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宝物をそっと飾るように:宮本輝『よき時を思う』(毎日読書メモ(505))

宮本輝の小説は、キーワードのオンパレードだ。
大体2年に1回くらいのペースで刊行される長編小説、それらを読み続けてきて、つまりは、物語の魔法の壺の中に、幾つかのキーワードを入れると、宮本輝的物語のテンプレートにはまるように、物語が紡ぎ出されるのだな、というように見えてきた。
幾つかの地名とか、骨董品とか、ゴッホの絵とか、自転車とか、糠床とか、腰痛とか、痔とか、中華そばとか、桜とか。
三題噺のように、そうした幾つかのファクターを丁寧に語り、主人公がそうしたものに目を開かされ、新たな人間関係を築いたり、それまで一緒に過ごしてきた人との暮らしを見直したりする。
新刊(といっても2023年1月刊)の『よき時を思う』(集英社)は、2021年から2022年にかけて「すばる」に連載されていた小説。連載はまさにコロナ下の時期だが、描かれているのは2018年の物語である。
読む前に、主人公の祖母が、自分の90歳の誕生日を自費で盛大に祝おうと子どもや孫をもてなす物語、というのは、書評や出版社の広告で読んでいた。割と上下2巻の小説が多い宮本輝で、1巻だけでの刊行だし、骨子を聞く限り、そんなに盛り上がらない? いや、小説に仕立てられるだけの素材があるってことだよねぇ、と読み始めると、おお、これは、1冊の中で使ってしまうのが勿体ない位贅沢に、テンプレートにはめるキーワードがちりばめられた、贅沢のカタログのような小説であった。
表紙はイイノナホ「球を運ぶ女」というガラス彫刻。

物語の語り手は、東京に住む30歳目前の金井綾乃。海外赴任中の叔母夫婦が住んでいた東小金井の家を借りて住みながら、海運会社で経理の仕事をしているのだが、その家が、四合院造りという、中国古来の重厚な建築様式にのっとった家で、今や中国でもあまり残っていない、贅沢なつくりとなってる様子を想像し、ページをめくりながら心が躍る。綾乃が経理の仕事をするに至った経緯も、実にいい。ただ、20代後半の女性の心理を描く部分がちょっとリアリティ不足かも、という印象も。
綾乃の実家は滋賀県近江八幡市で(宮島未奈『成瀬は天下を取りに行く』を思い出し、あら、あなたも「うみのこ」に乗ったのね、とか下らないことを考えたり)、兄、妹、弟の4人きょうだい(きょうだい関係のスタンスが恩田陸『なんとかしなくちゃ。青雲編』を思い出させる)で育った。本当の主人公である祖母の徳子とくこさんは、大津の名士の家に育ち、16歳で結婚するが、結婚して2週間しか一緒にいられなかった夫は戦死、数年後に婚家を出て小学校教師となり、綾乃の祖父と結婚し、何千人もの児童を教え、夫を亡くした後も、綾乃の両親とともに元気に暮らし、90歳を迎えることとなった。90歳を迎えるにあたって、親しい人たちと一献をかたむけたい、というか、贅を尽くした晩餐会を開きたい、と言い、息子夫婦、4人の孫とその妻(長兄しか結婚していないが)を招待する。
その準備の様子を綾乃の視点から描き、並行して、弟春明が就職したレトルト製造販売会社で急に社長となり、奮闘する様子も語られる。

小説は、丁寧に生きることのかけがえのなさをテーマにしている。徳子さんがそうして開いてきた道を、晩餐会の準備を通じて、子どもも孫もありありと実感する。徳子さんが大切にしてきて、孫たちが欲しいなと思ってきたものを形見分けのように贈ったり、晩餐会の準備の過程で、徳子さんの教え子たちに出会い、彼らが徳子さんから学んだことを改めて知らされたり。
法華経の妙音菩薩品第二十四を、これは真実で、お伽話ではないと信じて読め、と語る徳子さんのエピソードは物語の裏テーマになっている。
晩餐会の食事の贅沢さにもため息が出るが、その前から、レトルト商品化交渉をするカレーの話とか、京都の小さな定食屋さんで手作りしている絶品アイスクリームとか、ふぐ鍋とか、美味しいもの、そしてそれに合うワインの話がてんこ盛りで、お腹が空いているときに読んではいけない小説。

家族ひとりひとりに送る、特注の招待状。
男性はタキシード、女性はイブニングドレス着用、と、会場となるレストランの隣のホテルに貸衣装屋さんと着付けの専門家、カメラマンまで用意し、準備をする過程からゴージャス。
ドン・ペリニョンのロゼからスタートし(ちなみにこの小説の中ではずっと「シャンペン」という表記が使われていて、なんだかすごく昭和っぽい!)、ポメリー・キュヴェ・ルイーズ1995年、モンラッシェ・グラン・クリュ2006年、カニのテリーヌ、カスピ海産キャビアにレモン風味の生クリーム添え、コンソメ・ド・ジビエ、シャトー・マルゴー、ペトリュス、フランス産天然鴨のキュイッソン。青首鴨のブレゼ、血入りソース、子羊の鞍下肉のロティ、ペルシヤード仕立て。トルティーヤを添えて。ラ・フランスのケーキとザッハー・トルテ。ワインと料理、まぜこぜだが、出てきた順番に書いてみたが、みっちりと料理の解説が書きこまれていて、小説の中の人物同様、この世のものとも思えない至福を、活字から脳内に繰り広げていく。

晩餐会への敬意を表するために最高の正装で臨む(中略)
つまり、晩餐会とは、きょう生きていることへの敬意。自分の生命への敬意と讃嘆、家族や友人たちへの生への敬意と讃嘆をあらわすためのもの(中略)
晩餐会は、自分だけでなく、自分の人生に関わった人々すべての生命を褒め讃えるためのもの

pp.334-335、

その信念で、90歳まで生きたらすべてに感謝するための晩餐会を開くと決めて生きてきた徳子さん。いさぎよさと強さと、美しいものを見分ける鑑定眼、やさしさ。
宮本輝の小説には、ときに、はっとする位おそろしい悪人が出てくることがあるが、今回は、悪人のいない、大団円の約束された物語だったが、だからといって物足りないということはなく、心を震わせながら読んだ。
贅沢だけれど、手が届かない訳ではないという気持ちにさせてくれるきらびやかさを、扉の向こうから覗き込んだような小説だった。

巻末、晩餐会から物語は四合院造りの家に戻る。そして、金井家の物語とは全く別の場所に着地する。四合院造りの家の持ち主の三沢兵馬の、雪どけのようなエピソードで物語は終わる。徳子さんとは全く関係ない場所に行ってしまったが、読者の心を優しい気持ちで満たしてくれる。

感謝。敬意。
よき時、それはかつての栄光ではなく、光あふれる未来のこと。

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