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【竹内栖鳳】余白 沼津の猫 鮮魚の色彩 弟子への愛 《文筆家のような言葉》


 

山種美術館の特別展で、美しい絵の横に「栖鳳のことば」が添えられていた。そのことばも美しく、栖鳳が見た「景色や生物」その美しさに対する感動と愛がひじょうに伝わり、絵の美しさをより際立たせていた

これほど文章が美しいということは、絵にとどまらず栖鳳は文筆家になっても十分素晴らしかったのでは?!と思った

【特別展】没後80年記念竹内栖鳳
山種美術館 2022年10月6日(木)〜12月4日(日)

 ※会期中、一部展示替えあり
前期10月6日(木)-11月6日(日)
後期11月8日(火)-12月4日(日) ←後期鑑賞


一声を大にして言いたい展覧会みどころ一

1   栖鳳のことば
2  上村松篁《白孔雀》という傑作


一展覧会でより分かった栖鳳のこと一
沼津でたまたま出会った猫LOVE
自然 LOVE 
紙・にじみ LOVE
余白 LOVE
色彩 LOVE
魚 LOVE
鳥LOVE
蛙LOVE
弟子 LOVE

栖鳳の言葉から滲み出る人間性が素敵で、
ますます栖鳳という画家が好きに
「栖鳳のことば」とともに好きな作品を紹介
 ※「ことば」は一部作品にて紹介されていた



竹内栖鳳作品集
「栖鳳の言葉」が良すぎて、言葉が掲載された作品集を購入
美しい随筆を読むかのごとく言葉を読みたくて買った
展覧会で紹介しきれなかった栖鳳の言葉の詳細が載っている

この展覧会には図録は無く、
山種美術館所蔵の栖鳳の作品集を販売
作品集はミュージアムショップかこちらで購入可能




※逆に展覧会に展示されていて作品集に載っていなかった
「栖鳳のことば」もあった


【展覧会の構成】
第1章 竹内栖鳳
第2章 栖鳳をめぐる人々の作品
・栖鳳が活躍する以前の時代の京都画壇の先人たち
・同時代に活躍した画家たち
・栖鳳の弟子たち
・国画創作協会

それぞれの作品を通して京都画壇の流れを展示




【栖鳳の作品】


◼️沼津でたまたま出会った猫LOVE


班猫 竹内栖鳳  1924年(大正13年)山種美術館 
重要文化財

※当日、この写真だけ写真撮影可だった

展示室の入口近い場所に展示
すぐに目にした栖鳳のことばに感動!!
なんて思い伝わる文章。文章としてひじょうに名文!
班猫の背景をここまで知ると感慨深さにひたる



一栖鳳のことば一
『初秋の午後、わたしは沼津の町を歩いていた。
八百屋の前を通りかかった。するとその八百屋の前に置かれた れわれ 車の上にあの猫が寝ていた。吾々は年中方々で猫は見ているが、あの猫はわたしの画材となるには恰好の猫だった。
つまり、わたしは、あの猫をその荷車の上で見た瞬間、
わたしの表現欲はムラムラと胸に湧いて来たのである。

むろんこの瞬間の心理には、もう少し説明を要する。
それは、画家というものは、自分の表現欲をそそるに足る対象物に出遭うと、我知らず 「ああいい猫だ!」と言ったりするものである。山を登る人が、山の絶頂へ着いて、 眼下に八州の平野や紺碧の海を見亘した時「ああいい景色だ!」と讃嘆の語を発すると同じである。だがわたしは、その荷車の猫を見た時、無意識に「ははア・・徽宗皇帝の猫がいるぞ」と言ったんだそうだ。(中略)

徽宗皇帝とはかの有名な支那宋代の花鳥画の名画人である。
事実わたしはその場合、その猫が現実の動物ではなく
徽宗皇帝の描い た猫の絵に見えた。だから考え方によって、
徽宗皇帝の猫は、それほどまでに真迫の作品だとも言える。
ともかくわたしはその場に踏ン立ってスケッチを始めた。
そして宿へ帰っただがどうしてもその猫を諦めることが
できなかった。街上に踏ン立っての写生位では、
核心までその猫が薦めていないように思われて残念だった。

枕に就いても、その猫のことを考えると、
その猫のよさは無限であるように思われた。
それでわたしは宿の人に頼んでその猫を買い取る交渉を始めた。だが生憎と、その猫はその八百屋のカミさんの手飼いの愛猫で、容易に手離してくれない。

八百屋の主人はわざわざ猫を宿まで連れて来てくれたが、
猫にしては住居の様子がヘンなので、暴れ廻って、
主人の手を掻きむしって、流血の騒ぎを演じた。だが、
再三交渉 を重ねた結果、わたしの人物を説明して、
一枚の絵と猫とを交換して貰った。

