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コロナ不眠に、そっと寄り添う、秋の虫

コロナ禍に入ってから、眠れない日が増えた。明日はちゃんとやってくると分かっていても、0時を過ぎると心の中で暗い波が押し寄せ、渦を巻く。

私の場合、心がざわつきはじめると次の瞬間には父の最期の姿が目の前に浮かんで、ますます眠れなくなる。こんなときは頓服の出番だが、それでも眠れない夜はこれまでに何度もあった。

去年の今頃だっただろうか。あらゆる事象に耐え切れなくなって、私は自分の髪をハサミで切りはじめていた。変わりたかった。父がいない世界を受け止めきれなくなっていた。何かを変えたかった。慌てて美容院に行くと「あら?意外とお似合いよ」と言われ、何気ない優しさに涙が溢れそうになった。

朝日が街を照らす頃には、新聞配達の音が響きわたり、朝がきたことを自動的にお知らせされる。人々が眠っている間にも働いている方々はたくさんいる。そう思うと、眠れない今この瞬間も、なんだか非常に尊く感じた。

季節は夏から秋へと確実に流れはじめている。つい最近まで汗水流しながら、暑さを感じていたはずなのに、気がついたときには秋になっていた。夜になるとベランダから秋の虫の声が聞こえてくる。真夜中の静かな街で、ひっそりと演奏会を開くのが彼らの特徴だ。

コロナ禍に入って不眠を訴える若者、現役世代が多くなっていると聞いた。そういえば心療内科も一時より混雑しているような気もする。在宅ワークや外出自粛によって運動量が減り、寝つけない人々がどうやら多いようだ。

さて私はこのコロナ不眠に値するのかどうかはわからないが、少しは影響していると思う。強いて言えば死別の症状と重なっているのも、しんどい原因なのかもしれない。父が亡くなった衝撃は一周忌が経ったからといって完全に消滅するのではなく、むしろ、思い出すたびに胸のあたりが苦しくなる。

昨晩も寝付けずに今の感情を表現できないかと考えていた。もうひとりの自分、つまり内神さまと対話しているうちに表題の言葉が頭の中に浮かんだ。誰もが寝静まっている時間帯に起きていると、孤独感が深くなる。

どこまでも深い海の底に、たったひとりで潜り込んでいるような感覚になる。最初は孤独で仕方がなく、誰かに助けを求めたくなるのだが、一定のラインを過ぎると(というより夜明け前が近づくと)窓から聞こえてくる秋の虫に癒され、考えごとをはじめたり、片づけをはじめてみたり、眠れない状況がほんの少し心地よくなってくる。

救急車が通るたびに昔から不安になってしまうタイプではあるが、夜明け前は冷静に手を合わせて、搬送されている方の無事を祈る。

「眠れないなら眠れるまで起きていよう」と思って、あれこれとしているうちに、気がつくと横になっていて、新しい一日が訪れる。

眠れない日も、最近は愛おしい。夜明けがきた瞬間、透き通った空気に泣きそうになった。なぜか夜明けの瞬間が一番私らしいとも、つい思ってしまう。不思議なことに眠れないときに限ってクリエイティブな力が発揮される。

決して、不眠を推奨しているわけではない。眠れないなら無理して眠らず、好きなことをしながら眠気を待てばいいという結論に私は今のところ至っている。それは冷たい風と秋の虫、雨音が教えてくれたことで、通じ合える言葉があるなら、大いなる自然や小さな命に「大切なことに気づかせてくれてありがとう」と伝えたい。

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今日一日を大切に。

太陽の恵みに感謝。

ERICA YAMAGUCHI

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