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恐れるべきは純真さと独自性を失うこと

真夜中パッと目が覚めて、はっきりこの言葉が浮かび腑に落ちた。

「恐れるべきは純真さと個性を失うこと」

いやぁ、、これだね!これだよ。

本当に恐れるべきは、死や貧困や面目を失うことじゃない。

子供の頃はみ〜んな持ってた純真さと独自性、魂を損なうこと。

“からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。”

マタイによる福音書‬ ‭10‬:‭28‬

「大人になってスれる」って言い方があるじゃん、

それで「成熟=世渡り方法を熟知し実行してること」みたいな公式のまかり通ってる社会があるけどさ。

そんなのウソ‼︎というか、洗脳‼︎‼︎

礼儀やマナーを学び示すのは愛の一つだと思う。

身勝手や真理に反することと個性を履き違えるのも違う。相手や社会のために適切な自制をすることは、愛。

でも例えば私利私欲を満たすためにお膳立てしたり裏で手を引いたり、

目先の富に飛び付き本当に大切なものを疎かにしたり、

そういうのってつまり、真の意味での命を失い始めてるのと同意義なんだと思う。

それでもって運動してプロテインやサプリメント採って(☜これ自体は良いこと。私もしてます☺︎)

身体ばかり健康目指してるとすれば、

なんて滑稽なこと!

なんじゃないかなぁって。

この世で手っ取り早く成功したかったら、

恐ろしい言葉で言えば、

「魂を捧げれば良い」んだと思う。

ひたすら周囲世間の欲望に合わせて自分を変え、時間:命を捧げる。求められる価値を提供する。

(語弊を防ぐために、一概にその全てが悪いと言いたいのでないことを踏まえて... )

でもその「成功」って何だ?

成功=大義を成すこと?自分の仕事が社会に認められ、地位を持ち稼ぐこと?

もし幸せで居続けることを成功の定義にする/含めるのであれば、

自分の純真さと個性こそ、絶対に守り抜かねばならない。

そして大義はその上に置くべきだと私は思う。

もしかすると、ある人は純真さと個性を自然と携えた若かりし時に、すんなり世間的にも成功するかもね。

でも気を付けなくちゃいけない。

富を持ち華やかな場に出入りすること、それはあらゆるリスクと誘惑を余計に得ることだから。

自分は特別な人だって、勘違いしてしまいやすいことだから。

ゆでガエルの法則で、世間的尊厳のみならず、心も体も魂も、ある時にぜんぶ崩壊してしまうかもしれないから。

悪魔は天使の顔もできる。甘い蜜を吸わせられる。

でもその最終目的は人を破滅させるためだってこと、忘れちゃいけない。

世の中へ出ていく時、沢山の薄汚さを嫌でも見るけれど。

綺麗なものは強い。愛は何よりも強い。

"この世と調子を合わせてはいけません。"

ローマ人への手紙 12-2

このことを胸に留めていたい。



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