そして沼津から京都へ連れ帰り
日夜座右に遊歩させてあの作品を造った。
むろんその猫はもうわたしの家にはいない。

あの作品を仕上げると間もなく、わたしは東京へ出た。
その不在中、猫の行方は不明になってしまった。
ナンだか、わたしには、あの猫は、本物の猫ではなく、
誰かから、徽宗皇帝の掛物を拝借して、
それを返してしまったような気がしてならない。
(「凉台小話」「『文藝春秋』十一巻八号 昭和八年八月)




◼️自然LOVE


《城外風薫》竹内栖鳳 1930年(昭和5年) 山種美術館

運河が発達し、複数の水路が市街を通る蘇州は、
橋が多いことで知られた地域。1920、21年の栖鳳自身の
中国旅行の体験をもとに、橋の情景と街を行き交う人々の姿を
描いた作品
公式Twitterより

念のため、、現物はもっともっと綺麗色!!
木のなんともいえない深い黒に近い緑が綺麗

一竹内栖鳳のことば一
所謂名所を離れてしまった蘇州そのものの風物が
たまらなくいいと思います。(中略)
少し離れた立場から全体にまとめて見ますと、
山河の自然と人間の生活とが溶け合ってそこに統一された
いい表し難い面白い味があります。(中略)
その情趣は真に柔らかな南支那らしい気持ちです。
つまり廃頽しきった中にも整った古典的な美しさが
少しも乱されずに保たれているとでも申しましょうか。(中略)唯単に眼に見えているその美しさその色彩それのみが尊い、
即ちいいかえれば、純粋に色彩によって統一された
美の世界とも申せましょう

支那漫遊について語る栖鳳画伯(上)竹内栖鳳画伯
日出新聞1921年6月27日




潮来小暑 (いたこしょうしょ) 竹内栖鳳 1930年(昭和5年)山種美術館



一栖鳳のことば一
潮来風景
比較的近年私の風景画の材料に感興を覚えた地方は
水郷潮来出島である。私は3度潮来へ出掛けた。
その都度相当に長滞在をしてしまった。(中略)
画家として私があの水郷を舟に乗り、
微に入り細に入って観歩いていると、
至る処画趣に富んでいて飽きることを知らない。

画趣豊かな地方を観歩くということは、
画家にとっては最上の幸福な生活なのである。(中略)

潮来出島と支那揚州とはよく似通っている(中略)
私は毎日舟に乗り、スケッチブックを抱えて
潮来水路を観歩いた。そよ風の晴れた朝。無風の曇った午後。
水に生えた蘆原に沛然(はいぜん)と豪雨が降りそそぐ。
夕暮に月を観ながらこの蘆原を漕ぎ分けて行く。
これは全く支那画情緒そっくりで、
もし明笛の音でも聴えて来るなら、
これは日本ではなく支那である。(中略)

潮来は日本の画家に豊富な画材を恵んでいる。
文藝春秋10巻4号 1932年4月





栖鳳が 「その時感動した」美しい景色が、絵から、
そして添えられた言葉をもってより臨場感を伴いながら
時空を超えて目の前に広がる

こんなにも愛していたんだなぁと
在りし日の感動に思いを馳せずにいられない

このことばで初めて潮来を知った。行ってみたい!!
茨城県 潮来の景色 ↓





◼️紙LOVE


晩鴉 竹内栖鳳 1933年(昭和8)山種美術館 

栖鳳が好んだ茨城県の水郷・潮来に取材した水墨画
公式Twitterより
左下部分拡大
左下に濃い墨で描かれた鴉(からす)に注目!
本来は後ろに突き出すはずの尾をわざと下へ向けることで、
単調となりがちな水墨風景の画面の力点としたのだと
栖鳳自身が語ってる
公式Twitterより

この作品、黒だけでシンプルであるものの、
カラスのアクセントと滲みが綺麗



水墨山水  竹内栖鳳 1933年(昭和8)山種美術館
近くで見ると木の表情が素晴らしかった
コントロールが難しいであろう
「にじみ」をこんなに綺麗に活かせるの凄い


一栖鳳のことば一
紙に就いて
雅邦さんも雅邦紙というのを使っていられたと思うが、
あれは確かドウサを引いて使われた筈である。
ドウサとは膠(にかわ)と明礬(みょうばん)とを
湯で溶かして、紙なり絹なりに塗る。にじみを止め、
絵の具の着きをよくする。 しかしわたしはそのドウサを使わず、かつまた純白の 紙を使いたいと思った。

古人も奉書紙を使っている。 だから奉書紙などもいろいろ使ってみたが、どうし あれは水含みが強くて都合が悪い。丁度いい具合に、 越前の岩野製紙所主が篤志的に、わたしの希望に添う ために、各種雑多の紙を漉いてくれて、それをわたし は試してみて、現在の栖鳳紙に逢着したワケである。 
(「涼台小話」 『文藝春秋』十一巻八号 昭和八年八月)







