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ネガティブ経由ミカタ行き

「少しもおかしくないよ」

そう言われたかったんだと思う。

小さな頃から、顔や体型や体質や行動や体の弱さなど何もかもを貶され、笑われ、気持ち悪がられ、怒鳴られ、いじめられ続け、実際に人生を終わらせようと実行して失敗したくらい否定まみれだった人生の中で。

私はきっと、認めてもらいたかったんだろう。

「おかしくなんかないよ」
「ダメじゃないよ」
「悪くないんだよ」
「酷い事をする相手が変わるべきであって
君が変わる必要はないんだよ」

と。もしかしたら「甘い!」と思われてしまうかもしれないけど、文字通り何も持たざる私を人間だと認めてくれて、あまつさえ丁寧に言葉にしてくれる、そういう味方――そう、

味方が欲しかった。

過去形にしてしまったけど、今でも変わらない。変わったとすれば、自分が欲するばかりではなくて

「自分も人の味方でいさせてもらえたらな」

の心が芽生えた事だろうか。

決して決してえらそうな意味ではなく。

青息吐息の200本目

といっても、誰かの味方になるために何かを行えているわけではない。基本的には、自分の心を鰹節のように削りながら一所懸命言葉に変換しているだけだ。

頑張りたくても頑張れない時の、もどかしい気持ち。暴言や暴力を受けた経験からの、生々しい濁り。あまりに理解のない言動を受けての、どす黒い感想。

など、明るくなれるテーマは少ない。

でも、私自身は

ポジティブだけが心をプラスにする言葉ではない

と思っていて。

"ド"がつくほどのネガティブでも、人によっては「ああ自分だけじゃないんだこの気持ち」と、少しだけ心強くなったり。「無理に明るくならなくてもいいんだ」と、少しだけ安堵したり。「暗くなるのは悪じゃないのか」と、少しだけ許せたり。

それはもう、ひとつの立派なプラスだろうなと。

背中を押す追い風でつんのめってしまう人もいるし、逆に前へ倒れ込みそうになった心に吹く向かい風のおかげで支えられる人もいる。

少なくとも私自身がそうだから、選んで見られるSNSの中で「そういうドネガティブな言葉の人」もいていいだろうと。元々どの言葉も自分宛だと公言しているから、それでもいいよと納得した人だけ見てくれたらいいわけだし。

――と考えながら、私なりに書き続けてきた。

noteに限っての話、2018年12月に執筆を開始したから今月で

4年半

が経った計算になる。

健康であれば、もっと多く執筆に時間を割けていたかもしれない。ただ、いかんせん健やかさとは縁がなく、今現在もしつこいしつこい頭痛にさいなまれながら書き進めている有様。(休めよ)

後述する別の理由が大きいものの、おかげで記事をぽんぽん出す余裕がなく休み休み。うさぎとカメのカメより遅い。ていうか、なんなら万年と言われるカメのスペックが羨ましい。

そういうわけで、記事の1本1本が青息吐息。「ワインかよ」と三村ツッコミされるほど長い時間をかけて、ようやく今回

200本目

に辿り着けました。(はい拍手)

「こんな」と言うと怒られるかもしれないけど、こんなどうしようもない奴が休みながらとはいえ4年半かけてやればここまで届くという事実。

調子には乗らないけど、我ながらすごい。

下手くそな言葉渡り

後述すると言ったように、実際は体の弱さだけで筆の進みが遅いわけではない。大きな要因は、

長文を書く時のこだわりが強すぎる事

にある。

199本の記事をコンプリートするほどずっと読んでくれている人なら耳にタコだろうが、私自身はエッセイに関して巧みなタイプではない。

むしろ、かなり下手な部類だと思う。

自分よりも流れるように読める文章を書く上手い人はたくさんいるし、うっとりするほど魅せる美しい言葉を書く人もたくさんいる。

正直、羨ましすぎて毒だ。烈海王のおかげで毒が裏返って超回復する前のバキよろしく、もうダメだ感が漂うほどに。

つまり、私のこだわりは巧さではない。

シンプルに言えば言い回し

※何度も語りすぎてシリーズ化するほどだから、詳しく知りたい人は以下のマガジンを読んでくれると嬉しい。

世界一丁寧な言葉の選び方|エトナシ サラ|note

びびっていると言われたらそれまでだし、実際怖いし、あくまでも個人的にこうしているだけの話だけど、

・誤解させ得る表現は避ける
・当てはまらない人もいる事を念頭に置く
・しなくてもいい断言はしない
・どの方面から見てもムッとしない言い回しにする
・読む側の読解力に丸投げしない
・フォローする文章や事前説明を省かない
・一方的な話題や確証のない段階で物を言わない
・「個人的に」や「私は」と主語を明確にする

