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③バレエ・リュスの革命と西側バレエの発展

前章まで、ロシア帝国時代〜社会主義革命の波の中で揉まれるロシアバレエの変遷について見てまいりました。
いよいよ冷戦期のお話…に入る前に、本章では西側でのバレエ発展の歴史について述べておきたいと思います。そしてこちらを語る上で不可欠なのが、バレエ・リュスと呼ばれる伝説のバレエ団です。

1.クラシックバレエの黄金期と革命の兆し

いわゆる「モダンバレエ」の発展について述べようとすると、まずはロシア革命が起きる前のロシア帝国時代へと時代を遡る必要があります。

ロシア帝国では19世紀後半にクラシックバレエが開花し、19世紀末にかけてバレエ黄金時代を迎えました。この時代を支えた振付家として、マリウス・プティパという人物がいます。

フランスからロシアに渡ったのち、帝室劇場にて数々の作品の振付や改訂を行う。
その功績から「クラシックバレエの父」と呼ばれ、携わった代表作は『ドン・キ・ホーテ』『ラ・バヤデール』『眠れる森の美女』『白鳥の湖』『くるみ割り人形』『ライモンダ』など、チャイコフスキー三大バレエを始めとして、現在も受け継がれる名作ばかり。


プティパが作り上げたバレエの主流は、マイムと踊りを明確に分け、踊りを舞台の最高位と置くものでした。現在のイメージであるようなトウシューズを使った複雑な技巧や連続回転などもプティパの登場と共に発展し、当時の上流階級の観客たちを大いに盛り上げていました。
余談ですが、今では一般的なクラシック・チュチュ(下の写真のような衣装)も、こうした技巧の発展に合わせて誕生した経緯があります。

(マリウス・プティパの代表作の一つである『ライモンダ』より)


しかし、こうした舞台構成に疑問を持つ振付家もいました。それが、のちにバレエ界の変革を担ったミハイル・フォーキンです。

プティパの作品では、しばしば内容の一貫性よりも妙技を重視し、必要のない場面でもそのような振付を入れて観客を喜ばせることがありました。こうした姿勢に幻滅したフォーキンは、プティパの確立したクラシックバレエに反発した革新的作品を作り上げていきます。


この当時制作された作品の1つに、現在も上演されている『瀕死の白鳥』(当時の題は『白鳥』)があります。
作中ではパドブレと言われるステップしか使わず、上半身の動きで死ぬ間近の白鳥の繊細な動きとオーラを表している印象的な作品です。(下記映像は当時のものと思われます)

フォーキンの作品では、それまで副次的な存在であったキャラクターダンスが中心に据えられた。そして舞台を物語の説明とはせず、個々の踊りを通して感情やムードを伝えることを重視した振付を行った。


しかし、こうしたフォーキンの試みが当時の帝室劇場から興味を示されることはなく、ロシア帝政下でのクラシックバレエ革命は難しい状況に置かれました。

そこでフォーキンにその改革の場を与えたのが、バレエ・リュスだったのです。

バレエ・リュスは、20世紀のバレエに革命をもたらしたバレエ団であり、モダンバレエの発展の源でもある存在です。またバレエのみならず、ファッション音楽という点でも後世に大きな影響を残した存在であり、伝説のバレエ団とも称されています。

では、そんなバレエ・リュスの歴史と功績について、述べていきたいと思います。


2.バレエ・リュスによる革命

バレエ・リュスは、芸術プロデューサーのセルゲイ・ディアギレフによって創設された、劇場を持たない史上初の民営バレエ団です。

19世紀後半のロシアでは「芸術世界(ミール・イスクーストヴァ)」と呼ばれる前衛芸術運動が起こり、20世紀にかけての芸術界では様々な分野間の融合が盛んになっていました。
そうした中、革新派の芸術家たちと共に流れを牽引し、国内外で活動を行なっていたディアギレフは、フォーキンが試みていた帝室劇場でのバレエ改革にも関心を寄せていました。

芸術プロデューサーとしてロシア内外で展覧会や演奏会を主催し、また芸術家グループの仲間と前衛芸術運動について紹介する『芸術世界』という美術雑誌を創刊するなどしていた
やがて天性の鑑識眼で様々な分野の才能を集結させ、バレエ・リュスを率いて世界に革命を起こした


そんな中、ディアギレフがパリの興行主からバレエの公演依頼を受けたことをきっかけに結成したのが、バレエ・リュスでした。

ディアギレフはフォーキンを最初の振付家として迎え入れ、同時に、ヴァーツラフ・ニジンスキーアンナ・パヴロワなど、その意志に賛同したダンサーを帝室劇場から集めました。

バレエ・リュスの初シーズンは帝室劇場の休暇期間を利用して行なわれ、1909年5 月にパリのシャトレ座で開幕を迎えます。
そして、フォーキンの新鮮な振付と、優れたダンサーたちによる洗練された踊りは、バレエがすっかり衰退していたパリで観客を圧倒しました。

