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破綻

イジメのメドレーリレー〜お前はこれからも違う人と出会って同じように嫌われるんや!

#1. 6. 破綻

本編に入る前に…。


暴力への解釈に対する昭和と令和の違いについて。


令和の時代に暴力事件が起きれば、たちまち加害者が非難されます。それこそ責任を取れ、と。


しかし昭和の頃は暴力を、愛のムチとか、熱血指導の象徴として、むしろ肯定的に捉えられていました。そのため被害を受けても声をあげられず、抗うことができませんでした。


この本編における教員の発言にもあるように、被害を被っても「やられる方に原因があるんだ」と返されるのがオチです。又暴力はマウントをとる上でも、重要な役割を果たしていました。だからこそ寮生たちは暴力に明け暮れたのです。


潮目が変わったのは、平成末期。


件の日本大学のアメフトのタックル問題です。この事件の後、監督とコーチが呼び出され、マスコミから大きなバッシングを受けました。この時のコーチのきょとんとした表情が印象的でした。なんで怒ってるのだろう、と。


無理もありません。


自分はこのコーチをかばう気はさらさらないですが、今まで当たり前にやっていたことを全否定されたからです。しかも抜き打ちで。おそらく、コーチはこの事情をわかってなかったのでしょう。それがあのきょとんとした表情にあらわれています。


学校をはじめとする教育機関は良くも悪くも閉鎖的。もちろんこの閉鎖的な空間だからこそひとつの物事に打ち込めるメリットがあります。雑音をシャットアウトし、ひとつの目標に成果をあげられる訳ですから。


しかし同時に外部からのフィードバックも入ってこないために、アップデートできず、時代に取り残されるリスクだってある訳です。それが昭和の常識が令和の非常識たる所以です。


たしかに平成のアタマの頃はまだまだ昭和の余韻があったので、自分よりも若い世代の人たちにも理不尽なシゴキや暴力があったでしょう。しかしこの平成の30年の間に暴力への解釈が大きく変わり果ててしまったのです。


日本大学のアメフト部は、それを理解できなかった。閉鎖的空間故に、時代の変化に対応できなかったのです。それはダーウィンの進化論に相通ずるものがあります。


「生物が生き残るのは、強いからではなく、頭がいいからではなく、変化に対応できるものだ」と。


そんな変化する前の昭和の常識がどのように展開していくのか。それを書いていきます。


それでは、本編へどうぞ。


自分は柳学園で高校2年生になりました。当時30人いた7期生がそのままスライドして上級生となりました。彼らは過去2年間パシリとして滅私奉公してきた訳ですから、その見返りにパシリを確保して、天下をおさめたい訳です。


そこで果たして30人全員にパシリがいきわたるのか、という問題が発生しました。というのは、あらたに入ってきた新入生はわずか11人。そのほとんどが寮を去り、最終的にはわずか2人です。


パシリあってのタテ社会。上級生の数がパシリの数を上回ると支えられなくなり、上意下達によるタテ社会の構造は破綻します。


上級生>パシリ


という構図は、色々な弊害が起こります。パシリあってのタテ社会。そのバランスが崩れるとどうなるのでしょうか。


上級生が過去2年間受けた辛さを、9期生にぶつけてしまったのは、若気の至りだったのでしょう。もっとアメとムチをうまく使い分けて、フォローすべきでした。パシリがいなくなるのは、最終的には上級生自身の首を閉めることになるのです。


自分はパシリが免除されていた。


こういった状況の中、自分はなんとパシリが免除されていました。勝ち組の先輩から気に入られていたからか、単に使いモノにならなかったかは分かりませんが、比較的自由でした。


しかしこのパシリ免除が、負け組や同期の怒りを買う結果になるのは、いうまでもありません。不公平だ、と。単なる怒りだけでおさまればいいのですが、全治2週間のケガを負わされた上に根性焼きを入れられ、ひいては柳学園の退学及び仁川学院への編入学につながるのです。


さつき寮で事件が起き、後の自身の人生を大きく狂わせたのは、この上意下達の構造がうまく機能しなかったことに起因します。それは1年生の時はうまく機能していたのとは対照的です。


上意下達のタテ社会は破綻し、誰もが満足しない最悪の結果になりました。この時点で誰が経営者であっても、誰が寮部長を務めても同じ結果だったでしょう。さつき寮では、人口比率において上級生とパシリとのバランスが重要になります。そのバランスが崩れ、上意下達のタテ社会の脆さを露呈したのです。


2年間の滅私奉公に耐え、その腹いせを、1年間で掃き出す。


「オレは先輩からのシゴキに耐えてきた。多くの同期が辞めていく中、オレは逃げなかったし、文句もいわなかった。だから根性も身に付いた。3年生になれば天下をおさめられる。2年間の努力が報われるんや」。


多くの寮生が異口同音に語ってました。1年生の時に天下をおさめた3年生の下でパシリを行い、2年生が進級して上級生となり、天下をおさめるというプロセスを、寮生はみてきてます。


