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善き羊飼いの教会 #1-3 月曜日


〈柊シュリ〉

     *

 わたしが調査員?
 樫緒科学捜査研究所での調査を、このわたしが?
 専門の技術や知識は(わずかながら)身についてきているとは思うけれども、庶務担当であるわたしが?
「柊シュリです」
 頭の中に満ちた疑問を声に変換するのは我慢して、自己紹介した――調査員と紹介された嬉しさがまさっていたからだ。わたしが調査員。調査員として紹介してもらって頬が赤らんでいるのが鏡を見ずともわかる。
 とはいえ、所長をはじめとする主たる調査員の不在を埋める〝仮・調査員〟ということだろう。
 だんだんと状況が飲みこめてくる。頭が働きはじめてきた。
 自分のコーヒーをとりに戻るべきかどうか迷ったが、気がつくと右手が椅子の背に触れて、手前へ引いていた。わたしは再度頭を垂れ、引いた椅子に腰を下ろした。
「まずは、柿本さんと東条さんのツイートを確認しましょうか。ツイートの内容によっては、走行ルートがわかるかもしれませんからね」ノートパソコンと無線で繋がったマウスを操作したスルガさんが、ツイッターの画面を複数表示する。
 スルガさんは樫緒科学捜査研究所の営業兼調査員で、前職は科捜研の研究員だったと聞いている。年齢は三十代の前半。いつもどこかしら寝癖で髪がはねているが、調査員としては優秀で、驚くほど仕事が早い。ただし所長の弟である樫緒イチイさんにあり得ないくらい陶酔していて、イチイさんのことが話題にあがっただけでもテンションがあがり、声のキーもあがる。イチイさんから頼まれた私的な案件のほうを優先してしまって、所長に注意されている現場を目にした回数は片手――いや、両手でも足りないくらいだ。
「ツイートに位置情報はついていませんね。画像のほうについていればいいのですが」
 ひとりごとのようにいって、スルガさんはアップされた画像データをデスクトップにコピーし、写真のEXIF情報を表示した。デジタルカメラで撮影した写真データには様々な情報が付与されており、容易にその内容を確認できる――とわたしが知ったのは、つい最近のこと。
「残念。記録されていませんね。しかし目的地までの道程で撮られた写真が三枚ありますから、複数の調査方法が試せますよ。最初の写真は柿本さんを迎えにきた際に、家の前で撮られたもののようですが、住居がどのあたりかご存知ですか」
「行ったことはないんですけど、知りあいから聞いて……」
 鈴鹿さんはノートパソコンの画面を覗き見るような仕草をみせた。もしや地図の類を欲しているのではないかと考えて、断りを入れ、近くのデスクからタブレット端末をもってきて地図アプリを起動した。
「柊さん、気が利くね」スルガさんに褒められた。
 研究所周辺の地図が表示されたタブレットをテーブルに載せ、どうぞと鈴鹿さんに声をかける。
「ありがとうございます。えぇっと、柿本のマンションは、南区の二百年橋の近くでして……」タブレットに触れる鈴鹿さんの手つきはぎこちなかった。地図アプリを使い慣れていないのかもしれない。該当する場所の地図画像が表示されるまで時間がかかりそうだ。
 膝に手を載せて表示されるのを待つ。待っている間、調査依頼の概要をスルガさんに教えてもらった。鈴鹿さんの友人三名が行方不明になっている。三人が最後に立ち寄った場所は佐棟町に建つ古びた民家らしいが、正確な場所はわからない。佐棟町は数年前に市町村合併したこともあって面積が広いので、闇雲に探し回るのは無謀な行為だろう。しかしエンブレムを見つけだすまで、スルガさんは決して調査を諦めないはずだ。
 ――と、ここで疑問に思うのだが、イチイさんが建築家の作品を探し求めていたという話は聞いたことがない。ただし、写真の民家はかなり老朽化しているようなので、頷けない話ではなかった。イチイさんはアメリカのニューヨーク州にある〝バッファロー中央駅〟や〝バナーマン城〟といった廃墟スポットを見るためだけに渡米するような〝廃墟マニア〟と聞いているからだ。
 イチイさんは隙あらばカメラ片手に、国内外の廃墟巡りをはじめてしまう人らしいのだが、わたしの知る限りにおいてここ最近は廃墟巡りを行っておらず、姉である由加利さんが所長を務める樫緒科学捜査研究所を手伝っている。真面目に。勤勉に――とはいい難いけれども、ほぼ毎日研究所に顔をだして、なにかしらの仕事をこなしている。
