせていなかったため、テーブルに着いてからテーブル備え付けの紙ナプキンで対応するかと考えた。

そして、テーブルに案内され、ビュッフェスタイルの食事を採りに行って戻ってきた矢先、息子がぐずり始めている状況を伺えた。

息子の呼吸は苦しそうで、顔も赤らかに目も腫れてきている。くしゃみと鼻水も時折確認できた。

これは明らかにアレルギー反応であることを確信した私達は、ホテルの係員に救急車の手配を頼んだ。

息子が持っていたアレルギーはクルミと知っていた、自分達はクルミなど持ち合わせていないし、仮に持っていたとしても当然与えるはずもない。

救急車を待っている間に、思考を巡らす。

そして、ある仮説が導き出された。

その仮説とは、お土産コーナーの試食である。

近頃、知恵を付けてきた息子は娘の真似をよくしていた。

話を聞くと、娘は試食コーナーでお菓子を食べたそうな。その時、息子もカルガモの親子のごとく姉に着いていったらしい。しかし、息子はその時、試食を食べていなかったという。

そのことから、一つの結論が導き出された。

その結論とは、『一瞬目を離した隙に息子が一人で再びお土産コーナーに行き、試食のお菓子を食べた』ということである。

そんな思考をよそに、救急車の到着の知らせを受けた私たちは、息子のリクエストもあり、妻を付添人として息子を救急車に搬送してもらうことにした。

レストランに残された私と娘とおばあ、『さあ、豪華な食事の続きを堪能しよう!』とはなりませんわね・・・。

すっかり不安になった3人は、居ても立っても居られずホテルを飛び出して、救急車の後を追います。

救急車の向かう先は、どうも街中の大病院らしい。どうも温泉街には受け入れられる病院がないらしく、街の大型病院でしか対応が難しいとのことだった。

ということで、大雨や雷が鳴っている中を精神を落ちつけながらも安全に、そして素早く車を走らせます。

その脇で娘は、弟が死ぬんじゃないかと泣き続けている。

そのような中、ようやく受け入れてくれる病院が確定し、そこへ向かいました。

病院に息子が搬送されてからちょうど1時間後ぐらいに、私たち3人も何とか到着。

病室に入ると、点滴に繋げられた息子は顔がパンパンに腫れ上がりながらも、「お父さん」と小さな声で一言発した。

妻に確認すると、どうも山は越えたらしいとのことで、胸を撫で下ろす私たち3人。

「いやー、良かった!マジで良かった!」

喜びを一通り共有し合った私たち3人に、妻は申し訳なさそうに言う。

コンビニで食事を買ってきて欲しいのと、家からおばあの家に送った保険証を持ってきてくれないかと。

『食事全く手を付けてないから食事を買いに行くのはオーケー、でも保険証を帰省先に取りに戻るんだったら、もう今日リゾートホテルに戻るの諦めて、荷物だけ明日取りに戻ろうかな・・・』

そんな葛藤が渦巻いてすぐに判断できなかったので、おばあと娘とでとりあえず帰省先に向かうことにした。

帰省先で何とか保険証を見つけた私は、おばあと娘にそのまま家に残るかホテルに戻りたいか確認します。

おばあはどちらでもいいとのことだったが、息子が大丈夫だったのに安心したのか、娘が行きたいとのことで。

再び車を走らせ、全員病院にカムバックです。

病院に再び戻った時には息子はすっかり元気になっており、ホテルに戻っても十分そうな感じになっていた。

ということで、妻と息子に過去にアレルギー反応を起こしていないコンビニのおにぎりと保険証をしっかり渡した私たち3人は、再び1時間掛けてホテルに向かいます。

ホテルに向かう最中も相変わらずの激しい雨と雷だったが、それとは反対に安心からか心の中はすっかり晴れ晴れとしていた。

何とか夜中の12時前にホテルに戻った私たち3人は、ホテルのフロントでその後の状況を説明しつつ、救急車を迅速に手配していただいたことに対して感謝の意を伝え鍵を受け取ります。

そのような中、ホテル側は粋な計らいをしてくれました。

何と食事をほとんどできなかった3人にと、デザートを残しておいてくれたのでした。

部屋に戻った後すぐに、給仕がデザートセットを持ってきてくれました。

『粋な計らい、ありがとう! 娘もおばあも喜んでるよ!』

そして、デザートを食した後は、みんなぐったりと泥のように眠りました。

4.次の日

次の日の朝、妻と息子の分を取り戻すべく、温泉にみんなで突入です。

朝一で行ったため、今回もほぼ独占状態。

『家の近所にこんなところがあったら、毎週通ってしまうわな』と思いながらも、妻と息子の分の荷物まで整理しなくてはいけないので、早々に温泉から引き揚げます。

しっかり荷物をまとめた私たちは、本当の意味での食事を待ちわびます。

そして、またもレストランオープンと同時に入り込み、今度こそはとしっかりと食事を堪能します。

『妻と息子にも味あわせてあげたかったなぁ』

と思いながらも、容赦なく洋食、和食、和洋折衷料理、デザートをしっかりと腹に押し込める。

そして、部屋に戻ってすぐさま荷物を回収し、チェックアウト手続きをしているところへマネージャーがやってきました。

「この度は非常に残念でしたけど、細やかな気持ちです」と

なんと手土産まで持たせていただきました。

色々と助けていただいた上に、お客の残念な気持ちを汲んで行動していただいたホテルの方々に本当に感謝です。

ホテルの機能でお客の満足に応えるということも大事なことですが、相手の気持ちを汲んで行動するということが何より人の気持ちに働きかけるかということを認識できた旅となりました。

そして、ホテルに別れを告げて病院に息子と妻を回収に行きます。

息子の顔の腫れは半分程残っていましたが、しっかり喋れるまでに回復しており、私たち一行もすっかり元気を取り戻すことができました。

そして、清算を終えた私たちは、疲れとアレルギーの恐怖から、『今日は余計なことしないでおこう』という気持ちを携えて帰路に就きましたとさ。


P.S 試食コーナーで盗み食いした息子をみんなで ”ナッツボーイ"と暫く呼ぶことにしました。

帰りの車中で妻からの情報で判ったことですが、試食コーナーのお菓子にはクルミは使われていませんでした。使われていたのは、ぺカンナッツといわれているもので、成分構造がクルミと非常に良く似ているとのこと。

5.振り返り

今後、同じことが発生しないように覚え書きです。

・子供の保険証は常に携帯しておく

 子供においては、本当に何が起こるかわからないので常に携帯すべき。

・遅れてやってくる危険にも目を向ける

 見た目でわかりやすい危険、例えば、交通安全や不審者への対応という視点ではみんな大人は目を光らせていることは多いけど、すぐには原因がわかりにくいアレルギーについても目を光らせておくべきですね。今回の食はもちろんのこと、家畜やペットとがいる空間に入っただけで呼吸困難に陥る場合もありますから。

・仮性アレルゲンにも目を向ける

 ある品目を食べたときにアレルギーの原因物質ではないにもかかわらず、同じような症状を示す品目があります。その原因として考えられるものに「仮性アレルゲン」があります。

今回のペカンナッツもクルミそのものではありませんが、クルミ科に属するということで、最近スタバのおしゃれな飲み物にも使われたりで使用が増えてきているので要注意です。

周りでクルミアレルギーを持っている人がいるなら、是非教えてあげておいたほうがいいかもです。


という今回の3つの反省を踏まえて、本当に次回こそは全員で食事をゆっくり堪能したいと思ってます。

以上

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