「次はオレたちの番だ」。


このインセンティブがあるからこそ、シゴキに耐え、逃げずに、天下をおさめるまでの日を待つのです。理不尽な扱いを受けても、根性が付いたとか、努力は報われるといい聞かせながらやり過ごすのです。別に努力している訳ではないので、努力が報われる、というのは違うのですが…。2年間滅私奉公すれば、その労力がパシリが面倒みてくれるカタチで報われる、という


取らぬ狸の皮算用


が背景にあります。歴代の先輩の姿と自身のそれと重ねて見る訳ですが、しかしそれはパシリがいてはじめて成り立ちます。


パシリあってのタテ社会。


パシリがいなければ、上意下達もへったくれもないのです。理不尽なシゴキを、下級生にぶつけることでしかバランスが取れないもしくは報われない。この時上級生だった7期生にとっては、勝ち組であれ、負け組であれ不幸だったといえます。


格差社会は上下関係をも覆しました。話は前後しますが、朝部屋を掃除している時のことです。


タバコの吸殻が当直の教員にみつかりました。現行犯ではないので、幸い謹慎処分の対象にはなりませんでしたが、部屋の先輩は自分に激怒しました。その怒りを、その先輩が勝ち組の先輩に話したところ、思わぬ展開になりました。


てっきり自分がその勝ち組メンバーの先輩に怒られるかと思いきや、怒りの矛先はなんと、その話しかけた先輩でした。開口一番


「お前はアホか!」


そのあと自分に目をほとんど向けることなく、立て続けに


「確かにコイツ(自分)は間抜けだが、そもそもタバコの始末は自分でやらなアカンやろ!実際過去にタバコの不始末で火事なったコトがあったやろが!!


【注】数年前にタバコの不始末が原因の火事で部屋の一室が焼けたため、その部屋は閉鎖されている。


もし同じことが起きたら、お前はどう責任を取るんや!オレかってタバコの始末くらいは自分でやるぞ。こんなことで先生に見つかって謹慎になるのもアホらしいからな。いずれにせよ、自分でやらなアカンことを、コイツにやらせる感覚が分からんわ!」


この間、この勝ち組の先輩は、自分には最後まで一言もいってきませんでした。上下関係をも覆すあからさまに違う対応。


ただこの応対が、部屋の先輩の機嫌を損ねたのはいうまでもありません。やがて自身への暴行につながっていくのです。


いよいよ破綻へ。


2学期を前に、教員から電話がありました。内容はさつき寮の部屋の割当についてでした。


「お前は○○と△△との3人部屋や」。


何とか前向きな返事をしようとしましたが、アタマの中は絶望的な気持ちになりました。この二人は典型的な負け組メンバーで、フロア全体が負け組メンバーで構成されてました。この部屋の割当は、負け組メンバーの意見が反映されたものと思われます。その背景には、勝ち組メンバーの自分への扱い方に対する嫉みがあります。


1学期の時、自分はいわゆる勝ち組に囲まれて過ごしていました。しかもパシリが免除されていただけあって、負け組メンバーも心穏やかではなかったでしょう。ただ勝ち組に囲まれる中で、負け組が自分をおびき寄せるのは、あまり現実的ではありません。同期とはいえど、勝ち組と負け組との格差は大きく、ちょっかいかけようあらば勝ち組に睨み返されるのがオチです。


この2学期の部屋の割当によって、負け組の無念をはらす日々がはじまります。夜、負け組メンバーから毎日のように暴行を受けました。


暴行を受けても、教員から「やられる方に原因がある」といって立ち会いませんでした。この発言が彼らを更に煽りたてるのです。厳密にいうと、やられる方に原因がある、というよりは、殴る方に理由があるが正解で、その理由が以下の


2年間先輩からのシゴキに耐えたのに、その努力(?!)が報われなかった。

同期なのに負け組メンバーに成り下がった。

勝ち組メンバーだけがパシリに正座させることができる権限がある


などが挙げられます。


彼らは根拠のないいいがかりをつけながら、殴り続けました。負け組の大半がボート部の部員だったのでその破壊力は凄まじく、身を守ろうと左腕でよけようとすると、そこを中心に殴りつけるため、左腕が倍ほどに脹れ上がりました。そしてその左腕は動かなくなりました。


病院内の整形外科の病棟で診察を受けた結果、入院が必要で、全治2週間と診断されました。この診察の際、学校の近くの病院ではなく、自宅近くの病院にしました。なぜなら報復を恐れたからです。


当時の病院は今ほどセキュリティがしっかりしていない可能性があり、さつき寮から歩いていける距離だったので、夜中に侵入して連行された上に暴行を受ける危険性があったのです。物理的に離れたところに隔離した場所に身を置き、彼らに暴行を諦めさせる必要がありました。それが自宅近くの病院に入院を決断した所以なのです。


かつて自分が全治2週間のケガを負って入院中に、この教員がお見舞いにきたことがありました。どういう意図があったのか定かではありませんが、やはり本人なりに責任を感じていたのかもしれません。