◼️鳥LOVE・余白LOVE


風かおる 竹内栖鳳 1937年(昭和12年) 山種美術館
新緑の柳と電線に留まる燕。
新緑の柳の葉の明るい緑色が際立ち、爽やか
そよぐ葉の動きから吹いている風も感じられる
羽は一筆ではなく何度か重ねていて描かれていて、
羽毛の厚みとふわふわとした質感が伝わってくるよう 
チャームポイントの尾っぽにもぜひご注目
公式Twitterより

題名も素敵!
現物は柳の葉が立体的(厚みがある)に描かれていて、
色の鮮やかさが美しい!!




一栖鳳のことば一
省筆

日本画は省筆を尚ぶ(たっとぶ)が、
充分に写生して置かずに描くと、どうしても筆数が多くなる
写生さえ充分にしてあげれば、
いるものといらないものとの見分けがつくので、
安心して不要な無駄を棄てることができる



一栖鳳のことば一
余白
東洋流系の絵画は、
画面に描かれた部分だけが全部となされないで、
余白をも絵の一部と解釈されてる。
余白のあつかい方で、絵が活きもすれば死にもする。
神崎恵一 栖鳳語録 国画 2巻9号1942年9月



一栖鳳のことば一
写生

写生とか、写意とか、いろいろいうが、
私はただひっくるめて写生という言葉を使っている。
自然のもの、画家が鷺にしても、兎にしても、鶏にしても、
見る度び毎に異って色々のものが新たに見えてくる。

写生することによって新しい、いい発見が出来る。
しかし、画家は自然のものをみつめて
其の深さを知らねばならぬが、又反対に、
そう見詰めずに深さを知るということも、
写生にとって大事なことである。

余り見つめると物が静止してしまうことがある。
例えば私は鳥なら鳥をよく写生するが、
絵に画く時には鳥を側へ置きはしない。
そうすると、外部に現れていても、
自分の眼に見えないものが見つめずして
かえって見えて来たり、知れたりするものである。

村松楓風 竹内栖鳳論 竹内栖鳳画伯の印象中央公論 
51巻7号 1936年7月



梅園 竹内栖鳳 1930年(昭和5年) 山種美術館
栖鳳は、昭和初期頃、銀潜紙(ぎんせんし)と呼ばれる
特殊な紙をしばしば使用していました。本作品もその一つ。
紙に金属の砂子を漉き込むことで、落ち着いた輝きの画面に
公式Twitterより


とにかく、紙が綺麗なのと、鳥がカワイイ
ホント、鳥がカワイイ(何度も言う)
栖鳳の鳥LOVEが伝わる
これも余白の美なんだよなぁ天才



秋夕 竹内栖鳳 1929年(昭和4)頃 個人蔵
公式Facebookより

色づいた葉の色と、鳥の「白」コントラスト
ホント、、色彩が素晴らしい





◼️魚LOVE

個人蔵はもう見られないかもしれないし、
図録もないので記憶にやきつけるしかない!!と、
穴が開くほど鑑賞


竹内栖鳳 海幸(うみのさち)1926-1942年頃 個人蔵

 展覧会開催前から楽しみにしていた作品
色彩の美 見られて良かった!!



一竹内栖鳳のことば一
鮮魚の色彩画家は色彩に対して敏感である。
画家というものは、普通人が、美しいとか、
綺麗だとか感ずる以上に、もっと突き進んで色彩というものを
研究しなければならない。

新鮮な魚の色は本統に美しい。見れば見るほど美しい。
吾々はよくそうした新鮮な魚を市場で見て美しい色だと思う。
しかし、あの魚を海岸で今捕ったばかりのトコを見ると、
市場で見るよりも更に美しい。陸の花よりも美しい。
だから私は魚が海の中に住んでいる時は
どんなに美しいのだろうと想像をめぐらせている。

画家にとっては宝石のみが美しい存在ではない。
そしてまた私は、こうして海から上がったばかりの魚を
ときどき海岸で写生してみるが、
その色彩の美は実に刻々と退化していく。

だから、魚の本統の美しさというものは、
陸へ上げられた瞬間だけだと言える。
涼台小話 文藝春秋 11巻8号 1933年8月





一わたくしの勝手にアンサーことば一
同意、過去にワープして〈激しく同意〉と伝えたい
栖鳳の描く魚の絵が好きなのも、
栖鳳の言葉が心を直撃するのも、
同じ感覚で魚を見ていて、
その愛情にシンパシー感じていたからなんだなと。

この言葉を知る前から伝わっていた栖鳳のアツい思い
新鮮な魚が綺麗だと同じように思っていて、
絵とともに美しく言葉に残されているのが嬉しい限り
さかなクンにも伝えたい笑

この言葉で栖鳳好きが増しに増した



◼️蛙LOVE

緑池 竹内栖鳳 1927年(昭和2年)頃 山種美術館

作品の周りの空間さえも静けさを感じる作品
じーんと染み渡る美しさ
本物はもっともっと色彩の美!


