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【小説】ドライヤー中の話

 僕は漫才が好きだ。コントも勿論好きだし漫談も講談も太神楽だって同様。どれだって「同様」に好きだと言えるくらいにどれだって突出して好んでは無いけれど好きなことに変わりはない。ただどれも好きだからこそ惨めになる。だからテレビでお笑い番組をやっていれば避けるようになったしたまたま家の近くにあるデカい公園で講演をやっていても家に籠ってイヤホンで曲を聴くなどの対策をした。したというかしている。そういえば公園で講演って駄洒落っぽいな。すいませんね。誰に言ってるんだか。
 というのもそれは長年培ってきたズレが原因になっている。ズレが原因になっているなんて聞くと高校時代得意では無かった地学を思い出したりもするが今考えているのは決してプレートテクトニクスだとか右横ずれ断層だとかフォッサマグナだなんとかかんとかそういうものではなく価値観のズレだ。要するに多くの人が面白いと思う芸人さんだったり講釈師の方だったりを面白く感じることがあまりなかったのである。それは気取っているとか中二病とか人と違うんでとかそういうものではなく本当に「いやそれよりさっきウケてなかった芸人さんの方がおもろくなかったですか」とそう思ってしまう訳です。心の底から。そういえば学生時代に大阪に行った時寄席で気が合ったと思った隣のおっちゃんに調子乗って「おもろく」なんて言ったらかぶれとんちゃうぞ的なことをめっちゃ怒鳴られた覚えがあるな。かぶれとんちゃうぞであってたっけかな。記憶の中ですらかぶれている気がする。まあ別にいいかそんなもん。何度ここに来てたって大阪弁は上手になれへんしって人もいるって聴いたことがあるぞ。
 それはそれとしてズレているのは構わないしそもそも本気でやってる芸人さんらなんだからどの人で笑ったって外れもクソも無いとは思うもののどうにも複数人で見ていて他の人と笑うタイミングが違うと何だこいつ的な雰囲気になると。んでそれが続きに続くとお笑いや演芸だったりそういうのは誰が相手であれ最早接待みたいな感じになってくる訳だ。面白いと心の底から思っていても周りが笑っていなければフンと鼻を鳴らす程度に留めておいて「おい今のツッコミもっと強めにいけやそこちゃうやろもっと前に今ここでツッコまんかいと思うタイミングあったやろ」と思っていても周りが笑っていれば大口を開けて笑わなあきませんよと。そんな訳で全く面白くない。そうなってしまうと集団で居なくても「集団になれる」場所で見る例えばそうリビングだとか飯食うとことかそういう所で見るお笑いは心理学で言う条件付けかなんかはさておきとして全く笑えなくなってくる。本当は面白いと思っていても。それがとにかく惨めになってくる訳で特番なんかやっていれば見たいと思いながらも思えば思う程惨めな感情が募ってくる訳です。訳ですて誰に言ってるんだか。こういう感情って確かアンビバレントとか言うんだったか。違うかな。知らんけど。
 ……襟足が乾くまであともう少し時間かかるかな。
 いやでも本当にドライヤーで髪乾かしてる時間って蚊帳の外感があって改めて考えても落ち着くわ。テレビも虫の声も時計の音も何もかも無視して自分だけの時間というか周囲への集中力が散漫になっていても誰からも文句を言われない時間と言いますかそれは集団で居ればおい聞いてるかなんてこともあるんだろうけど俺の場合一人でいても誰かに常に気遣ってるようなよく分からん感覚があるもんで書店で立ち読みしたらHSPなんて人もいるらしいけどいや決して自分はそんな辛いなんて言っていい程辛い思いをしている人間でも無いしあれそういえば何考えてたんだっけ。そうだドライヤーの時間は落ち着きますねって話だ。何にせよこの時間って言うのは周りに気を遣わなくていいからすんごい一日の中でも落ち着く時間だったりする訳ですね。なんせブオオしか聞こえん訳だしテレビなんか付けてても俺は「いえ今ドライヤーの時間なんで」を免罪符に全てのコメンテーターの声をシャットアウトした挙句無視できる訳ですな。
 なんて考え考えそろそろ乾きましたかね。スイッチをオフにして……そうねかけ始める前からやっぱり大体5分くらいか。髪伸びてきたし夏時期だと額にも汗かきながらだからベタベタして乾きにくいんよね。そろそろ切りに行くか。
 ああそういえばドライヤーっつってもヒトにかけてもらう時間は別だったわ。

創作の原動力になります。 何か私の作品に心動かされるものがございましたら、宜しくお願いします。