過去は変えられないし忘れられない

通勤途中、地下鉄の構内で目にするG20開催決定のポスター。
見るたびにドキッとして、目をそらして下を見ながら早足でその前を過ぎる。毎日毎日、乗り換えの為に通らなければならないその道が、たった1枚のポスターで心の安心を邪魔する。

わたしが以前働いていたホテルは世界的には有名な外資系のホテルで、時たま外国の大使だったり、有名人だったりがやってくるような庶民のわたしからしたら場違いな場所だった。
大阪に来るきっかけをくれたのもここだったが、結局人生を一瞬棒に振るような経験をさせてくれたのもここだ。

わたしの事をかって採用してくれた部長さんは、心から尊敬できる上司だった。どうしてもコンシェルジュになりたいと夢を面接で話してから、半年くらいで移れるようにしましょうねと、入社して間もない頃から気にかけてくれ、”褒めて伸ばす”という事を徹底的にしてくれた。ゲストの為にした小さい事でも耳にするとすぐに「ありがとう、いいおもてなしのしかたでしたね」と声をかけてくれたり、現場に積極的にでてきて、どうしたらお客さんがスムーズに動けるかを率先してお手本を見せてくれる、そんな憧れの人間で、ホテルマンだった。

そんな日常がずっと続き、コンシェルジュの研修の話が出たり、異動の時期がぼんやりと固まりつつあって、約束の半年がもうすぐ来るところで日常が突然無くなる事を知った。
「Y部長辞めるんだってー。新しくできる系列のホテルに引き抜かれたってよ」
そんな声があちらこちらから聞こえてきた。
そんな。
わたしが目標にしている人がいなくなってしまう。
ショックだった。
そしてそれは噂ではなく現実で、新しい部長を引き連れて引き継ぎが始まったとき、不安で心がいっぱいになった。

その不安は当たってしまった。
「コンシェルジュの話はきちんと引き継いでありますから、○○さんらしく頑張ってくださいね。応援してます。」
そんな一言を残しY部長はホテルを去った。
新しい部長が早速手直しを始めた。
現場の事を一切考えず、自分の出世の為にわたしたち駒を動かし始めたのだ。今までの暖かい雰囲気を180°変えてしまった。

彼は自分の出世しか考えていない子供な大人だった。

最初の数週間はわたしのコンシェルジュの異動の事を覚えていてくれた。
それがある日突然無くなった。コンシェルジュの次長から「あの話なくなったから」それだけを告げられ、わたしはただのベルガールに戻った。
更に「○○さんってまだ学生だっけ?」と言われ、この人には人の心を感じる力が欠乏しているんだと飽きれた。これでも4年制の国立大学出てますという勇気はわたしになかった。それだけ強ければあそこを辞める事はなかっただろう。

G20の誘致を大阪が始めた頃から部長は更におかしな方向にシフトチェンジを始めた。
どうしても使われることが決まっているホテルをいかによく見せるかに必死だった。働く人の気持ちを考える事もなく。
Y部長が”褒めて伸ばす人”だったのに対し、彼は”粗探しと犯人探しの達人”だった。
日々の努力を褒める事は一切せず、なにか起きたときに犯人を探しみんなの前で吊るし上げ、常によい事をしていてもそんなことは関係ないという体で、わたしはどんどん心を病んでいった。
何をするにも怯え、ゲストに接する事が怖くなった。
よかれと思ってした事が問題になり、彼にみんなの前で吊るし上げられることが怖かったのだ。

そうして、周りの偉い人たちも彼に洗脳され変わっていき、毎日粗探しされ少しの油断も許されないようになったある日限界がきた。
前日の仕事でぼろぼろになり、帰宅してから100ヶ所近く自分を切り刻み、手元にあった睡眠薬と抗鬱薬を一気に飲み干し、翌日初めて仕事を休んだ。
偉かったのは病院に行った事。
そこで先生の前で泣き続け、「仕事お休みしましょう」といわれたができなかった。そこは間違いだった。
人が足りていないだけなのに、それを必要とされていると勘違いして這ってでも仕事に行こうとした。

それでも2日休んで仕事に行き、精神面はずっとボロボロで生きるか死ぬかの状況を半年繰り返し、2回目の限界が来たときにはもう再起不能な状態だった。またしても病院で大泣きし、今度は無理だと感じて診断書を受け取った。逃げるのは嫌だった。それでも本当にストッパーが効かずいつ自殺してもおかしくない状況だったから、逃げたのは正解だった。

直属の上司に診断書を出すのが怖くて前日は眠れなかった。その上司は何も悪くないのだ。強いていうなら彼に黙って従ってしまうのが悪いところだろうか。
上司は本当に心からおそらく心配してくれた。
入社時から打たれ弱いわたしは大丈夫かと心配していたそうだ。言ってくれたら違ったのにと思ったのはわたしだけだろうが。

そして休職する事になり、限界をとうの昔に超えていたわたしはたいしょくをすぐに決めた。3週間実家で療養し、GW明け大阪に帰り仕事を辞めた。
退職の手続きで会社に行った際彼に形ばかりの挨拶をした。
心配している様子は全くなく、僕は気付けなかったよ、ごめんね。と心の全く籠っていない挨拶をもらった。
受け取る事もなくゴミ箱にすべてを捨てた。
こんな人の事を考えられないホテルマンがいるのかと悲しくなったのと同時に、世の中色んな人がいるんだと改めて考えさせられた。

毎朝ポスターを目にするたびに彼を思い出す。
自分の理想を掴む為にわたしの人生を踏み台にした彼を。
思い出したくもないのに思い出して涙がこぼれそうになるのを必死にこらえる。
いいんだ、別の業界で一流になってやる。そう決めたのに心をえぐっていく。
悔しいことに彼の夢はトントン拍子に叶っていく。
どんどん自慢できる肩書きや功績が蓄積していく。

そんなくだらないことに振り回されている自分がバカらしいが、それで願わずにはいられない。
”おまえもこの思いをしてみろ”と。
夢をつぶされ、心をえぐられ、3ヶ月もの間無職でいた人間の気持ちを知ってみろ。
と思ったが、彼にはそれを感じる心はないのだ。残念ながら。

乗り越えろ、いい経験じゃないか、若い頃の3ヶ月なんて一瞬だよ。
気軽に周囲に言われる。
それは経験してない人だから言えるのだ。わたしはいまだに心が完全に立ち直ってはいない。この先立ち直ることはあるのだろうか。
この経験もG20の文字も。
見るたびに彼を思い出すんだ。
粗探し犯人探しの達人部長を。

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