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言葉と態度が一致しない彼と「愛する」ことに臆病なふたり

今日はひさしぶりにとてもよく眠れた。

昨日の夜、パートナーといろいろ話をした。
わたしのパートナーは、話をしてもあまり言葉を返してくることがない。打っても響かないというか、まるで言葉がブラックホールに吸い込まれていくだけというか。たまに返ってくる言葉も、とてもあいまいで抽象的で、聞けば聞くほど「??」が増える。

「えっと…結局あなたはわたしのことを好きだと思ってるんですか?それとも、流れで付き合っているけど、付き合ってても別れても、どっちでもいいって思ってるんですか?それって好きってことになるんですか?」ってなる(笑)
そういうことを言うと、今度は相手が「???」となるので、やっぱり会話が噛み合わないなぁ、と思う。以前はそれが不安の原因だったし、「別れた方がいいんだろうか?」なんてグルグル考えたり悩んだりしていたけれど。


最近では、そんな彼の側面に対して「おもしろい人だなぁ」とほほえましく見ていられるようになってきた。

結局、そういう、ちょっと感情が欠落している(という言い方は失礼かもしれないけれど)ところも含めて、彼は彼であって、その彼を丸っとまるごと好きなのだ。

それに、非言語コミュニケーションの部分においては、彼のわたしに対する愛情や大切にされているということ、わたしといることの心地よさが伝わってくる。でも、言葉を交わし始めると急にあいまいで抽象的でどっちつかずのよくわからない返答が返ってくるので、そのギャップに混乱が増す感じだ。

そんなとき、偶然「ツインレイ」という概念と、そのことについて発信している方の投稿が目に入った。

お互いに恐れを持ってる為に
なかなか素直になれないのですが
精神崩壊、現実の崩壊の中で
素直になっていく2人なのです

素直にならない限り
苦しみは続くので
半強制的に
お互いが素直になるようになるのです

男性レイは
顕在意識での素直さは時間がかかりますが
潜在意識での素直さから現れてきます


ここが天邪鬼と感じるとこであり
男性レイの無意識の行動こそが
わかりにくい愛情表現となるのです😊

@reiki7722の投稿より引用

この最後の部分が、「うわー、まさしくそれだわー」と思った。

「言葉にして表現する=顕在意識での素直さ」「態度や空気感での表現=潜在意識での素直さ」だとすると、確かに彼は、後者が先にダダ漏れ状態なのに、顕在意識ではそれを認めるのが怖くて素直になれないんだろうな、と思う。

調べてみて分かったのだが、ツインレイというのは写し鏡のような存在なのだそうだ。そして、本当にわたしも彼もそんな感じだ。すべてのことにおいて。言葉で説明するのは、なんだか難しいんだけれど。

彼が顕在意識レベルで素直に愛情を表現することが怖いのは、愛した後に拒否されることで傷つくことが怖いから、ということは、なんとなく彼の過去の話や、彼の「本当に困ったときに人に頼っても助けてくれないし。だったら最初から頼らない方がいい」という言葉から、なんとなく察せられる。

そして、わたしも彼と同じで「愛すること」に対する恐れをもっている。ただ、わたしの場合は、「自分自身が誰かを愛し続けることができるのかどうか」という部分に恐れや不安を感じる。

人を信じることに対する恐れをもっているから「愛すること」に素直になれない彼と、自分自身を信じることに恐れをもっているから「愛すること」に素直になれないわたし。その辺りが、彼とは鏡に映った姿のように、恐れの現れ方が対照的になっているなと思う。


でも、この概念を知って、この投稿の言葉たちを読んで。
ああ、やっぱり結局は、自分が自分の人生を生きていくってことなんだなぁって改めてひしひしと思った。

自分自身の内面と向き合うこと。
自分自身のこころを整えていって、その上でしっかり地に足をつけて現実世界を生きていくこと。本当の意味で、自立すること。

そうやって、わたしはわたしの人生を精一杯に生きていく。
付き合っているからとか、子どもがいるからとか、そういうことってあんまり関係ないなって思っていて。

付き合っているから、子連れだから、結婚を前提にとも思わないし。
なんだったら、一晩たって、全部「いいや」って思えた。どっちでもいいや。彼の気持ちがわたしと同じじゃなかったとしてもいい。彼がわたしと同じくらいにわたしを求めていなかったとしてもいい。この先、付き合い続けることになるのか、別れることになるのかなんて、誰にもわからない。

むしろ、結婚してたって、簡単に離婚できる世の中だ。確信なんて誰ももっていない。その幻想にしがみついて安心しているだけだ。

先のことはわからない。
わからなくても、自分の中に着実に、相手に対しての「愛おしい」とか「愛している」という感情が育まれているのは感じている。それはまだ、そよ風や雨が降ったらゆらゆらと揺らいだりする、まだやわらかい小さな芽のようなものだけれど。
それでも、確かに、この胸の中に、それはある。

それだけでいいじゃないか、と思った。


恋愛とかパートナーシップって、意外と個人プレーというか。自己完結する感じのものなんだなって、最近感じはじめている。歳を重ねてきたからだろうか。

「つむのこういうところいやだなぁって思うところとかはあって、そういうので心がゆれる時はあるよ」と彼は言っていた。
「そっか」と思った。それでいいと思った。
ゆれたらいいよ。わたしも散々ゆれ続けてきたからね(笑)別れた方がいいのかなって何ヶ月も葛藤し続けてきていたんだから。

いいよ。
ゆれるあなたも、曖昧なあなたも、抽象的なあなたも、天邪鬼なあなたも、矛盾している言動も。
そのすべてが「あなた」という人間を構成している一部であって。わたしはそんな「あなた」という人間が好きだから。
そのままで、いいよ。

そんなことを、思った。

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