#2 選ぶことは、捨てること【ドイツで高校生してみた】

ホームステイ初日。電車に3時間揺られ、ようやくステイ先に着いた私。その日の夕方、早速ホストパパが家の周りを案内してくれた。そして、広場の角の小さなアイス屋に立ち寄った。
広場はにぎわっていて、テラスでお茶会をするおばあさんたちや、スケボーを乗りまわす少年たちに、休憩に来た自転車乗りたちがいた。

アイスを買って、広場のベンチに腰掛ける。
コーンにのったストロベリーアイス。アメリカの砂糖たっぷり・糖尿病まっしぐらなアイスキャンディーとはまるでちがう、上品な味だった。
すると、ホストパパから、不意に質問された。

「きみは、なんでドイツなんかに来たんだい」

ドイツ語がまだ拙くて、私はなんとか英語でやり過ごす。

「留学団体の先輩が行っていたのに憧れたから…」

脳みそを総動員させた末伝えることができたこの英語は、当時の自分にはどこか陳腐なものとしか思えないものだった。

大学生になってから行くことが日本では常識な海外留学。それを高校生で、しかも日本で滅多に耳にすることのないドイツ語が話される国でするなんて。周りから疑問を持たれても仕方がなかった。

生き甲斐だった部活。それなりに積み上げてきた勉強。帰国後には学年が離れてしまうクラスメイト。他にも多くの犠牲を払ってきた。

留学準備のミーティングで何度も部活の練習や授業を休んだし、留学団体の準備合宿なるものと重なって、部活の先輩の引退試合に立ち会うことも叶わなかった。

けれどその犠牲が、現実を前にして、とてつもなく大きな損失だったのではないかと感じられた。
もっと先のことを考えて結論を出すべきだったのかもしれない。
そんなやり場のない後悔と不安が、脳裏を駆け巡った。

後に部活の同期たちは、悲願の県大会出場をもぎ取るのだった。



中世ドイツをモチーフにした『進撃の巨人』で、私の大好きなアルミンというキャラのこんなセリフがある。

 「何かを変えることのできる人間がいるとすれば、
 その人は、きっと……
 大事なものを捨てることができる人だ」
 「何も捨てることができない人には何も変えることはできないだろう」


確かにそうだ。私の留学で得られたものは計り知れないほど多い。
まったく現地語を知らなくとも、根性とハートでどうにか生きていくことはできること。
友だちの作り方、関わり方。
他人の意見を鵜呑みにしすぎない、という個人主義的な考え方をかじることができたこと。
日本の高校の教室の机で、三角関数や構造式を書いて、源氏物語の解説を子守唄によだれを垂らしているだけじゃわからなかったことが、確かに得られたのだ。これは揺るがない事実。

そして同時に、失ったものがあるのも事実。


たった1ユーロのどこにでも売ってるアイスだったけど、その冷たさに、なんとなく見て見ぬふりをしてきたものが呼び覚まされた、そんな気がした。

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