などなど、ありとあらゆる想定をした上でのポイントを、毎センテンス心掛けている。

とかえらそうに言ってはいるけど、私も一応人間。

まだまだ未熟も未熟で「いやお前できてないやん」と指摘される部分も多いとは思う。道半ばの胡乱が吠える、単なる綺麗事&理想論かもしれない。

だとしても、私が目指しているのは

丁寧な言葉選び

だから、段落書き終えるだけで汗びっしょりになる。反発を減らす工夫に頭がパンクする。視点の切り替えが多すぎて酔っ払う。

結果、驚くほど時間がかかる。

「そこまでしなくていいのに」
「選んでその程度か」
「読みやすくなる技術を身につけたら」
「それより記事もっと気軽に書こう」

といったご鞭撻、おっしゃる通り。

恐らく私は、世渡りならぬ

言葉渡り

がだいぶ下手くそなんだと思う。200本の記事を執筆しても相変わらず遅いから、これはもう300本目でも同じに違いない。

Twitterのような短文区切りでも結構選んでぐったりするから、実は向いていない説まである。まあ、それでも続ける理由のひとつは

吐き出さないと爆発してしまう

なんだけど。

読む人の期待に応えられないのが目に見えているから、自分宛として自分だけの責任において自分のペースで好きに書く。そういう今のスタンスを変えるつもりはないし、これが私の

ベストオブベスト

なんだろうな。

ネガティブバス

曲がりなりにも200本。

そんな記念にもかかわらず、いかに書くのが遅いかなどと自分のダメさや言い訳ばかり語っているけど、本当に言いたいのは

「こういう生き方・書き方・考え方しかできないマンだけど、それでもいいなら好きなだけ触れて浸っていてほしい。上からの意味合いではなく、あなたの味方と伝わってくれたらいいな」

という事だ。

自分が言葉で人の命を救えるなんて思わない。

人生をがらりと良く変えられるとも思わない。

それを念頭に置いた上で、私は私の過去を、現在を、あるいは思想を、つらつら執筆し続ける。自分が溜め込まないために。自分が壊れてしまわないために。

そして、そのネガティブ野郎が通る道の要所要所に、

バス停

の如く「いつでも乗りなね」のメッセージを置いておくから。

乗りたくなったら自由に乗るといい。毎回同じ内容を繰り返しているだけだけど、現実逃避にしかならないかもしれないけど、まあ好きに揺られるといい。

周りの目が気になったり。笑顔でいないとぶん殴られるから仮面をつけて演じたり。誰かと比べられて傷ついても平気なフリをしなきゃならなかったり。いじられたくない部分をへらへらいじられても反論しないでこっそり唇ちぎれるほど噛んだり。涙が目から出なくなって「いよいよ枯れたかな……はは」とカラカラのほっぺたをさすった後で肉に爪を食いこませたり。嫌なニュースばかりが目に入って感情が引っ張られて落ち着かなくなったり。身近な人が自分を理解してくれなさすぎてイライラ通り越して虚無ったり。探られたくない事をあれこれ聞かれて無駄に劣等感を刺激されたり。人生を楽しくする方法より終えて楽になる方法を探し始めたり。毎日何もできなくて生きているのが申し訳なくて肩身が狭くて物音を少し立てるだけでも遠慮してしまって心苦しくなったり。

