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MMM2009-2018:MMMが始まった瞬間(MMM2009)

まさか10年続くとは、あの時は思ってなかった。

慶應SFCの後期博士課程に再入学すると、なぜか授業を取らされる。ぼくは全く触ったことがなかったけど、なぜか気になっていた、清木康先生のデータベースの授業を履修することにしていた。だけど、その日は自分だけではやる気が出なかったので、後輩の緒方(伊久磨)くんを勝手に巻き込み授業を受けていた。授業が終わり、後輩の加藤さんと合流し、ぼくの車で一緒に帰ることになった。

ぼくはそもそも「意識高い系」である。「なんか面白いことやろうよ」なんて口癖のように言い、人を巻き込んで無茶なことをやる悪癖がある。その日も車の中でいつものように「面白いことやろうよ。せっかくSFC戻ったんだし」みたいなことを話していた。

緒方くんは当時3年生で、頭の回転がものすごく早く、ノリが良く、日本史が好きな面白い奴で、反面、体が弱く、酒に弱く、車に弱い(車に乗ると当時の彼女を後部座席に座らせて、緒方くんを助手席に座らせた)九州男児という不思議な男であった。応援指導部に入ってテレビ出演して死にそうになったり、手話サークルを友人と作っては紅白歌合戦で一青窈と共演したりするという偉業を残していた。ノリと頭の回転の速さがなんとも心地よく、僕は僕で、自分が出展している芸術祭にいきなり呼んで手伝ってもらうなど良好な関係にあった。

彼は鉄道が好きで、有澤誠研究会という所で研究していた。この有澤研というのが不思議な研究会で「デジタルコンテンツ(≒メディアアート)」と「都市交通」の研究会で、4限は都市交通、5限はデジタルコンテンツと分かれて開講していた。基本的に二つの研究会は没交渉なのだが、ぼくには偶然友人がいたため、私はちょくちょく顔を出して交流をしていた。そこに緒方くんがいた。

彼は頭は良いものの、早期の実現が難しそうな研究(例:SFCに地下鉄延伸)を二度繰り返し、その度に机上だけで終わっていた。それであれば実現する研究を一緒に作ったら、楽しくやれるんじゃないだろうか、そんなことを考えていた。何よりも、いつも楽しく遊んでいる緒方くんと一緒に本気で仕事してみたい、そんなことを考えて、運転しながら軽く提案してみた。

「電車の中で作品展とかできないかねえ。ローカル線とか。地域活性化の文脈で」

緒方くんの顔色が変わった。
「やりましょう!ぜひ!」

そしてそれから、(本当は一緒にご飯でも食べようと思っていた)加藤さんを湘南台駅に降ろし、緒方くんの家に突撃し、どの鉄道会社にメールを送るべきか、条件の洗い出しとリサーチを朝までやった。僕は高知県の阿佐海岸鉄道阿佐東線に猛烈に惹かれつつも緒方くんに「それは距離的にムリです」と言われ泣く泣く諦めたりしていた。そして「おらが湊鐵道応援団」のウェブサイトの一文「ひたちなか海浜鉄道湊線を活性化する企画を募集しています」という一文(おそらく形式的な挨拶文)を見つけ、感動し、常識的な時間帯となる時間帯を待ってメールしたのだった。おそらく2009年4月22日(水)のことだと思う。もちろん大いに本気だった(まあ10年やっている訳ですから…)が「深夜テンション」じゃないか、と突っ込まれたら反論は難しい。

それから4ヶ月。死にそうになりつつ、緒方くんと何度か険悪になりつつ、考えていたことが実現した。写真は出展作家の飯沢未央さんの作品『external heart』を子どもに説明している時のもの。

この時は、まさか10年続くとは、思ってなかった。

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