ミハイル・フォーキン振付の『火の鳥』(1911年)
ミハイル・フォーキン振付の『薔薇の精』(1911年)


翌1910年にはパリ・オペラ座での公演も大成功を収め、ディアギレフは本格的に活動拠点をロシアから西欧に移す決断をします。そして多くのダンサーが帝室劇場を辞め、バレエ・リュスに合流しました。

1年を通して公演が可能となったバレエ・リュスは、その後もモンテカルロやローマ、パリ、ロンドン、ウィーン、ブタペストなどヨーロッパ中を回って公演を行い、各地で大きな反響を得ていきました


しかしながら、もちろん行う公演全てが支持を得たわけではなく、中には“革新的すぎる“公演に批判を浴びることもありました。
中でも、フォーキンに次いでバレエ・リュスの振付家として君臨したヴァーツラフ・ニジンスキーは数々の衝撃作を発表し、毎度大きな騒ぎを引き起こしたといいます。

ニジンスキーの代表作とも言える『牧神の午後』(1912年)
上演後は熱狂的な拍手とブーイングが入り混じり、賛否両論を巻き起こした衝撃作となった
ストラヴィンスキーが作曲、ニジンスキーが振付を行った『春の祭典』(1913年)
初演時は公演中から罵声とブーイングが会場内に響き、観客同士の喧嘩なども始まって音楽が聞こえなくったという逸話も残るほど、世間に衝撃を与えた一作


しかしながら、そうした騒動も含め、バレエ・リュスのもたらした新しい感性は確実に芸術界に革命をもたらしていきました。
その感性は踊りの面だけでなく、音楽や衣装、舞台装置にも存分に発揮され、バクストストラヴィンスキーをはじめ、時には、かの有名なピカソシャネルジャン・コクトードビュッシーラヴェルなど、各界の多様な才能がその活動に賛同し、集結しました。

そうして生み出されていった革命的な作品は、まさに総合芸術として、行く先々で衝撃を与えたと言われています。

バクストやニコライ・レーリヒらによるバレエ・リュスの衣装の数々
バレエ・リュスの舞台装置とパブロ・ピカソ
『火の鳥』の衣装スケッチ(左)と『牧神の午後』のプログラム(右)
スペイン公演時のバレエ・リュス一行



なお、バレエ・リュスが本国ロシアでの公演を行うことはついに一度もありませんでした。

1912 年にはロシアでの公演も予定されていたのですが、直前で会場が火事になったため中止となり、その後、ロシアは革命時代に突入したためです。


ロシアの芸術家たちによって始まったバレエ・リュスでしたが、ロシアバレエ界にその革命の波が到達するのは冷戦が始まった後となりました。
そして何より、「西側文化」として、彼らはその衝撃を目の当たりにすることになるのです。


3.バレエ・リュスの消滅と西側バレエ文化の発展


一世を風靡したバレエ・リュスは、1929年のディアギレフの死をもって、そのまま自然消滅していきました。

その活動期間はわずか20年でしたが、その存在はバレエ文化が衰退していた(もしくは全くの未発達であった)各国に大きな影響を残し、ロシア=ソヴィエトとの間に革新的な亀裂をもたらしたと言えます。



さて、西側バレエの発展という意味で、もう一人取り上げたい人物がジョージ・バランシンです。

マリインスキー劇場(旧帝室劇場)に所属していたバランシンは革命の際にソ連から亡命し、その後、ディアギレフからのアプローチを受けて1924年にバレエ・リュスに加わりました。
そしてバレエ・リュスの5人目の振付家として『放蕩息子』『アポロ』などの傑作を生み出しています。

そしてバレエ・リュスの消滅後、バランシンはアメリカバレエの発展に尽力していきます。
数々の作品を残すだけでなく、バレエ学校の創設や、現在の名門バレエ団であるニューヨーク・シティ・バレエ団(NYCB)の立ち上げ等、同国のバレエ発展の基礎を築き上げていったのです。

バレエ・リュス時代のバランシンの代表である『アポロ』(1928年)
作曲はストラヴィンスキー
アメリカのバレエ学校にて指導を行うバランシン
その功績から「アメリカバレエの父」と呼ばれている


やがて彼の現代的な作品は、冷戦期の東西バレエ対立という文脈における「西側バレエ」の代名詞となっていくことになります。

そして、バレエ・リュスに端を発して巻き起こった一連のバレエ革命ですが、のちの冷戦期にソヴィエト=ロシアバレエ界にその衝撃を与えるのは、紛れもなくこのバランシン率いるNYCBとなるのでした。


***

今回は、バレエ・リュスの登場と西側でのバレエ発展への流れについてまとめました。

わずか20年の活動にも関わらず、20 世紀のバレエ界に大きな変革をもたらしたディアギレフのバレエ・リュスの存在は、欧米のバレエとソヴィエトのバレエを隔てる大きな境界線になったといえます。

次章では、冷戦期の東西文化交流について触れていきたいと思います。


最後までお読みいただきありがとうございました。☺︎

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