あのとき読んだ物語が小樽まで連れていってくれた
北海道の北側に位置する小さな港町。
かつてはたくさんの船が行き交ったであろう大きな運河が流れ、蒸気時計が目印の交差点を北上するように進むと、硝子や革細工などの伝統工業品が並ぶお店が、訪れた人々を異国の雰囲気へと誘ってくれる。
その場所は、小樽という名前で呼ばれている。
◇
小樽に行ってみたいと思ったのは、ある一冊の小説を読んだからだった。
それが、瀧羽麻子さんによって綴られる『ありえないほどうるさいオルゴール店』という短編小説。
店を訪れた人の心の声を聴いて、世界に一つだけのオルゴールを作る店主がいる店での不思議な出会いを描いた作品で、ほっと心が温まる7つの物語が収録されている。
また、作品のなかで明言はされていないものの、「北の町」「運河」「オルゴール」など、小樽が舞台となっていることを仄めかす描写が多く描かれている。
耳の聞こえない少年と息子を案じる母親、バンドでの夢を諦めて就職する女子高生たち、ピアノを弾くことに迷いが生じた少女。
彼らは思い思いの悩みを抱えながら、運河が流れる街を歩いているうちに、普段なら決して入ることのない小さなオルゴール店に迷い込む。
そして、店を訪れた人々は、店主から世界にたったひとつだけしかないオルゴールを受け取り、今まで聞きすごしてきた想いに耳を傾ける。
魔法の小さな箱が奏でる音楽は、聴いたものが前を見据えて歩いてくための常夜灯となって、彼らのおぼつかない足もとをほのかに照らしてくれた。
そんな登場人物の心に明かりを灯していく、運河のほとりにあるオルゴール店を訪れてみたいと、ずっと心のなかで思っていた。
◇
札幌駅からJR函館本線で日本海側へと向かう電車に乗って、ようやく辿りついた小樽の街。
駅から出るとすぐに、新鮮な海産物が並ぶ市場の賑わいに吸い込まれてしまった。
小樽三角市場と呼ばれる魚市場は、作品にも登場する女子高生たちが海鮮丼を食べにくる描写があるほど、観光客からも人気のスポット。
カニやウニ、ホタテなど、北海道に来たならば必ず食べたいと思っていた海鮮類が、店頭にこれでもかというほど並べられていた。
どれか一つなんて選べるはずもなく、メニューにあったものを全種類のせた海鮮丼を欲張りにも頼んで、またたく間に完食してしまった。
満腹のまま、次に向かったのは小樽運河。
当時から残る石造の建物や倉庫群が立ち並ぶ景色に沿って、緩やかな曲線を描きながらどこまでも続く運河は、ガス灯がともる夕暮れ時には幻想的な風景に包まれる。
訪れたのはお昼どきだったので、ノスタルジックな気分に浸るというよりは、その異国情緒な建物群と静かに流れる河の流れの対比に見惚れてしまった。
たくさんの登場人物たちが、この運河に沿って歩いたり、架けられた橋を渡ったりして物思いにふける道すがらで、あのオルゴール店に出会った。
ということで、自分もオルゴール店を探しに向かう。
◇
運河から離れて、ガラス工芸品や革小物など、小樽の伝統工芸品店やお土産屋が立ち並ぶ、堺町本通りへと足を運ぶ。
賑やかな大通りで、滑る雪道に悪戦苦闘しながら進んでいくと、やがて目的としていたオルゴール店もぽつぽつと視界に入る。
そして、辿りついたのが、メルヘン交差点のすぐ側に建つ、国内最大級のオルゴール専門店である小樽オルゴール堂の本館。
作品に登場する小さなオルゴール店とは違って、3階建ての店のなかには、ありとあらゆる種類のオルゴールが店内を埋め尽くすように飾られている。
オルゴールと聞いて真っ先にイメージする小さな箱型のものもあれば、キャラクターを象ったものやカラフルに光り輝くものまで、様々な形をしたオルゴールが所狭しと並ぶ姿は、圧巻の一言。
オルゴールに込められた音楽の種類も豊富で、好きな曲を探しながら店内をうろうろする時間は、童心に帰って冒険するかのような気分だった。
しかし、なかなかお気に入りのものは見つけられない。さらに、あまりにも長い時間迷っていたので、帰りの電車の時間が刻一刻と迫っていた。
ふと、行きの道で何度も転びそうになったことを思い出す。
余裕をもって店を出なければ、笑いごとではないくらい盛大な転けかたをするだろうなと、そのときは、なぜか冷静になって考えていた。
◇
結局、自分だけのオルゴールを見つけることはできず。
心残りはあるものの、しっくりこないものを買うよりは良かったのかもしれない。
それに、きっとまた心に流れる音楽を見つけに、小樽の街を訪れる。
まだ、夕暮れにともるガス灯に照らされた運河も見られていないから。
それに、あのとき読んだ物語に登場する小さなオルゴール店が、年月を経てこの「北の街」まで自分を引き寄せてくれたように、運河のほとりから続く小樽の通りに忘れてきた想いが、またこの場所まで連れていってくれる。
作品を読みながら想像していた街と、実際にこの目で見た小樽の風景を重ねあわせながら、そんなことを思った。
〈文=ばやし(@kwhrbys_sk)〉
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