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桐野夏生『もっと悪い妻』(毎日読書メモ(522))

桐野夏生が昨年6月に刊行した『もっと悪い妻』(文藝春秋)を読む。表紙こわ! 人形の仮面が宙に浮かび、それを抑える指先の下に続く身体には首から上がない...。cover photograph by Miguel Vallinas Prietoとある。検索したら、やはり首のない体の上に、色んな頭部がのった写真がいっぱい出てきた...。
桐野夏生、基本長編作家の印象が強いが、今回は短編集。「悪い妻」が「週刊文春Woman」、「武蔵野線」「みなしご」「残念」「オールドボーイズ」「もっと悪い妻」が「オール讀物」掲載、発表年次が2015年~2023年。
それぞれに、余韻を引く終わり方をしている6つの物語はそれぞれ全く連関のない、独立した短編。どれも、救いのなさ、後味の悪さを読者の胸に残す桐野夏生節で、それぞれの物語、中編くらいまでの長さにふくらませたら、どんな物語になっていたか、と思う。たぶん、桐野夏生にはもっと長い物語が似合う、と読者であるわたしの方が思ってしまっている感じ。
一方、短編小説として、起承を丁寧に描き、急転直下で短くピリッとした転結をつけているところが恰好いい。

本人のセンスか、編集者のセンスか、最初に「悪い妻」を置き、表題作「もっと悪い妻」をラストに置く。なるほど、「もっと悪い妻」の摩耶の
物語を読むと、「悪い妻」の千夏ちかなんて、全然悪い妻じゃないじゃん、と思えてくる。これはポリアモリーの文学なのか? 摩耶の罪悪感のなさが本作最大のホラー要素か。
男と女、それぞれの欲望と打算、それで片付かなくて膨れ上がる不満、という要素を、数年~数十年のスパンで膨らませている物語たちなので、特にタイムスパンの長い物語では、この紙数で片付けてしまうことに勿体なさを感じてしまうのかな、と思う。
雰囲気としては、習作的に短編に書いてみて、それを膨らませられるだけの要素を別に持てるなら長編にする、という感じだろうか。ここ何年か発表されてきた長編小説はそれぞれに格差社会の闇と絶望を抉り出すように書いていたので(真珠とダイヤモンド 燕は戻ってこない 砂に埋もれる犬 など)その片鱗はあっても、長編小説に昇華させるプラスアルファが弱かったということか。

色々考えつつ、ちょっと吐き気と身震い。桐野夏生は精神的に健康な状態でないと読み続けるのが辛いかなと思いつつ、たぶん引き続き読む。

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