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アイドルが「良い人」である必要はあるのか

例えば、アイドルに「ファンのみんなも毎日大変だよね」と言われて素直に受け取れますか?

例えば、アイドルが普段は一般人と特に変わらない生活を送っていると聞いて安心しますか?



聞き方で勘付いてしまった人もいるかもしれませんが、わたしはこう言った言動を素直に受け取れないタチです。

その理由として、まず単純に自分よりスペックがはるかに高く、日々華やかな世界で自分とはかけ離れた生活を送っているだろう人にそんなことを言われても信じられない、というのが1つ。

我ながら、なんて可愛げのないファンだ…!


加えて、アイドルは全てが自分よりはるかに優れているのに(そう見せるのが彼らの仕事ですが)そんなアイドルが一般人である私たちの生活に寄り添われでもしたらもう合わせる顔がない、というのがもう1つ。

この「合わせる顔がない」の後の心理状態は大きく2つに分けられて、
自分より優れた人を素直に認められない人は「推しの全てがまぶしすぎて見ていて苦しくなる時がある」と感じ、
自分より優れた人を素直に認められるひとは「合わせる顔がないのにこちらを見てくれる!神!崇める!」という心理になります。

アイドルの必要以上な神格化はアイドルが「ファンに寄り添い」、かつファンが自分より優れた人を無条件に認めてしまう場合に顕著なのかな、と思います。

そして、アイドルのファンへの寄り添いを受け入れられない最大の理由が、
アイドルに「過度にできた人間であること」を求めるのは残酷だしとても怖いことだ”
と思っているから。

何故そう思うかというと、アイドルに求められる理想の全てを最大限まで満たすことは、前提として破綻しているからです。


その理由について書く上で、まずは芸術について考えてみます。

とは言ったものの、この記事に入れようと思ったらあまりに長かったので別記事にしました。
ご一読いただけたら幸いです。(この前の記事です)

https://note.mu/eruru/n/n93b1e0a40641

(この議論で用いているところをものすごく適当に要約すると、芸術家は「一般的な感性を持つ人にはなれない」存在であり、また「芸術に伴う生みの苦しみを味わう故に一般的な生き方を求められずに済む」存在ではないのかということです)

さて、ここで話をアイドルに戻します(長旅でした)。

「アイドル」は「芸術家」と言えるでしょうか?
私たちが「アイドル」に人格や常識的な生活を求めることは酷ではないのでしょうか?

アイドルの仕事は「夢を売る」ことです。もうちょっと丁寧に言えば、「自分を使ってファンに夢を見せて、お金をいただく」ことです。

しかし一方で、確かに「アイドル」は芸術家です。彼ら或いは彼女らは、自分たちの曲の世界観を表現し、言葉を紡ぎ、見てくれる人に感動を与える。
最近ではライブの構成や作詞を自分でやったりする自己プロデュースがアピールポイントになる時代ですから、より芸術的要素の需要は高まっているのかもしれません。

素晴らしい性格だと思わせることも「夢を売る」という彼らの仕事の一部だと言ってしまえばそれまでですが、
「多くのファンを魅了するアイドル」という一種の芸術家としての生き方と、「常識ある一般人」を同一人物がこなすことは可能なのでしょうか?

「芸術性」と「人間性」は両立不可能だと言えると思います。

つまり、

**「あなたの作る作品で私を魅了してよ」「素晴らしいと思えるものを作って見せてよ」 **

「あなたのことも尊敬させてよ」「あなた自身も私の理想像であってよ」

という2つを「アイドル」という1つの存在に望むことはとても残酷なことなんじゃないでしょうか。

「いや、それがアイドルじゃん」という声もあると思います。私が言いたいのはそこです。
“アイドル”って実はすごく残酷な職業なんじゃないのか。

「プライバシーがない」「恋愛が自由にできない」「迷惑なファンがいる」以前に、
規格外の人にしかできない」芸術性と、「素晴らしい人格」を持った理想像という両方を求められること自体が、その存在の定義となっているアイドル
ってとんでもなく残酷な存在なんじゃないか。

だって、どっちかを極めようとするとどっちかが死ぬし、両方を極めようとすると自分の人間性をないがしろにするしかないから。

実際、「アイドルの作品も、アイドル自身も人気がある」アイドルは、自分の人間性について悩んでいることが多い気がします。

確かに、私が単に「自分は一般人とは違う」と思っているタイプの人、「受け入れられなくても我が道を行く」人が好きだというのもあるかもしれないけど。
多分、ほとんどのアイドルは求められる矛盾に対してうまく手を抜きつつ帳尻を合わせながら彼らの生業を全うしているんだろうことくらいはわかるけど。

それでも時々、
「アイドルというもの」にまっすぐ向き合いすぎて壊れそうになっている人や、
アイドルの定義の残酷性に気づかないままアイドルになってしまって戸惑っている人を
見ると、本当に心が痛む。

彼らに言ってあげたくなる、

「完璧なアイドルなんて存在しない。だってそもそも定義から人間に求める条件として破綻してるんだから」

って。

「君にできる、君なりの“アイドルのようなもの”を見たいだけなんだ」って。


特に芸術性を見初められてこの世界に入ってきた人にとって、作品のクオリティを維持しながら素晴らしい人であることを求めるのは、「自分を殺せ」と言っているようなものではないかと思うのです。

それが、私がアイドルに「過度にできた人間であること」を求めるのを極度に恐れる理由です。

芸術性を一切捨てて理想像だけを全うしているアイドルならいいんです。そういうプロは心から尊敬します。夢を見させてくれてありがとう。
でも、そんなアイドルはこの世界には存在しない。

自分で作品を生み出そうと思っているのなら、人間性は多少放棄してもらって構わない。芸術を営みたいのなら、自分自身に向けられた理想は叶えられないところが出てきて当然です。

この思いが根底にあるからこそ、アイドルには「毎日大変だよね」なんて気安く言わないでほしい。
あなたは仮にも芸術家なんだから、「みんなの言ってることピンとこないよ、視点がちがうのかなあ」って言っててほしいんだ。

でも、それすら私の「理想」であることにはなんの変わりもない。

芸術だなんだと書いてきたけれど、結局はそういうことだ。

「ファンの要望に沿った自分を作らず、ありのままでいてほしい」というただの一ファンの要望。

このどうしようもないパラドックスは、結局私があなたのファンだということの証明となるのだろうか。

この議論も、「かっこいい大好き!私の彼氏になって〜!」と同じところにあるのだろうか。
私はアイドルのことを思いやるという体で、私の理想を押し付けているだけなのか。

そんな、アイドルの残酷さと理想の恐ろしさのお話でした。

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