そういう苦しい現状がある人でも、ない人でも。自分で自分を愛せる人でも、愛せない人でも。人間関係が順調な人でも、逆調な人でも。特に条件つけずに乗っていいから。

揺れながらパンフレット的な言葉を読むうち、

「ああこのバスはネガティブな人が運転手みたいだけど、バス停が多くて置いてけぼりって思わないな。乗ってきた自分の事は一切否定されないな。どこに座っても『いいよ』と認めてくれてるな。速度も全然速すぎなくて焦りが減るな。なんとなく味方って気がするな。ちょっと止まりすぎではあるけど笑」

と感じられて、たとえ一駅分でも

ネガティブ経由ミカタ行き

の道をご一緒できたら幸甚、です。

上から目線に聞こえたなら、本当にごめんなさい。

根深い問題たち

せっかくだからと好きなだけ書いていたら、深堀りエッセイシリーズほどの長さになってしまったな。(これでも削ったほう)

少し前にネガティブマーチというエッセイを公開したけど、意外とネガティブを求めている人もいるようで。テーマとして避けられがちでもある闇深い内容も、ここでは私らしさとして伝わっているんだなとあらためて感じている。

かくいう私は、今までもいろいろと難しいテーマを扱ってきた。それでも、世の中にはまだまだ闇深く根深い問題が多くある。

最近頓に目にする

多様性やジェンダー問題

も、そのひとつだろう。

言葉自体はよく聞くものの、定義が統一されている感覚が個人的には全然なくて。人によっての線引きも違うからなのか、衝突が多かったり。話し合いというよりは、罵り合いのような対立構造ばかりが目立っている気もする。

御手洗い設置トラブルに至っては「圧倒的な議論不足ではないか?理解を得る前に始めて大丈夫だとなぜ思ったのか?混乱や問題になるという予測はしなかったのか?」と思ったりもするし。

他のテーマだと、生活保護問題もある。

弱っている側が攻略的に対策を講じて窓口へ行かないと通りづらいという根本的な違和感や、周りからの白い目や冷たい偏見を受けやすくなる現状などにも、自分なりに触れたいし。

もっと言えば、言葉の暴力問題についても一家言ある。被害者のプライバシー問題だって看過できない。見た目の差別問題の盲点も言語化したい。私刑問題にもだいぶ思うところがある――など、挙げるとキリがない。

それ以外でも、先ほどリンクを貼ったマガジンにあるような「言葉の選び方」についても、たくさん書きたい枝葉がある。

例えば、

・負担をかけない返事のコツ
・言い方の順番
・毒舌の扱い方と罠
・傷つけがちの「一言違い」
・「嫌い」の破壊力と対策
・文のどこを着目するかで変わる読解

の6本です。

サザエさんの予告ほど充実してはいないけど、ぱっと今浮かべただけでもこれだけある。なのに、前述した通り私は筆が遅いときた。だから、これらを書き終える頃にはファイナルファンタジーが30になり、マリオのキノコが松茸になり、セグウェイが300キロ出せるようになり、タラちゃんが波平ポジションにいるかもしれない。

自分自身の頭の蝿を追えという感じではあるけど、書けるうちにできるだけ書き残したい。なんてね。

まとめ

とまあ、とりとめのない話を長々と語ってしまったな。

いい加減着地が必要だから、最後に。

こうして200本を書き終えてもまだ書きたい欲が衰えていない自分を、盛大に豪快に祝いたい。ここまで読んでくれたあなたと、とびきりの乾杯がしたい。

いつも心より感謝しています。
本当に本当にありがとうございます。

ネガティブ経由で進んでいるバスを、一旦サービスエリアで停車させて。運転手の私はお酒を一滴も受けつけない体質だから、代わりに大好きな珈琲で。あなたはあなたで、好きな飲み物を手に持って。

さあ。

この大きな大きな大きな節目に

乾杯ーっ!

以降も、しっかりとシートベルトを締め(丁寧に言葉を選び)、安全運転で(角を立てないような言い回しで)、思う存分ネガって(ネガティブを無理に抑えず)、大切に願って(あなたの安らぎを願って)いくつもりなので、どうぞどうぞよろしくお願いします。

はあ。

今回は真面目に着地できて良かった。

私のnoteでは、結構な頻度でオチが不真面目だったりセンスがなかったりしていて。もしかすると、読者に「つまらない」の意味で普段こう思われていたかもしれないから。

「少しもおかしくないよ」

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