(参考)酒井抱一「絵手鑑」『蓮池に蛙図』江戸時代
静嘉堂文庫美術館 

静嘉堂創設130周年・新美術館開館記念展
響きあう名宝 ―曜変・琳派のかがやき―
ちょうど蛙のこの絵を見たばかり

ぶらぶら美術館で山田五郎さんが、
「若冲は蛙を描くのが唯一の弱点だった」という話をされていた

逆に、栖鳳も抱一も間違いなく蛙描くの得意だなと!!
どんなに素晴らしい画家も画題によって
‘得意不得意’ があるのだなぁ、、という興味深さ




【栖鳳をめぐる人々の作品】


■同時代の画家の作品 


三越が企画し、実現したという
巨匠3人による合作
横山大観は力強く存在感のある松
川合玉堂は風になびくしなやかな竹
竹内栖鳳は可憐な花をつけた梅

とくに川合玉堂の「 竹 」とても綺麗 他の作品も見たい
横山大観「松」は独特の ’けばけば’ と濃い黒のインパクト!



◼️弟子LOVE

優れた教育者でもある竹内栖鳳

西村五雲 白熊 1907年(明治40年)山種美術館
※栖鳳の弟子


一栖鳳のことば一
五雲君のこと五雲君は誠にええ気持ちで会える人だった
円くて悟りが早い人だったから
会ってもくどくど話さないで解り合える気がしていた
大変遠慮深い人で、話しかけると後しざりばかりしている様な…

(中略)五雲君は出品に向かうと必ず今の執着が強く出て来て、もうそこに日が迫ってきていても、
まだ写生して歩いているという風だった。
だから出品がとかく少なかった。

或る場合も、五雲君は出品が尠ないからという
批難が出てきた時など、私は五雲君の出品は成程尠いが、
出品しないでいても出品したと同様な製作の苦心をしてる。
惰性に惹擦られた(ひきずられた)様な
出品をたんとしている人以上に苦心してる、
と言って説明したことがあった。こうした五雲君の態度が、
見方が、その作品に五雲君独自の深みを作り味を作ったのだ。

塔影 14巻12号1938年12月


先生優しい〜〜




一栖鳳の弟子福田平八郎のことば一
絵専時代・写生栖鳳先生を追憶して

栖鳳先生には絵画専門学校でお世話になった。
その後も先生に草稿を見て頂いたこともあるが、
先生は生徒の長所短所を実に良く見ぬいていられ、
私なども作品の欠点を指摘され、
その都度頭の下がる思いがした。

先生の生徒を教導されるのは実に親切で、
作品をみて頂くと、先ずほめられる。
そうして、生徒の頭が落ついたのを見はからって、
ビシッと欠点を指摘される。
教えられた者は、和やかな気持ちのうちに
翻然と悟るところがあったものである。
日本美術 1巻6号 1942年10月




◼️上村松篁のこの絵に出会えて良かった!!

上村松篁《白孔雀》1973年(昭和48年)山種美術館

とても高貴で美しく神々しい
ため息が出る。天国の鳥感。花がハイビスカスなのも斬新
この作品を見るためだけに行ってもいいほど美しい
今回の展覧会でこの作品を知ることができて良かった
上村松園の息子も画家で、こんなに素晴らしい絵を描いていたと初めて知った
※サイズ感はこちら 過去のブラ美の画像
だいぶ大きい



開館55周年記念特別展
「上村松園・松篁美人画と花鳥画の世界」
2022年2月5日 (土) ~ 4月17日 (日)で
この作品が展示されていたと知った

↓たまたま見つけた上村家の漫画面白いw




志ぐれ 入江波光 1937年(昭和12年)山種美術館

時雨(しぐれ)は、晩秋から初冬にかけて
降ったりやんだりを繰り返す雨
京都の画家・波光が描く


画像が不鮮明だが、とても綺麗な作品だった
枝に止まる鳥、色合い、美


さいごに


余白のことや、 写生で対象を見詰めることについての言葉は 絵を描くということだけにとどまらない、大事な要素を感じた

感性が鋭い方が見えるもの、感じるもの、
それを的確に表す言葉 それ自体が芸術の展覧会
紀行文や随筆などあったら読んでみたかったな~景色が広がる言葉


栖鳳以外の知らなかった画家の美しい絵との出会いもたくさんあり、興味が広がった。今後が楽しみ!!


(参考)今回の展覧会前にまとめた記事



(参考)竹内栖鳳と同様に、絵だけでなく
   言葉の表現に感動した画家ヴラマンク


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