結婚をするであろう時の未来の自分に書いた手紙
拝啓 結婚をするであろう時の未来の私へ
結婚をするということに、子どもを持つということにマイナスな考えを持っている現在の私です。
結婚≠恋愛だとはよく言われますが、子どもを授かる≠幸せなこととも思っています。
このマイナスな考えを持っている理由を私は未来の私に知ってほしいのです。
結婚するであろう未来の私に、現在の私が伝えたいことがあります。
●結婚とは
あくまで理想的な話になってしまうのだが、国民的アニメの「クレヨンしんちゃん」、「ドラえもん」、「サザエさん」、「ちびまるこちゃん」のような家庭だと思っている。
つまりは、一戸建てに家族全員で住み、お父さんがサラリーマン、お母さんが専業主婦。
夕方に家族揃ってご飯を食べ、お風呂に入り、テレビを観ながら歓談する。
自分はというと、子どもであれば、テストの結果や学校行事に一喜一憂し、放課後は遊びのことばかり考えているような、呑気な感じがイメージ。
お金の心配もあまりなく、倹約家であるが、年に一回か二回は家族旅行に行くような、そんなイメージである。
ちなみに、詳しいイメージをさらに求める場合は、下のリンクをぜひ参考にしてほしい
家族コンプレックス
先述で、理想的な結婚後の家族生活について表したが、全くと言っていいほど自身はそうでない生活を送ってきた。
一軒家でなければ、マンションでもなく、いわゆる団地と呼ばれる低収入層の住宅地。
家族はそもそも別居で一緒に生活していないし、稼ぎ頭の母親は遅くまで仕事。
子どもである私と兄弟は、インスタントや簡単な料理を食べて、決められた担当の家事をして、宿題をして早くに寝ていた。
家族旅行なんて年に何回という予定はもってのほかだし、お小遣い制がはじまったのは高校生時の¥3000がはじめて。
自尊心のきかない母親は機嫌が悪い時は、物を投げたり、子どもをたたいたりしてひっちゃかめっちゃか。
思春期の妹が、学校に行って素行を起こしたり、不登校になるといった感じだった。
幸せなことと辛いこと
ちょっと大袈裟に可哀想な家族のような書き方をしてしまったけれど、少なくともとも現時点では不幸だと思っていない。
義務教育ではないが、高校にも大学にも進学し卒業できたし、長年の夢を叶えるために東京都内で就職もした。
少なからず、数えるほどではあるが旅行もさせてもらったし、誕生日やクリスマスには、チキンや少し贅沢なおかずを食べたことだってある。
しかも、誰か家族が病気で亡くなったりもしていないし、家族はみんな健康だし。
年始は初詣に行って1年間の祈願をし、日の出を見ながらおしゃべりをしたものだ。
それでも辛かったこと
稼ぎ頭の父親がいないもので、家事と両立する母親の稼ぎだけでは生活資金は少し困窮していた。
そのためか、周りの友達と持っているものに格差を感じたり、進学先の選択肢が少し限られていて悔しい思いもした。
しかしながら、金銭的困窮より辛かったものがある。
相対的な物足りなさ
小学校や中学校の運動会のお昼ごはん。親戚が来て家族揃った和気藹々とした雰囲気の隣で、小さなブルーシートを引いて、母親と2人、お弁当を食べる日。
父の日という名のイベントで、お父さんの職業について書いてこいという宿題が出た日。
入学式や卒業式で、2つ用意された保護者席の母親の隣が空いている。
結婚式場でのアルバイト
「それでは、新婦の登場です」
綺麗なドレスを纏った花嫁が父親とバージンロードを歩いてくる。
あぁ、結婚式は父親と歩くのか
結婚式したくないな…
家族コンプレックス
今となっては、単身赴任など仕事の影響でなかなか顔を出せず、母親だけの家族も沢山いたはずなのだが、当時はあまり考えられなかった。
ただ、ひたすらに、うちの家は可哀想だと思われているんじゃないかと思っていた。
金銭的な辛さよりも、偏見の多い他人の目が辛かった。
可哀想と思われなくない
可哀想と思われたくなくて、必死で父親がいるような会話をしていた。
単身赴任という理由で女物しかない家に来た友達に説得したあの日。
結婚したくない理由
根本として結婚したくない理由は、いずれ離婚した時に、「可哀想な子」と自分の子どもが思われたくないからなのだ。
つまり、離婚や離別が前提になってしまっていて、円満夫婦な幸せな家庭を思い描けていないのだ。
気づいたこと
しかしながら、大切なことに気づいた。
それは、私自身が幸せな理想の家族像に囚われていること。
そして、少しでもその像から物足りなさを感じると『可哀想』だと思われると、思い込んでいること。
結局は、自分の固定観念に1番苦しめられていたのかも知れない。
たしかに、可哀想と言われる部分はあるが、別に両親が揃っていても、該当する可能性だってある。
前向きに考えよう
結婚について、離婚が可能性として伴うマイナスなイメージしかなかったが、それは離婚しなくても『マイナスと思われる』状況にだってなるに違いない。
要は、他者からの見られ方に囚われなければ、
「可哀想」か「可哀想でない」かは自分が思うことが重要なのかも知れない。
追伸・未来の自分に手紙を書いてみたが、結論として結婚がいいものかどうなのかは不明となった。
しかしながら、前向きに考えることこそが大切かも知れないと思った。
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