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さよならポニーテール、また会う日まで

この旅に出るにあたって、私は髪を切った。
正しくは切ってもらった、なんだけど。

ここ数年は持ち前のめんどくさい精神のせいで、美容室から足が遠のいていた。
染めたりパーマをかけたりなんてせず、地毛のまま前髪もすべて伸ばしていた。
メンテナンスカットも半年に一度のズボラぶり。

というわけでなかなか長く、もう少しで腰につくんじゃないかな、というところまで伸びていた。

そんな伸ばし放題(でも綺麗だったという自慢)の髪だが、切ろうかなと考え始めたのが5月のこと。
それでも、せっかくここまで伸ばしたのに切っちゃうのはもったいないな〜なんてうだうだとしていた。めんどくさがってて勝手に伸びただけなのに。


ちょうどその頃、知り合いの小学生女子が腰まであった髪をバッサリと切った。男の子かと思うくらいに。

わあ!似合ってる!さっぱりしてていいね!これから夏だもんね!
そう口々に褒めるわたしたち大人に向かって、その子はニコニコしながら

「ドネーションしたの!」

と言った。

ああ、その手があったか!
私はその日からさっそく、ヘアドネーションについて調べはじめた。

ヘアドネーション(英: Hair Donation)とは、小児がんや先天性の脱毛症、不慮の事故などで頭髪を失った子どものために、寄付された髪の毛でウィッグを作り無償で提供する活動。出典:Wikipedia


日本にもヘアドネーション団体はいくつかあるが、だいたいどこも31センチ以上の長い髪を求めている。

この長さは、頭をすっぽりと覆う全頭用ウィッグに用いる毛髪の世界的な基準「12インチ」をセンチメートルに換算した数字、らしい。


ただ、31cm未満でも、シャンプーやトリートメント剤、カラー剤の開発に不可欠な「評価毛」として、また美容師さんが練習で使うカットマネキンの素材として転売することで役立ててられる、らしい。
それはウィッグ製作費の一部となる、らしい。

そして軽く引っ張っただけで切れてしまうほどの極端なダメージがなければ、年齢や国籍、性別、髪色、髪質を問わず、クセ毛やグレイヘア(白髪)でも問題なく使用できる、らしい。

わかりやすい寄付や募金が苦手なわたしはいつも「災害支援!」とかそういうのに積極的に参加できなくて、見て見ぬ振りをしてきた。
わたしの力なんてちっぽけすぎるし、ちっぽけなもので支援した気になるのも嫌だ、なんてつまらない自意識をこじらせていた。

そんなめんどくさい性格のわたしでも、髪の寄付ならできると思った。
わたしが不要になったものを勝手に送りつけるだけなら「やってあげた」なんて気持ちも生まれずに済むだろうし、証明書の返送を希望しなければ、ウィッグになったかどうか知る由もない。
それくらい、寄付という「よいおこない」と自分とを、切り離して考えたかった。

そんなふうに調べて考えてしているうちに、自然と髪を切る決心がついた。
それも、中途半端なボブではなく、襟足が見えちゃうくらい、潔く。
理想はジュリエッタ・マシーナくらいまで。



6月の中旬に、いつもの美容室を予約した。
いつものと言っても年3回ほどしか通ってこなかったが。

その日までは、毎日そわそわしていた。

暑苦しいなと毎日感じる、この長い髪。
まっすぐでサラサラで艶があっていいわね〜とよく褒められる、この長い髪。
毎日のシャンプーとドライヤーがめんどくさすぎる、この長い髪。
いろんなヘアアレンジが楽しめる、この長い髪。


切るとは決めたけれど、やっぱりなんだか寂しくて、惜しい気持ちが出てきてしまう。

そんな名残惜しさを抱えたまま、当日を迎えた。
大嫌いな梅雨のある日、北青山に位置する赤い屋根の可愛らしいサロンで、わたしは自分の長い髪の毛とさようならをした。

いつもの美容師さん(半年に一度しか会わない)に、
「ほんとうにいいの?」
と何度も確認されながら。

そんなに聞かれると迷っちゃうじゃん〜!と心の中で叫びながらも、
「だって、ヨーロッパの硬い水でギシギシになったら嫌だもん」
なんて答えて、とにかく切ってもらった。

襟足のほんとうにギリギリのところで、髪をいくつかの束にして。

ジョキジョキジョキ
ジョキジョキジョキジョキジョキ
ジョキジョキジョキ

あっという間に、髪の毛がなくなった。
もちろん完全にはなくなってないけど、なくなったと錯覚するくらいには短くなった。

「なくなっちゃった!髪の毛なくなっちゃった!」
子どもみたいにはしゃぐわたし。

「かなり雰囲気かわったから、今までとは違う系統の服も楽しめそうだね〜!」
そう言いながら写真を撮ってくれる美容師さん。

確かに!
すっきりとして大人っぽいシンプルな服も嫌味なくまとまりそうだし、逆にゴテゴテっとパンチのきいた服もかっこよく着こなせるかもしれない。

友達はなんて言うかな、職場の人にはどう思われるかな、スッキリして気持ちいいから大人っぽいお洋服とか買っちゃおうかな、なんてあれやこれやと考えながらお会計をし、外に出ると雨がやんでいた。

「あれー、めっちゃくちゃいい天気になってるじゃん〜!」

美容師さんがそう言った。
偶然なのは百も、いや億も兆も承知だが、世界がわたしを、わたしだけを応援してくれているかのように感じた。

切ってよかった。
シベリア鉄道で6日間シャワーを浴びられなかったから、と言うのももちろんあるけれど、それ以上に心境の変化があった。潔くなれた気がする。

先の小学生女子には
「あーっ真似したなー!」
と言われてしまったけれど。





大多数の女性が表参道の美容室に通うのはどうしてなの、と聞かれたことがある。確かに、わたしも青山界隈か銀座のサロンしか通ったことがない。


なんでだろう、と考えてみたら「女の子は美容室にエンターテインメントを求めている」からなのかもしれない、という答えが浮かんだ。


ちょっぴり自分に自信がなくて、それでも背伸びしたかったり、理想の自分に近づきたい気持ちを抱えてる、そんなたくさんの女の子、ひいては人間にとって、美容室は自分が主役になれるディスニーランドのようなところなのだ。

となると表参道のサロンが人気なのもよくわかる。
だって、あの界隈は歩いてるだけでまあまあ背筋が伸びるというか、安心して楽しめるけど住宅街ともほかの繁華街ともちょっと違う、どこかシャンとした雰囲気があるから。

“非日常”

大げさに言えば、そういう類のものを、女は、わたしの中の女は、人間は、求めている。

俗に3Bと呼ばれる、3大付き合ってはいけない男の職業(バンドマン・バーテンダー・美容師)、に数えられてしまうほど、美容師さんは女の子をときめきかせ、自信をつくり、非日常を提供しているのだ。まるでマジックをかけるかのように、たくさんの人の視線を上に向けさせ、笑顔にする。




長い髪は好きだ。
何かの映画で「髪をさわられるのは女としての喜びのひとつ」というようなセリフがあった。
女性性とか男性性とか、今の時代にそんなことを主張したら怒られそうだけど、わたしは髪をさわられるのが好きだし、自分の髪も好きだ。

ビジュアル的にも、髪の長いわたしが好きだし、だからこそまた伸ばしたいな、と思う。


でも。
短く切りそろえられた髪の女性はもっと好き。潔さに憧れる。

つんつるてんのベリーショートがよく似合う、凛とした女性に、いつかはなりたい。


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