誰かの言葉
誰かの言葉で救われるのは、真実だと思う。
ただ、本当の救いは「自分で生きていけるか」だと思う。
今日は一日中掴み損ねた言葉を探していた。
誰かに伝えるべき思想じゃなく、
自分自身への思いだった。
クレアボヤンスとして
視覚された流れる風景と知らない人々の顔を視ながら
それを翻訳する術を失っていた。
それは、ただの未来かもしれない。
そうか、知らない人の未来もちゃんと保管してないといけないということか。
でも、今視えた未来は、受け取らないと過ぎ去ってしまうのにな。
それは、自分の可能性もそう。
私自身の可能性ということもあるのだ。
ひらめきは、掴んでいこう。
あぁ、新しいことがいっぱいなんだな。
わくわくしていこう。
わくわくしてみよう。
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