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「チエちゃんと私」

家の本棚には、吉本ばななさんの本が初期の作品からエッセイも含めて、ハードカバーと文庫でたくさん揃っている。

私にとって吉本ばななさんの作品は、これまでもこれからの人生においても、読むお薬みたいな存在なので、本棚に揃っているのを眺めるだけで、落ち着いたほっとした気持ちになる。


「なんだか心が疲れたな。」
「生きてくってなんか大変だな。」
「どうしてうまくいかないんだろう。」

こんなふうに心がほんの少しへたって、かわいたスポンジになりかけている時に、本棚の吉本ばななさんの作品から直感で(ここが大事)選んで読んでみると、その作品の中に、その時自分が気になっていたこと、言語化できずにもやもやしていた気持ちに、ふわりと寄り添ってくれるような文章に出会うことができるのだ。


今回の作品はこちら。

人の中には何人のオプション人格がついているのだろう?
きっと状況により無限に違いない。
(中略)
だから、今自分が生きている時間だけでものごとを切り取るのは、狭いことだな、と思う。
どうせどんなにがんばっても自分の目でしか切り取れないのなら、深く自分だけをつきつめたほうが早いんだと思う。
遠くへ行くにはそれしかない。

「チエちゃんと私」よしもとばなな(文春文庫)


内省する自分、思ったことはっきり言ってしまう自分、投げやりになる自分、本質を見極めようと思考して行動する自分。

どれも自分であるけれど、職場にいる忙しい人たちの言葉には「○○さんって、~だよね。」のような、何かと個人を型に嵌めたがる傾向を感じることがある。

そのほうが楽だからだろうか。

そんなことを感じていたので、久しぶりに「チエちゃんと私」を読んだら、読後に少しすっきりした。

この胸の中に毎日燃える炎のような赤い輝き、それは外から通りいっぺんの目で見ても誰にも決してわからないし、簡単にわからせはしない。
私は燃えるような謎でできている。
宇宙の謎よりももっと大きな謎を秘めている。
ほんとうは人はみんなそうなのだが、とにかくこの私はすでに知っている。
その巨大な宝石のようなきらめきの全てが、私だけのものなのだった。

「チエちゃんと私」よしもとばなな(文春文庫)


何回読んでも、はっとしたり、じんわりきたり、はらはら涙したりすることができる。

本ってすばらしいなと心から思い、そんな作品を届けてくれる作者と偶然にも同じ時代に生きているのがとても嬉しい。


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