見出し画像

近代の超克は可能か? 富岡幸一郎「内村鑑三」

 内村鑑三は、自身の生涯には「三度大変化が臨んだ」といっている。一度目は札幌でのキリスト教入信、ニ度目は「道徳家たるを止めて信仰家」となった時ーー余の義を余の心に於て見ずして之を十字架上のキリストに於て見たーー、そして三度目はキリストの再臨を確信した時である(133)。このうち、ニ・三度目の「大変化」については、十分に論じられているといってよい。特に、筆者が内村の「思想の、その生涯の頂点」とする「再臨信仰」を、「近代」を超えるものとして提示している論点は大変面白い。
 『文學界』昭和十七年10月号に掲載された座談会「近代の超克」はあまりにも有名である。この座談は、当時を代表する知識人たち(小林秀雄や中村光夫、林房雄がとりわけて著名であろう)が「『近代の超克』といふただ一つの標識燈」(河上徹太郎)によってなされたものであったが、結局は思想的結論を持ち得るには至らなかった。そして、終戦後には戦争イデオローグと結びついた代表的な例として批判を浴びたのである。が、左派の側からもこの座談会を再検討すべものとしてとりあげられることもあった。たとえば、竹内好は「近代の超克」という文章でこういっている。

「近代の超克」が提出している問題のなかのいくつかが今日再提出されているが、それが「近代の超克」と無関係に、あるいは関係をアイマイにして提出されているために、問題の提出そのものがマジメに受け入れられない心理の素地を残しているということである。

富岡幸一郎「内村鑑三」、111頁

 「無関係に、あるいは関係をアイマイにして提出されている」という点に関しては、本書が発行された当時(1988年に本書は発行された)に流行していたポストモダン論にも当てはまるといってよい。それは、小林秀雄がいっている「近代人が近代に勝つのは近代によってである」というパースペクティブの中で論じられているにすぎないから。だから、そのパースペクティブそのものを解体せねばならない。だが、何によってそれを解体することなど出来ようか?いうまでもなく内村鑑三の「再臨」の思考である。
 先に述べた論点(第三章)を私は最も面白く読んだ。けれども、本書に関しては私は大きな疑問を持たざるを得なかったのも、また事実である。その疑問とは、内村の生涯や思想を考えるうえで、最も重要な、いわば核たる出来事について富岡氏がほとんど筆を費やしていないことへの疑問である。そして、その出来事とは札幌農学校に転校した内村が、ウィリアム・クラークによって強制的にキリスト教に改宗されられたことーーつまりは一度目の「大変化」である。巻末の年譜には「必死に抵抗せるも」と書かれているので、私には一番のといってもいいほどの「大変化」に思われる。ここは、単に事実を列挙するだけではいけなかったと思わざるを得ない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?