診察の際、負け組から暴行を受けた、とはいえませんでした。なぜなら自宅近くにいるとはいえ、報復の影が消えないからです。


ボート部員からの暴行がない時は寮生のひとりがイジメており、そのまま悪ノリして左手甲に根性焼きを入れました。これが致命的となり、とうとう寮を飛び出したのです。


自宅に着くと、パパは自分の左手甲を撮影しました。この写真撮影は単なる撮影に留まりませんでした。パパその写真をすぐに現像し、学校に送りつけました。そしてパパは学校を相手取って訴訟を起こすといい出したのです。


パパは要所要所で自分を被写体として写真撮影を行っており、この撮影が3度目になります。


1度目は水泳部に入部して数カ月後。かつて色白でブヨブヨでひ弱だった姿から、こんがり日焼けして引き締まった体格に変貌を遂げた時です。この時ほど、パパは息子を誇らしげに思ったことはなかったでしょう。練習の時も、試合の時も、パパは夢中になってカメラで撮影してました。


2度目は、左腕が倍くらいに脹(ふく)れ上がった時です。


同じ被写体でこの高低差は何なのでしょうか。パパはカメラのファインダー越しに何を思ったのでしょうか。そして3度共あの教員が絡んでいる事実を、パパはどう捉えたのでしょうか。1度目は水泳部の顧問として、2度目と3度目はさつき寮の寮部長として。


程なくして、寮部長の立場であった教員に付き添われてその寮生は自宅に来ました。父親は開口一番


「こちらはやるべきことをやる。当然覚悟はできているよな」。


そしてこの教員に対しては


「責任は取ってもらうよ」。


人間の怒りも、頂点に立つと、驚くほど淡々としていて、感情的になりません。


この寮生は、この後ショックで家に帰れなかったそうです。一方教員は、かなり屈辱的な思いをしたのかもしれません。おそらく彼の人生でこんなに相手の逆鱗に触れたのははじめてでしょう。『責任を取る』とはクビを意味します。最終的にクビにこそなりませんでしたが、プライドは大いに傷ついたのは間違いありません。


かつて寮生が寮出した時は、その親御さんに対しては適当にはぐらかすだけで良かったのですが、そんな対応を、パパの前では通用しなかったのです。


今度は経営者である副理事長が自宅ヘ飛んで来ました。かなり焦っていた印象でした。


人づてで伝わったことなので、推測の領域から抜けられないのですが、自分がさつき寮を飛び出していなくなっている間に、自分の部屋の人たちが勝ち組の人たちにボコボコにされたそうです。真偽の程はともかく、もし仮にこのようなことが起きていたのなら、それなりの理由がありそうです。


教員および勝ち組と負け組、それぞれの反応。


勝ち組の人たちは、自分のパパがどういう存在なのかを認識していたのかもしれません。もしあのパパを怒らせたら自分達に重大な結果になるかもしれない、と。パパが神戸大学教授なのも、彼らに見えないプレッシャーを与えている可能性があります。


もし仮にそうだとしたら、勝ち組の間でパパの存在を、暗黙知として共有していた可能性があります。そして負け組の人たちがパパを怒らせるという最悪の結果を招いたことが、勝ち組には到底耐えられなかったはずです。


寮に戻ってきたあと、教員をはじめ勝ち組と負け組との間に、それぞれらしい対応しました。


まず教員は「やられる方に原因がないとはいい切れないだろう」。


全治2週間のケガを負わされ、根性焼きを入れられた人間に向かっていうべきコトバかどうかはともかく、ひとつの結果として受け止めるしかありません。


勝ち組は一様に「お前は悪くないからな」と。


性格が如実に出たのが負け組。


「お前、普通は謝るのが礼儀やろ」。


今まで通りに無念をはらせないもどかしさが滲み出てます。限られた条件の中での営み方、つまり最後の砦となるのは、彼らにとって適切な『コトバ遊び』です。


就寝時間になると、


「何か居心地悪いな」。


「理由は分からないけど、何か居心地悪いな」。


などといってきます。更にエスカレートしてベッドを蹴ってきました。そして自分はいてもたってもいられなくなり、再度寮を飛び出しました。


そして自分が3度さつき寮に戻ってくるや否や教員は


「何を甘えてるんや」。


待ってました、といわんばかりの反応。今までの借りを返したかったのでしょう。この発言の中には『せっかくお前のために配慮しているのに、何を身勝手なことしやがって』という意味が暗に含まれています。


そして柳学園退学へ。


この教員の発言で、寮に留まる気持ちは完全に絶たれました。そして自分はさつき寮を退寮し、新たな制裁が待ち受けるのです。


退寮に伴い、さつき寮の寮生からは村八分にされ、同期は先輩の前で堂々と暴力をふるいました。


コトの発端は、勝ち組によるパシリ免除からはじまりました。それが負け組および同期の妬みを生み、過去の無念さを、自分にぶつけました。


この年は上級生が全体の6割を占め、上級生どうしの間で格差が発生し、同期はパシリの仕事量が激増。それに伴い、負け組は2年間の無念をはらすため、そして同期は不公平感を解消するために自分をターゲットにして、しかるべき行動に出ました。


そして休み時間、自分は同期から致命的な暴行を受けました。そしてそれが柳学園を退学する決断に至ったのです。


こんなことを書くと、この同期からいわせれば


「お前が勝手にやめたんやないか」。


となりそうです。




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