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"I love you" と「愛してる」の違い

わたしは英語もネイティブに近い感じで話せるし、海外での生活も長かった。だからこそなのかもしれないけれど、恋人同士での "I love you" と「愛してる」は、言葉の重みというか、言うときの覚悟が全然違うと感じる。

この言葉の差異に関しては、もちろん個人差があるものなのだと思うので、あくまでもわたし個人の見解として。


海外では、"Love" という言葉は比較的簡単にいろんなシチュエーションで使う。"I love this movie!" (この映画すごく好き!)とか、友達に対しても "I love you~" って結構簡単に使えるイメージ。恋人同士でも "I love you~" "Me too~" みたいな「好きだよ〜」「俺も(わたしも)」みたいなノリで使えちゃう言葉。


もちろん、英語圏でも "I love you" という言葉が恋人同士での真剣で重みのある「愛してる」と同義で使われることもある

海外ドラマなどでよくあるシーンで、女性が女友達に「彼に I love you って言われたの!!」と嬉し泣きしながら報告したりするのを観たことがある人もいると思う。あれが日本人には「よくわからない」「ピンとこない」となることが多い印象なんだけれど。

それは、「付き合う」という状態に対しての意味合いが文化的に違うことに関係しているのかもしれない。

特に西洋圏では「好きになる→告白する→付き合う」という格式ばったステップが存在しない。気になる人とデートを重ね、お互いに好きだよという感じになり、そのまま自然と日本的な感覚で言うところの「これ、実質、付き合ってますよね」的な感じになる(肉体関係もある)。

その間、"I like you a lot" (大好きだよ)とかは言い合ったりするけれど、軽いノリやお遊び感覚での "お付き合い"(=海外では「デート」という)の場合は例外として、男性は簡単には "I love you" という言葉を使わない。その段階では、実は正式に付き合っているわけではないので、お互いいにキープ/様子見という状態だったりする。

その「デート」の状態から、彼が彼女に対して真剣に付き合おう(この人以外とは付き合わない、結婚も視野に入れている、など)と気持ちが定まったとき、はじめて相手から "I love you" という言葉が出るのだ。

つまり西洋圏では「彼から "I love you" と言われること=真剣(正式)なお付き合いに進展した」という証明となり、そこで晴れて本命になったということになる。


そういう意味では、"I love you" も「愛してる」と同様の重さをもっていることもあると思うのだけれど。

やっぱり、わたしにとって、"I love you" と「愛してる」は、その言葉の重みが全然違うよなって思う。

"I love you" は簡単に言えるけれど、「愛してる」はかなりの覚悟がないと容易には言えない


わたしのパートナーも英語ネイティブなので、この "I love you" と「愛してる」の違いについて議論をしたこともある。

彼にとっては "I love you" も「愛してる」も同じだろう、という見解だった。でも、彼はわたしに "I love you" や「大好きだよ〜」は言うけれど、「愛してる」と言ったことは一度もない。

やっぱりそこに、「愛してる」という言葉の重みがあるんじゃないかと思う。


その違いってなんなんだろうって考えていて。

"I love you" には、「好きだよ」「大好きだよ」「愛してるよ」の意味が全部内包されているけれど、日本語の「愛してる」は「愛してる」以外の意味が内包されていないこと、つまり意味がより限定的なことが違いなんじゃないだろうかと思った。

それは、冒頭でも書いたように英語での "love" という言葉は、比較的なにに対しても(人、もの、ことなど)使える言葉であるというところに依存する。

一方、日本語では「好き」という言葉は比較的なにに対しても使えるけれど、「愛してる」という言葉は限定的なシチュエーションでしか使えない。

英語で "I love this song" と言っても違和感はないけれど、日本語で「わたしはこの曲を愛してる」と言うと違和感を感じる、という感じだ。


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"I love you" と「愛してる」は絶対的に違うものだと思ったのは、きっかけがある。


自分の中の彼に対する気持ちが、「好き」から「大好き」になり、時間をかけてゆっくりと「愛おしい」へと移り変わっていった。
恋が冷めて、愛になっていったのかもしれない。

そして、あるときふと気付いた。
「あ。わたしはこの人を愛してる」と。

その直後、とても怖くなった。

「愛してる」という言葉を
声にして伝えてしまったときに
相手がそれを受け止めきれなかったらどうしよう。

拒絶されたらどうしよう。

相手がその言葉を真剣に受けとって考えた末、
同じ場所から「愛してる」という言葉を
発することはできないという思いに
至ってしまったらどうしよう。

そういう恐れたちが出てきた。
それは "I love you" と言い合っていたときには、出てこなかった恐れだった。


なぜ、「わたしはこの人を愛してる」と気づいた後、怖くなったのか。

それはきっと、なにかうまく言語化はできないけれど、恋人関係においての「愛してる」の言葉には、より深く、決意を込めた、自分の「好き」という気持ちに対する覚悟が生じるからであり、その言葉を口にして相手に伝えるということは、無意識的であっても必然的に、相手にも同じ想いの深さ、決意、覚悟について考えさせてしまう要素があるからなんじゃないかと思う。


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恋は見返りを求めるけれど、
愛は見返りを求めない

そういう言葉がある。

きっと、「恋」とは「好き」の状態のことで、そして「愛」とは「愛してる」の状態のことなんだと思う。

「つむちゃんは、彼氏に対してきっと "恋" を求めているんだね。でも彼はもう "愛" なんだろうね。つむちゃんの "恋" が冷めて、それが "愛" になって、そうして改めてお互いに "恋" に落ちられるといいね」

友人が、少し前にわたしに言ってくれた言葉。
(そのときの記事はこちら↓)

きっと、わたしの中で、彼に対する想いは「恋」から「愛」になった。

そのことに気づいた彼は、どういう反応をするのだろうか。
逃げるだろうか。怖くなるだろうか。焦るだろうか。責任を感じるだろうか。

でも。
彼の反応に対してわたしの中に湧き上がってきた恐れや不安や怖さ、「この人を失いたくない」という執着やエゴと向き合って、感じきってみたあと。

「それでもいいや」と思えた。

「愛してる」という言葉を、相手が受け止めきれなかったとしても。
それで拒絶されたとしても。
同じ場所から「愛してる」という言葉を発することはできないという結論に至ったとしても。

いいや、と思えた。


見返りを求めているから、愛してるわけじゃない。
相手からも同等の想いを返してほしいから、愛してるわけじゃない。

ただ。

理由も、理屈もなく、ただ。
愛おしいと思う。
大切だと思う。
愛していると感じる。

ただ、それだけのこと。
それは、わたしのこころの内側にある気持ち。
その気持ちは、相手の言動で左右されるものではない。
ただ、そこに存在しているもの。
多分、これから先もそこに存在し続けるもの。


でも。願わくば。
彼にとっても、「愛」が恐れから「恋」に戻ったとしても。
また再び「愛」に戻り、そうして今度は「愛し合いながら、恋しあっているふたり」になれますように。

そう、そっと、願う。
ふわりと、やわらかく、そう、祈る。

わたしの中にあるこの愛が、彼のこころの中にある恐れや不安や痛みを、やさしく溶かしていけばいいな、と。

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