ひとって、それぞれの視界があるのだな。視界が違うと地獄にも天国にも……
ちょっと前から、人と接していて思っていた。人ってそれぞれの持つ「視界」がある。
私が、そう思うのは 職場などで人間関係の問題が起こると、それぞれが相手の「これからの動き」に対しての予想や期待が、ヒューマニスティックに温かかったり、どこかのサスペンスドラマみたいに殺伐としていたりすることだった。
例えば、私と相手でケンカが起こる。
それぞれの関係性やケンカの内容にもよるが、私のケンカ相手がAさんだった場合は、Aさんは「もう この人間関係は終わりだな」と思う。
Bさんがケンカ相手だった場合は、Bさんは何食わぬ顔をしながら相手の出方を冷静に見て待ってたりする。
Cだった場合、Cさんはなんとケンカのことは、すっかり忘れていて、話にもすんなり乗ってくる。
Aさんは、仲直りになると「あれ? 」という顔をする。
Bさんは、相手が謝ってきたり、歩み寄ってきたりすると「うん、待ってたよ」などと微笑む。
Cさんは、全くケンカなど気にしない。日常茶飯事のことだ、のような顔。
Aさんは、その今までの環境をバラすとエリートで、今まで競争が多い環境。大人になってからも政治家などの集まりに手伝いに行っていた。
Bさんは、若い頃から職場でチームワークのなかに居たベテランで、好みは人情家のドラマや、スポ根もの。
Cさんは、若い頃、野球をやっていて、ぶつかり合いは多かったが、スポーツ好きで、はきはきした性格を持っている。
この3人を並べると、これを読んでいるあなたは、どう感じるだろうか?
ここからは、私の経験と性格分析が入ります。
Aさんは、喧嘩の後を見ているとまるで、サスペンスドラマや、ほの暗い小説のなかの世界に居るような「視界」を感じた。
「人情などそんなものあるか? 」と、言っているよう。
頭は良いのだけれど、学園ドラマのような「感動するような仲直りなんて無い」と、思っているよう。
そのAさんの世界に接していると、私もすこし、人間不信になったり。
Bさんは、こちらが謝るときは こちらの様子を冷静に見ていて、こちらの動きをAさんのように悪いように決めつけてはいませんでした。
「色々な人がいる」というのを分かっていた。
相手の心の動きをよく見ていて「人間性」を観ていた。その上で「こいつは、話がわかる」と、見ると受け入れてくれるけど、喧嘩相手が、ただ被害的になると相手にしない。相手にしたってこちらが悪者にされるだけですから。
Cさんは、後腐れないのがいいのか、そこまで深堀りできなかったけど、どちらにせよ、根に持つタイプではなかった。さっぱりしたタイプ。
温かさでいったら、Bさんが1番で、人間関係の年季もあるだろうけど、人をよく見ていて、ケンカも仲違いや仲直りが上手い。ケンカ慣れのいい感じのベテラン(暴力無しで)。生きた人間をちゃんと見てきた印象。それだけに、人に対して熱いものがある。
Cさんも、人慣れしてるけど、さっぱりあっさりしすぎてて、サラサラと人と付き合っている。
Aさんは、読み物やドラマのなかから見て考えたような人間関係に走りがち。本を読んだり、ドラマを観たりで考えてきたので相手を「そういう人」と当てはめて考えてしまうのが早い。勿論、今までの人生で、人を見てるけど浅くて Aさんがアップデートする人間の「測り」が、テレビや本で、しかも、世知辛いもの。いわゆる「暗い」。いくら、Aさんが冗談をいって人と付き合えても暗い印象でした。
わりと、人の話してること、内容、感想を聞いているとその人の人に対する感受性が分かります。
辛いことばかりで、世の中に対して悲観的だったり、温かい人情に囲まれて 本人も人懐こかったりする。いわゆるペシミスト(厭世家)とオプティミスト(楽天家)。
私は、どちらかというとオプティミストが好きです。
それと、人間の脳でさえも 物理的に次々とアップデートしていくので、数ヶ月前の「わたし」は、存在しないらしい(ヨガの先生談)。囲まれている世界が暗かったり、明るかったりすると簡単に人間は「洗脳」されます。
だから、人は「周りにいる人を見ろ」というのでしょうが、
できれば、自身が太陽のように、
「自己発熱」出来るような明るく温かい性格だったらいいですね(この言葉は、誰かが「自家発電できる性格(明るさを自分で作れる性格)がいいな」と、言っていたことによります。周りをほの暗い世界に見てしまうのも、明るい世界に見るのも自身かな? と、思うので。
けれど、自己発熱できる、そんなに強い人間になれるかどうかも私は自信がありません……。
トップ画像は、
メイプル楓さんの
「みんなのフォトギャラリー」より。 ありがとうございました🍀🍀🍀
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