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『やさしい猫』(中島京子)、わたしたちは何と多くのことを知らずに通り過ぎているのか(毎日読書メモ(281))

中島京子『やさしい猫』(中央公論新社)を読んだ。2020年から2021年にかけて読売新聞で連載されていた小説。不法滞在者とされ、入管(出入国在留管理庁)施設に収監されたスリランカ人男性と、彼を救おうとする日本人の妻、そしてその娘の物語であることはあらかじめ知って読み始めた。そして、2021年3月に、スリランカ人女性ウィシュマさん(ラトナヤケ・リヤナゲ・ウィシュマ・サンダマリさん)が名古屋の入管施設で亡くなり、2021年8月になってようやく死因が病死と発表されたこと、体調を崩した収監者に医療行為を殆どおこなってこず、それによって命を落とす人、劣悪な環境で精神のバランスを崩す人などが多くいるということが広く報道されて、2021年は、日本の入管制度の問題点がクロースアップされる年となった。

わたしは仕事で年に何回か、品川の出入国在留管理局に行くのだが、そこには本当に沢山の人がやって来ている。外国人の招へい手続きで書類を提出に来ている日本人(招へい元となる組織の人もいれば、代行業者の人もいる)、ビザの延長とか変更とか様々な理由で申請或いは相談に来ている外国人。顔だけ見ていても、誰がいい人で誰が悪い人かなんてわからない。どのような事情を抱えているかもわからない。
窓口の人は、中国人の人が結構いる。基本日本語対応だが、外国語での対応も最低限はするのだろう。
でも、出入国在留管理庁のウェブサイトはまず日本語ありきで書いてあって、法務省の外局なので、途中で法務省のページに飛ぶこともあるし、内容によっては外務省のページに飛んでしまうこともある。見ていたページの外国語版ページを参照したいと思ってもトップページに飛ばされてしまって、該当のページをなかなか見つけられなかったりする。慣れていない人には自分がしたい手続きが何で、どうすればいいかを知ることはとても難しい。
そして、出入国在留管理局の建物には収監施設もあり、面会に来ている家族や友人や弁護士などもいるのだと思う。品川駅からバスに乗っても誰がどういう目的でここにやってきたのかはわからない。
お天気の悪い日には泣きたくなるような寂しい場所だ。
小説に出てくるクマさんは、最初品川の入管に収容され、その後茨城の牛久の施設に移送される。体調を崩してもろくに医者にも診せて貰えない。弁護士が救急車を呼んで施設の前まで来てもらっても、救急車は返されてしまう。ウィシュマさんの事件もあり、辛い光景が先に頭の中でイメージされていて、読み始める前から苦しかった。

話が先走ってしまった。小説はクマさんと結婚するミユキさんの娘のマヤが、「きみ」に語り掛ける形式で書かれている。小説の最初は10歳だったマヤが高校を卒業する位までの8-9年の物語。マヤが3歳の時にミユキさんは夫と死別し、東京で保育士をしながらマヤと2人で暮らしている。東日本大震災の後、被災地の保育所で人手が不足していることを知り、ボランティアに行ったミユキさんは現地でペレラさん、クマラさんというスリランカ人と知り合い、東京に戻ってきた後、偶然クマラ(クマ)さんと再会したことでゆるやかな交流が始まり、徐々にお互い惹かれあっていくが、まだ娘が小さいことから結婚は考えられない、とミユキさんはプロポーズを断る。その後、ミユキさんは大きな病気をして、仕事も一旦退職することとなる。その大変な時期、クマさんはミユキさんとマヤの力となり信頼関係は強まるが、同居するようになっても、なかなか結婚の決断は出来ずにいた。少しずつ雪解けがあり、いよいよ結婚、という段になったら、今度はクマさんが結婚に対して後ろ向きな態度を示すようになる。それは、勤め先である自動車修理工場を解雇され、技能ビザ(決まった職種にしか就業できない)の根拠を失ってしまったためであることを、ミユキさんはずっと後になって聞かされる。何も相談してくれなかったクマさんにミユキさんは怒りの感情を示し、一旦同居も解消するが、相談に行ったペレラさんに、日本人の配偶者になればビザを配偶者ビザ(就業制限なし)に切り替えられるから、と言われ、急いで入籍。そのばたばたの間に在留許可証の期限が切れ、オーバーステイになっていたクマさんは品川の入管にビザの切り替えの相談に行こうとして、品川の駅前で警官に職質され収容施設に入れられてしまう。

