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妊婦さんを見て、思っていたこと(不妊治療編)

不妊治療で通っていた産婦人科は、妊婦さんの検診なども同じフロアでやっていて、お腹の大きな方やマタニティマークをバッグに付けている方が多かった。

体外受精の胚移植の前後には、私ももしかしたらもうすぐ向こうのグループに仲間入りかも知れないと高揚した気持ちになったり、着床に至らず振り出しに戻った日には、向こう側には到底追い付けないような気持ちになることもあった。妊婦さん達が、なんだか神々しく、凄い人たちに見えることさえあった。赤ちゃんに、選ばれた人たち。


そんな時、新生児を抱っこしたまま気だるそうにソファに身を深く投げ出して、スマホ画面をスクロールし続けるお母さんや、ミニスカートにミュールのようなものを履いている妊婦さんを見ると、“せっかく授かったのに、、私ならもっと大切にするのに、、”というような気持ちになってしまうこともあった。


本当に、大きなお世話。それは個人の自由だし、そもそもそのワンシーンだけを切り取って、赤ちゃんをあまり大切にしていないんじゃないかと邪推してしまう自分の心の根っこは“嫉妬”であることにも気付いて、またちょっと自己嫌悪。



その後、私は体外受精を繰り返し、5回目でやっと着床に至ることが出来た。そういう訳で、私にもマタニティマークを付けて妊婦健診に来る日がとうとう、やってきた。純粋に、嬉しかった。

不妊治療中の方たちとフロアは同じだし、座るソファも同じだけれど、なんとなくそれぞれの診察扉の近くで分かれている。

座って順番を待っていると、不妊治療の診察扉から出てきたらしい女性がこちら側の近くに座り、手帳を見つめため息をついていた。

私は瞬間的に、あ、、あまり幸せそうに見えないようにしたいと思ったり、バッグのマタニティマークの付いた方をなんとなく内側にしたり、私もすんなりいった訳じゃないんです、やっと、なんですと言い訳みたいなことを心で伝えたがったり、した。

勝手に、変な、到底役に立つはずのない、気を遣う。

そもそも、その人は不妊治療で落ち込んでいる訳では無いかも知れないし、もう既に1人、2人は子供が居るかも知れない。

しかも、もしものもし、私が最初に感じたように、不妊治療のスケジューリングや上手く行かないことで落ち込んでいるとしても、妊婦さんだらけのフロアで私一人のマタニティマークがどう影響するというんだろう。

私は本当にお節介だ、
分かっているけど、それでもやっぱり誰かが傷付いたり落ち込んだりする要素に、自分は少しでもなりたくないと思ってしまう。


そういう話でいうと、友達のLINEのアイコンが次々と赤ちゃんに変わっていった夜に、私は授かることが出来たとしても絶対に赤ちゃんの写真には変えない、と勝手に誓ったりした。不妊で悩む友達が見たら、切ない気持ちにさせるかも知れないから。

そもそも自分のLINEなのに、自分じゃない人の写真って何か違うよねなんて夫に言うと、「○○(私)のアイコンも猫で、自分じゃないよね?」なんて冷静に返されて、本当にそう、これもまた結局は嫉妬なのね、なんて気付かれたりした。


P.S.
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きっといるはず!

そんな私のアイコンは今も猫です。

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