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ビジネスのために、SNSは使わない

少し前に「友達と繋がれるSNSなんていらない」という記事を書いた。


元々、わたしはSNS(主にInstagram)を自分の事業の集客・サービスの販売の目的のために使用していた。最近はやりのSNS集客を主軸としたビジネスモデルだ。

でも、SNSというプラットフォームで発信をすることに対する漠然とした言葉にならないモヤモヤを初期の頃からずっと抱えていた。

最初は「慣れの問題かな」と思って目をつぶっていた。

でも、どれだけ時間が経っても、SNSというプラットフォームをビジネスの主軸とすることに対する、とてもシンプルな言葉にしてしまえうのであれば「イヤだ」という嫌悪感や拒否感にも似た気持ちは、ぬぐいさることができなかった。

どんどんSNSによって自分の私生活が侵食され、食らい尽くされていく感覚があった。
同時に、SNS上での自分と、私生活での本当の素の自分との乖離がどんどん進んでいって、それが自分自身のこころや生活を苦しめていることにも気づきはじめていた。


私生活でのいろんなことが重なって自分のメンタルが崩れたとき。
わたしは「この状態でSNSで発信をすることは、もう無理だ」と思った。少なくとも、今は。

そんな経緯でSNS(主にInstagramやツイッター)と離れてから、かれこれ3ヶ月くらいだろうか。もともとは、「一時的に発信をおやすみしよう」程度の気持ちで離れたんだ。

でも、時間が経てば経つほど、「やっぱりSNSはイヤだな」「戻りたくないな」という思いが明確になっていくだけだった。


それでも、わたしはこうして毎日のようにnoteで言葉を放っている。
文章を書くことは好きだし、言葉をつづることは自分にとって幼少期から当たり前に続けてきた、ある種生活の一部となっている大切な行為だ。

でも、このnoteでもそうだけれど。

わたしは誰かのために言葉を放っているわけではない。
ただ、自分の中から湧きあがってくる言葉や想いたちが、自分のこころの中からあふれだしたとき、わたしはそれを文章として、ただ夢中で書きつづる。

そこに、意味も目的もない。
ただ、書くことが好きなだけ。それだけなんだ。


noteが心地よく、好き勝手に書くことができるのはなんでなのか。

その理由もまだよくわからないけれど。

けれど。

この先、また自分の事業やサービスを展開していくことになったとしても。
わたしは多分、いやきっと、SNSを使うことはしないのだろうと思う。少なくともSNSを主軸とするビジネス形態は選択したくない。そして、このnoteを自分のビジネスにつなげることも、したくはないな、と思っている。


意味も、目的も、アジェンダや意図が特段ないからこそ、自由に、ありのままに、書くことができるものがある。
「わたし」が誰かなんてどうでもよくて。
「わたし」を誰かに知ってもらう必要もなくて。

ただ、こころのコップから言葉たちがあふれたから。
そのためだけに、わたしはここに言葉を吐き出す。
そうした言葉たちは、きっと、繋がりあって、多面的に、多角的に、「わたし」という人間像を紡いでいく。その延長線上で、偶然わたしの記事を見た人が「わたし」という人間の一部を感じとって、共感してくれたり、スキしてくれたりすることは、嬉しいと思う。

でも、この場所をビジネスや集客という意味、目的、アジェンダ、意図につなげてしまうと、きっと、わたしは、こんな風にはもう、書けなくなってしまう。

書くことを、大切にしたいと思う。
自分のこころの思いを文章に残すことを大切にしたいと思う。


だから、模索している。
SNSなんかじゃない。SNSなんかを使わなくても、自分の伝えたい想い、経験の中から学んだ知識を、本当に必要とする人たちに伝える方法を。
ただの "虚像" ではなく、本当のありのままのわたしであり続けながら、本当の「わたし」とSNS上でのわたしが乖離することなく、言葉を、想いを、放っていく方法を。それを仕事にしていく方法を。

その片鱗が、少しずつ見えてきている感覚がある。
ただ、言葉をつづり続ける。その先に、きっと、気づけばたどり着いている。

結局のところ、人生ってそんなものなんだと思う。


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