挫折が教えてくれたこと。

完璧主義できたけれど…

いまでもたまに周りの人から
「けっこう完璧主義っすよね」
と言われたりするんだけど、

昔と比べたら
かなり柔軟になったんですよね。

それまでは自他ともに認める
完璧主義だったように思う。

目指すべき人のレベルがあまりに高すぎて、
その期待に応えることを使命にしていたし、
それ自体は今もブレてはいないけど、
頑張れば頑張るほど、
成長すれば成長するほど、
偉大な人が抱える責任や重圧がわかり、
恐ろしくなってくる。
もう、ど変態領域にあるくらい、
凄すぎて言葉にできないから。

途中で妥協することを許せなかったし、
男が一度立てた旗を自ら下すことなど
カッコ悪い以外にないと思っているし。

でもね、いまだから分かるんだけど、


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
完璧主義と最善主義は違うんだなって。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

完璧主義は、大いなる理想を描き、
何があってもその目的に向かって
まっしぐらに突き進むこと。
良くも悪くも、
理想=現実にしなければ許せない。

そして、

成功したとしてもそれが成功だと思わず、
もっと上を目指さなくちゃならないと
思い込む。ストイックな生き方とも言える。

現実がどうであれ、
その理想に現実を力づくでも合わせようと
もがき続ける。

この生き方があまりにもカッコよくて、
今でもこの思考は基本的には同じなんですが、、、

最善主義は、よくも悪くも現実を否定しない
ところにあるのだと気づいてきました。

ダメだったら仕方ない、
失敗したらそれも仕方ない、
意味があることだと前向きに受け入れる余裕、
きちんと足元をみて、受け入れる勇気とでも
言えばよいのか。

人としての柔軟性が高まるといえば
聞こえはいいけれど、
それでいいんだと思ってしまうと、
どこか自分にスキが生まれる感覚があって、
甘えてしまうのではと思ってしまう。

しつこく、どこかにある。



20代はとにかく遊びを一切捨てて、
なりふり構わず猪突猛進に頑張ってきました。

寝る間も惜しんで、
365日フルに自己成長のためだけに生きてきた気がするし、顔がげっそりしてしまうくらい、
食らいついて自分と戦ってきた。
遊ぶもんなら罪悪感が出てきてダメだ!
って本気だった。

だからなのか、
比較してはいけないと分かっていながら、
できない人への理解に欠けていたし、
関わる人たちをグイっと引き上げるパワーは
凄いとみんなに言われてきたし。

だけど、「わたしにはそこまでは出来ない」
という声を同時によく聞いたものだ。

「桜井(本名)さんは、武士で言えば、
決して刀を抜くことはしないのだけど、
常に刀の柄に手を掛けている状態」
とうまく言ってくれた後輩もいた。

思わず、「なるほど」と思った。


でも、
そんな自分が変わるきっかけになったのは、
六年前。

ーーー

かつて経験したことのない地獄を見てから。

それは自分がいた環境とか、人間関係とか、
借金とか、裏切りとか、
何か外側が原因で地獄を感じたんじゃなくて、
きっかけは人間関係、環境のミスマッチだった
のかもしれないけれど、

とにかく情熱がわかない。
なにくそ!という今までの根性が出せない。
心と身体が完全に不一致し、
結果の出し方まで分からなくなって、
希望を失いかけた。

今までの自信や、築いてきた自分の生き方が
底辺にあるからこそ、その信念と今の気持ちの
ギャップがかけ離れ過ぎてしまい、
それでも何とか打開できるんじゃないか?
打開しなきゃならないんだ!と、
逃げることをとにかく恐れ、
ときには涙を浮かべながら戦っていた。

助けて!!もう逃げたい…
と、藁をもつかみたくなる心境って、
こういうことなのかと初めて知った。

それはキツかった、、、
やらずに悔やむのは後悔が残る。
やって悔やむのには意味がある。


しかし、もう悔やんでもいい。もうダメだ…
と、生まれてはじめて逃げるということを
決断した。屈辱なんて感じる余裕もなかった。

いま思えば、自分が一番見たくはない、
自分の弱さに真っ向から向き合った出来事
だったんだろうと思う。

受け入れたくはない…
でも受け入れるしかない。。。

今まで築いた自信が一気に崩れたし、
少なくても半年以上は地に足がついてないと
いうか、ポッカリ心に穴が開いた感覚だった。

男って自信を失うとヤベーって思った。

しかし、自分を決して諦めることだけは
しなかったのが救いだった。
ふと弱気になれば、怒涛のごとく、
自分を卑下したくなる命が現れる。
なんとか、ギリギリのラインで立ち止まって
こられたのは、尊敬する方々の励まし、
勇気と希望の言葉だった。

それから一年近い時間をかけて
自分の棚卸しをし、感情に向き合いながら、
なぜそう思うのかについて、原因を追求し続けた。

良くなるために、さらに成長するため。

そんな中、

昔以上に人を受け入れる余裕が生まれ、
弱い人の気持ち、頑張りたくても頑張れない人の気持ちが少しずつ理解できるようになってきたように思う。

シンプルに言うと、
広い範囲で「許す」という力がついたように思う。

自分の見たくない弱さを見つめ、
しばらくはキツイけど、
時間とともに自分自身の弱さを「許す」ことが
できるように成長した気がする。
それができ始めて、他人の弱さをも許し、
他人の立場で一呼吸おいて考えられる懐の深さ
が身についた気もする。

素直に人に甘えることもできるようになってきたようにも思う。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「許す」ということが分かると、
それができるようになると、
全ての生活に余裕が生まれてくる。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

金とか、地位とか、プライドとか、
ほかにたくさん満たされていないことが
あっても、なぜか、心のど真ん中が
「安心」している
とでも言えばよいのか。

若い時の完璧主義はすごく大事。
でも、それを経て、最善主義に生きることを
学ぶのは凄いメリットがあると。

ここまで書きながら、
「何を言いたいんだ?」
とわからなくなってきたけれど、

人生は長いし、自分を見捨てない限り、
必ず深い気づきを得て、再度立ち上がる時を
捕まえることができる。
一歩踏み出す勇気さえ忘れなければ、
どうにでもなる。


だから、

本当に苦しいときは、逃げたっていいんだよ。逃げて欲しい。大丈夫だよ!と伝えたい。

それも含めて全てが、
自分史を語る上で、笑い話としての
一つのネタになるし、
死ぬわけじゃないんだから、
ほんと苦しくて辛かったら、
荷物を全部投げ捨てて軽くなろうよと
伝えたい。

新しく生まれ変わるには、
荷物を捨てない限り、
新しい荷物を背負えないのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?