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世界の終わり #1-11 プレミア

 

          *

 携帯端末のライトがこんなに明るいとは知らなかった。時刻は午後九時。普段のぼくならテンションが最もあがっている時間帯だが、日没とともに視界が奪われる九州にきてからは、不安と空しさばかり覚える午後九時である。娯楽から乖離された空間に身を浸していると、時間の流れかたも変わって、ゆっくり進んでいるように感じられる。室内の壁には、燭台に灯る炎の揺らめきにあわせて、ぼくらの影が踊っていた。
「準備は整ったか?」
 荒木に訊かれた。
 端末が放つ光を周囲へ向けて、荒木と板野の表情を確認する。
 めぼしいフィギュアを選びだし、鞄の中へ詰め終えたぼくたちは、屋敷の主(あるじ)から案内された二階の一番奥に位置するカビ臭い洋室にて、敷地外へでる準備を進めている。
「本当にでて行くつもり?」不安げな声で板野が尋ねた。「さっきから聞こえるじゃない。人の叫び声みたいなのが。あれ、絶対にグールだよ。峰岸さんのいったとおり、グールが外を歩き回ってるんだって」閉じたカーテンの端を握る手は震えていた。
 外にでたくないって気持ちはわかる。わかるのだが、
「たしかにグールの声かもしれないけど、屋敷に残るほうが危険かもしれないんだ」
「リビングにいるグールだったら、大丈夫よ。しっかり繋がれていたんでしょ? それよりもわたし、髪を洗いたいんだけど。ねぇ、いってたじゃない、峰岸さんが井戸水を使えるって。車に戻るなんていわないで、朝までこの家にいさせてもらおうよ」
「ぼくだって、この家に残って朝を待ちたいさ。だけど信用できないんだよ。あの人は」
「それは、ま、わかるけど。汚いし、臭いし、近寄られたら臭い移っちゃいそうだし。それになんか怖い感じもする」
「見た目もそうだけど、問題は中身のほう」端末のライトが弱まった。ぼくは一歩前進し、状況を把握していない板野に、己の推測を語って聞かせる。「よく聞いて。ぼくらが峰岸さんだと思っていたあの人は、屋敷の持ち主なんかじゃない。偽物だったんだ」
「――は?」
「白石のいうとおりだ」荒木が横から口を挟む。「あの男は、峰岸の名を騙っている偽物だ。多分、おれたちと同じように、封鎖後に九州へ上陸して屋敷に忍びこみ、そのまま住み着いた口だろう」
「住み着いた……って。で、でも、見た感じ、ずっとこの家に住んでいたような雰囲気じゃない」
「屋敷に長く住んでいるのは事実だろうよ。忍びこむときに敷地を取り囲む塀に苦労したことを憶えているだろう? あの高い塀のおかげで、屋敷はグールや野犬の侵入を防げている。おそらく、あの男はその点に目をつけて、ここを隠れ家に決めたんだ」
 そうだ。そうだった。ぼくらは峰岸氏の屋敷に忍びこむ際、塀をのり越えるのにかなり苦労した。板野が塀越えを嫌がり、「無理無理、絶対に無理」と駄々をこねたことが記憶に新しい。
「周辺の環境もいいし、土地は広くて建物はでかい。おれも同様の立場だったら、迷わずこの屋敷を隠れ家として選ぶよ」
「え……でも。待って。ちょっと待ってよ」かたちのいい生えぎわを掻きながら、板野は質問を続ける。「大体、なんで? なんであの人が偽物だってわかったの?」
 困惑する板野の視線が、ぼくと重なった。
 その問いにはぼくが答える。
「あの人は、会話の中で間違ったワードを口にしたんだ。コレクターとは思えない、というか、あるまじき発言をしたんだよ」
「……ウルトラマンの話をしていたときのことをいってるの?」
「あぁ」
「どれも似たようなかたちをしていて、さほど違いがない、とか、いってたこと?」
「その部分じゃないけど――」この場で細かく説明する必要はないだろう。「とにかく、あの人が峰岸さん本人でないことはたしかだ。だからぼくらがコレクションを持ち帰りたいといっても反対しなかったんだよ。ウルトラ怪獣のフィギュアは、あの人にとってなんの価値もなかったんだ」
 眉根を寄せて、唇を尖らせ、板野は「うーん」と小さな声で唸った。納得していない様子だが、反論しないことからして、説明を受け入れてくれたらしい。
「わかったのなら、でる準備を進めろ」荒木がボストンバッグを抱えながらいう。「なにしろ、ここに住んでいる主は、捕まえてきたグールをリビングに縛りつけて、椅子に座って鑑賞するような輩だからな」
「うわぁ」露骨に顔を歪めて、板野は肩を竦めた。
 荒木のいったとおりだ。そんな人物に親切にされて、よかった、よかった、いい流れだなんていって、安堵していた自分が情けない。
「準備が整い次第、すぐにでよう。悪いが、板野。洗髪は諦めるんだな。できればあの男とは顔をあわさずにでて行きたいところだが――なぁ、白石。もしもヤツとでくわしたら、上手いこといって誤摩化してくれるか」
 え? ぼくが、「誤摩化す?」
「おれじゃ駄目だ。多分、口より先に手がでちまう」
「あぁ……」わかる気がする。助けてくれたときのことを思いだして納得。「うん、別に構わないけど」数的にはぼくらのほうが多いのだし、あの人も臭い息を顔に近づけて詰め寄ってきたりはしないだろう。
「よし、決まりだ。それじゃぁ各々、クラブをもって、部屋をでるぞ。板野、もう準備は整ったよな」
 鞄を抱えて髪を整え、板野はゴルフクラブを手に取る。
 ぼくら三人が手にもっているゴルフクラブは、ぼくと板野がフィギュアの詰めこみ作業を行っていたときに、屋敷内を探索していた荒木が見つけてきたものだ。荒木曰く、なにかあったときは、こいつを振り回して戦え、とのこと。
「行くぞ」
 ドアノブを握り、荒木が扉を開ける。
 扉の前には、峰岸氏の名を騙っていた男が立っていた。
「――あぁ」
 最悪の、展開だった。

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