骨子となる部分だけ駆け足で書いたが、クマさんがマヤに語ったスリランカの昔話「やさしい猫」の不思議さとか、ミユキさんと、山形県に住む母との関係性とか、終始マヤの力となり続けた親友ナオキとの関係とか、心を打つ描写が至るところに出てくる。

友達等に、外国人と付き合ったりして大丈夫なの、という問いかけられ方をされては憤慨していたミユキさんだが、外国人だから信頼できないのでは、という考え方に憤慨しているだけで、制度的なことを何も考えていなかった無防備さはどうだろう、と読んでいて思った。クマさんが、マチズモ的な性格ゆえに、苦境に陥った際にミユキさんに相談することが出来ず、すべてが悪い方へ悪い方へ転んでしまった訳だが、2人とも、危機管理能力弱すぎだろ、と思わずにいられなかった。出入国管理局のウェブサイトは本当に読みにくいし、相談できる第三者もいなかったのだろうが、本当はもっと早いタイミングで調べて、進められることがあったのではないかと。
(裁判の過程で、やむを得なかった、という事情が紐解かれていくとはいえ)

クマさんの姉は、夫がスリランカで政治的な迫害を受けそうになったため夫婦でカナダに行き、難民申請をしてカナダに住むようになった。カナダでは難民申請をした人の67%が申請を認められるが、日本で申請して認められる難民は僅か0.3%である。クマさんが求めているのは難民資格ではなく、現在のビザの切り替えだが、入管では強制送還の裁定が降り、それに従ってスリランカに戻ってしまったら5年は再入国できない、ということで、そうなると入管施設に入ったまま、仮放免措置が出るのを待つしかなく(但しそれはビザが降りるということではない)、裁定を覆すには裁判を起こすしかない。
お金のないシングルマザーのミユキさんは弁護士に相談すること自体及び腰だったが、入管で強制送還の措置を行った担当の役人が、その後退職して、行政書士として仕事をしているのにゆきあい、裁判をしてみることを勧められる。
社会派の弁護士事務所での相談、ビザ取得目的の虚偽結婚ではないことを立証する証拠集め、審議、裁判しても勝訴の確率はほんの数パーセントと言われながら、必死で闘う人、協力する人。マヤが入管そして弁護士事務所で出会って親しくなる、日本生まれのクルド人ハヤトのエピソードを読んで胸を掴まれる。生まれた瞬間から仮放免扱いで、学校には通えるが、行動の自由等が厳しく制限された人が、自分のすぐ隣を歩いているのかもしれない衝撃。
牛久の入管施設には、かつて、チェスの世界チャンピオンだったボビー・フィッシャーが収監されていたこともあった、というのも、不勉強で全然知らなかった。アメリカ国籍を剝奪され、国籍のない状態だったフィッシャーが成田空港で出国しようとして入国管理法違反で収監されることとなり、当時は羽生善治などがフィッシャーの擁護のための活動を行ったりしたのだそうだ。
刑務所なら、収容年限が定められた上で収監されるのに、入管の収容施設は期間が決まっていない。強制送還を拒否し続ける限り、いつまでも放免されることはない、クマさんが収容施設で出会った人々も、期限の定められていない収容で心身の健康を失っている人が多かった。
出入国在留管理局はあくまでも法にのっとって、決まりを守っていない人を国外退去させるという方針で、多くの申請を却下し続けている。その血も涙もないやり方に、読んでいて怒りを覚えるが、現場の担当官たちが意地悪でしているのではなく(いや、そういう風に見えるんだけど)、制度がそういう風になっている、それは何が問題なのか。難民申請が0.3%しか通らないのは何故なのか。ミユキさんとクマさんとマヤの物語を読んでいて、知らないことがあまりに多くて頭を抱えるが、日本の入国管理の在り方のどこに問題があるのか、この小説はそれを考える一つの端緒となったのだと思う。

そして、クマさんが最初にマヤに聞かせてくれた「やさしい猫」の物語について、高校生になったナオキとマヤは再度考えてみる。猫と鼠はそれぞれに何のメタファーなのか、を考えることで、二人の前には新しい世界が広がった。なるほど、これもこの長い物語の一つの出口だ。

最後に、マヤが語り掛けている「きみ」の正体が明かされ、小説は明るい未来を予感させ終わる。でもそれは安心していいということではない。入管の抱える多くの問題は、何も解消されていないということを忘れてはいけない。忘れないために、何度も考えて見なくてはいけない。

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