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■8月3日 数をたくさん積み上げることについて

何度か書いていますが、先月来「短歌」を詠み始めました。私は、基本属性が「猪突猛進なゴリラ」であるため、24日で200首詠むというゴリッゴリの力業を遺憾なく発揮…していることに気づいたとき、我ながらちょっとだけ呆れてしまいました(笑)

でも、そんな風に、とにかく毎日遮二無二詠み続けるということをしていたら、なんとなくですが、人様にお見せしても大丈夫、かも…? くらいのモノはつくれるようになったのです。

もう少し言うと、我ながらちょっとお気に入りかも、くらいのモノを詠めるようになったのです。

もちろん、それは百発百中などではなく、10首くらいを這這の体で詠んで、ようやく1首あるかないかくらいの心許ない確率ではありますが。

それでも以前のように、どれほど詠んでも「とりあえず、三十一文字(みそひともじ)の形式に押し込んだだけ」の歌や、5つのパーツのどれか一つは頓珍漢な言葉が捻じ込まれた歌しかできない、ということはなくなりました。

それはそれで、数をゴリゴリにこなすことで得られた私だけの感覚だろうと思いますし、これから歌を詠んでいくにあたって、私の核になるものなのだろうと思うのです。

実は、上の歌を詠めたとき、私、うれしかったんです。まだうまくは言えないのですが、「ようやく歌を詠めた!」と明確に思えたんですね。

今までは、歌を詠むというよりは、言葉を並べているだけだったんです。表そうとしたもの、伝えたいモノはあった。でも、それらを言葉に落とし込んだり、伝わるカタチにしたりがまったくできなかった。

でも、この歌を詠んだことで、「私も歌えた♪」ってはっきり思えたんです。その感覚は温かくて、うれしくて。高揚のあまり、あちこちに書いてしまいました(笑)

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おそらく、超初心者ががむしゃらに詠むことで到達できる地点に、私自身は辿り着いたのでしょう。きっと、ここがスタート地点。「超初心者から、初心者へレベルアップできた」とでも申しましょうか。

これからは、歌を詠むこと自体も続ける一方で、他の方の詠まれるものをせっせと吸収していくことが必要だと考えています。端的に、視野を広げるというか、技術を盗むというか。

このところ、どれほど詠んでも同じレベルでぐるぐるしてしまい、突破口が見つからなくなっていたんです。そして、そこから脱出を図るには、自力だけではどうにもならないことを超自覚したのです。

幸い、現在は「短歌ブーム」。歌集や詠草を通して、惜しみなく教えてくださる方は大勢いらっしゃいます。それらを読むことを「勉強」と言ってしまうと堅苦しいのですが。兎にも角にも、短歌をたのしくもりもり摂取して、ぐいぐい糧にして。自分が、もっとわくわくできるような歌を詠みたいなと、思っています。

詠むことで初めて向き合えた感情もあります。それは、わりとドロドロしていたり、我ながら「まだこだわってたんかい 笑」なものだったり。まだお目にかけるには生々しすぎるあれこれがごった煮になっています(笑)

でも、一方で。

こうしてエッセイを毎日書くことで出てくるモノもあるんです。それは、短歌を詠むことでは決して出てこないモノで。だから、きっと今の私にはエッセイも短歌もどちらも必要なのです。

これからも、エッセイを書きながら短歌も詠みながら、ことばを紡いで生きていこうと思っています。今、どっちも楽しいですしね。毎日何かしらは更新していきますので、見かけたときにはどうぞよしなに。

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今日もここまで読んでくださり
ありがとうございます。
今日がいい日でありますように。
んじゃ、また。

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