「好楽商店街の東側にたつマンションですか。なるほど。たしかに二百年橋のそばですね」スルガさんがいった。
 わたしが回想している間に、柿本さん宅の地図画像が表示されたらしい。
「柿本さんのツイートに偽りがなければ、東条さんと、もうひとりの彼……雛岡(ひなおか)さんでしたっけ? 東条さんと雛岡さんのふたりが、柿本さんのマンションまで車で迎えに行き、合流後は寄り道せずに目的地へ向かったようですね」
「だと思います」と鈴鹿さん。
 わたしは姿勢を正して、ふたりの会話に集中する。
 スルガさんはタブレットからノートパソコンのディスプレイへ視線を移して、わずかに眉根を寄せた。
「ハンドルを握っているほうが、雛岡さんで、間違いありませんか」
「はい」
「レンタカーではなさそうですね」
「雛岡の車です。親の車を借りたのかもしれませんが、詳しいことまでは……」
「ご存知ない?」
「はあ。あまり」
「あまり、なんです?」
「あまり雛岡とは喋ったことがないので」
「顔見知り程度の間柄だったということですか。ちなみに、雛岡さんに対して、鈴鹿さんはどういった印象を抱いていました?」
「印象、ですか。雛岡は、あの、なんというか、大人しいやつでして、人が良いというか、断れない性格だからかもしれませんけど、みんなからよく〝使われて〟いたように思います」
「使われて? いじめられていたということでしょうか」
「い、いえ。いじめなんて悪質なものじゃなくて、都合のいいときだけ利用されていたというか。だから、多分、多分ですけど、雛岡は〝足〟として呼ばれたんじゃないかなって思うんです。このメンバーで行動するのは珍しい、というか、不自然に思えますし、柿本と東条は地方出身で、車をもっていませんから、だから……」
「ふたりが、雛岡さんをメンバーに加えたと」
「……えぇ」
 気のせいか鈴鹿さんが東条という名前を口にした際に、表情を歪めたような気がした。
「三人とも、筒鳥大学なんですね」はじめて口を挟んでみる。
「はぁ」応答は素っ気なかった。
 調査員であることを意識しての、わたしの初質問だったのに。
「そういわれてみると、写真に写っている雛岡さんの表情はあまり乗り気ではないように見えますね。運転席から顔をだしているのが雛岡さんで、もうひとりが東条さんで間違いありませんね?」
「はい」スルガさんの問いに、鈴鹿さんは画像を見ることなく答えた。
 代わりに、というわけではないが、首を伸ばして写真を確認する。雛岡さんはぎこちない笑みを浮かべていた。一方で東条さんは満面に笑みを浮かべている。白く、整った歯が印象的だ。異性からも同性からも好かれているに違いない。
「雛岡さんは生真面目な人のようですね。本人もそうだが、おそらく両親も生真面目で、しっかりした人なんでしょう。友人と外出するのに、アイロンをかけたシャツを着てきているくらいですから」と、スルガさん。
「そういえば……」斜め上に目を向けて、鈴鹿さんは一呼吸分の間をあけた。「服装に関していえば、雛岡はいつもきちんとした格好をしてました。ネクタイを締めて大学にきているのを何度も見たことがあります」
 雛岡さんの着ている服を確認する。なるほど。たしかに。ネクタイは締めていないけれども、雛岡さんはアイロンのかかったシャツを着ていて、身だしなみにはかなり気を使っている様子だ。
「二枚目と三枚目の写真は走行中の車内から撮られたもので、四枚目は目的地の玄関前。写真がアップされた時間から推測するに、柿本さんのマンションから目的地までは四十分ほどの距離ですね。幸運にも、三枚目の写真は出発から三十分が経過したころに撮られていますから、三枚目の撮影場所が特定できれば、幽霊屋敷と呼んでいる建物の位置を絞りこめますよ」
 そういって写真編集ソフトを立ちあげ、スルガさんは三枚目の写真を開いた。
 車内で撮られた写真だ。明るさは充分あるように思うが、ホワイトバランスが狂っているのか、やや青みがかっている。
「映画やドラマなどで、特殊なソフトを使ってぼやけた画像を鮮明にするシーンを見たことがあるでしょうが、あれって現状では実現不可能な技術なんですよね。色やコントラストを弄ったりシャープ加工をして多少見易くすることはできますが、そもそも画像データは手を加えれば加えたぶんだけ劣化するので、オリジナルより鮮明な画像へ作り替えることはできません。とはいえ、元が複雑で多面的ではない――たとえば数字や文字、シンプルな二次元図形といったものは、ぼやけかたにさほど差異が生じないので、サンプルを多く集めれば集めたぶんだけ、ぼやけた画像同士を比較・認証して、被写体の割りだしが可能になります」
「…………」鈴鹿さんはきょとんとした顔で見つめ返している。
 スルガさんの説明はうまく伝わらなかったようだが、ぼやけている画像そのものを使用して被写体を探るという手法は、画質の悪い監視カメラに映った車のナンバープレートの調査といったかたちで、すでに警察の捜査に用いられていると聞く。
「実際に目で見てもらったほうがのみこみ易いかな」スルガさんはノートパソコンの向きを変えて、画面の右上あたりを指差した。
 ディスプレイには東条さんの顔が大きく表示されている。写真は車の後部座席から撮られていて、助手席の東条さんは身体を捻って振り返り、カメラを見て、おどけた表情をみせていた。ぱっと見、スルガさんは東条さんを指差していると思ったのだが、指の先は少し右上にずれていて、ピントのあっていない車窓の風景に触れていた。
「電柱の地名看板、ですか?」鈴鹿さんが問う。
 スルガさんの指は、特徴のない塀と木々の中に埋もれるようにして立っている、緑色のプレートが取りつけられた電柱を指していた。
「地名の記された看板です。文字数は六文字だと判断できますよね。記されているのは、◯◯、◯丁目、そして一桁の番地でしょうから、撮影された場所の地名は漢字二文字であると推測できます。写真が撮られたとき、車は佐棟町に入っていたと思われますので、佐棟町内で漢字二文字の地名を漏らさずリストアップし、写真の地名看板を模して画像化して、意図的にぼかし処理を行った上でコンピュータ認証を行えば……ま、フォントや文字の間隔、それに色による滲みかたの差異といった問題はありますが、望む解答は難なく得られるでしょう」
 スルガさんがそこまで話したところで、所内の電話が鳴りだした。
 断りを入れて席を外し、わたしのデスクまで早足で移動して電話をとる。
 電話は樫緒所長からだった。耳に届いた所長の声はどことなく不機嫌そうで、疲弊しているように感じられた。
『筒鳥大の学生さんがきてるでしょ?』と所長。
 わたしは小声で応答する。
「鈴鹿さんというかたがきています。スルガさんとわたしで話を伺っていたところです」
『ごめんね、柊さん、急な依頼を引き受けて……というか、イチイが勝手に受けたのよ。相談もなしに。さっき筒鳥署の金子さんと話をしたんだけど、人探しなんだって?』
「同じ大学の友人が三人、行方不明になっているそうです」
『足取りが途絶えた建物を見つけることができたら、調査を終了していいから。人探しまではしなくていいからね』
「はい?」
『イチイが勝手に、調査料はいらないって話したみたいでね……廃墟の情報を提供してもらったお礼に無償で引き受けるといったらしいのよ。ったく、もぉ』
 所長のこぼした溜め息が不快なノイズ音に変換され、中耳を刺激した。受話器を耳から離して一呼吸置き、眉間に寄ったしわを取り除いてから再び耳へ近づける。
『引き受けた手前、とりあえず建物の場所だけは調べてみてくれる? でも、その先の調査はできないって丁重に断るよう、スルガくんにいっておいてね。もし有料で構わないというのなら話は別だけど。そのときは折り返し、わたしに電話――て――かな』
「え? あれ? もしもし? 所長? もしもし?」妙なノイズが聞こえて無音になったと思いきや、突き放されるように通話が切れた。一旦、受話器を戻して、しばらく経ってから樫緒所長の携帯番号にかけてみる。繋がらない。音声アナウンスから、電波の届かないところにいますと告げられた。
 ……どうしよう。
 話はまだ途中だったのに。
 しばしその場に留まって、折り返しの電話がかかってくるのを待とうかと思ったが、パーティションの向こうからスルガさんの声が聞こえてきたのでデスクを離れた。
「見つけた。これだ。酒坂二丁目。地名は酒坂で間違いない」
 おぉお。
 さすがスルガさん。
 早くも探りあてたらしい。

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