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「平和ぼけ」って何年つづいてる?

平和であればそれに越したことはないのですが、平和が長く続いた結果、危機意識や備えが疎かになっている傾向はあると思います。

思えば「平和ぼけ」という言葉は、僕の記憶では1980年代にはあったように思います。だから概ね40年以上は平和ぼけなんだと思います。

ここで角松さんを思い出すのってどうなんだろ?って思うけど、歌を一曲紹介します。

WHAT IS WOMAN

ただ、彼もそういう平和ぼけのようなものを、この歌の中で意識して書いたのではないかなと思うのですね。

日本は災害が多い国で、最近は特に、大雨とか地震などで生活が出来なくなってしまうことが各地で起きているので、その辺りへの意識や備えは、昔よりはあると思います。

かく言う自分も、災害グッズを揃えているかというとほとんど何もしていません。やっていることと言えば、ミニランタンや缶詰の用意、お風呂の水の溜め置きぐらいでしょうか。
まあ、うちの家の付近は「阪神淡路大震災」のときは大変でしたが、それ以降、一般的に災害が少ない地域なので、これからもそんなに無いと思っているんですね。
自分の経験でも、阪神淡路以前は、全くと言っていいほど何もしていませんでした。

他人事を自分のことのように思えるか

「平和ぼけ」という言葉ができた背景や、それが言われる背景には、被害に遭っている遠くの人に思いを寄せることができない、あくまで他人事だと思っている人が多いからではないでしょうかね。

その当事者になりたくない近づきたくない関わりたくない、という幸せな人の感覚。
または、別の不幸を抱えていて、とても他人の不幸に思いを馳せることなんてできない、という人の感覚がそうさせるのでしょう。

なんでも上から指示され続けてきた日本の歴史

もしかしたら話が飛躍しているかもしれないけれど、日本人の過去の歴史で、例えば「五人組制度」など、お上が作った社会コミュニティに加わることを強制されて、その中で助け合ったり面倒を見合ったりするようなライフスタイルがあったわけですが、それらも、自分たちでお互いに協力しようという気持ちよりも、お上が言うからそれは正しいことだと思い込んでやっていた(やらされていた)面もあったかと思います。

だから、素直な気持ちで誰かを助けるという、内から湧き上がる気持ちと、その表現方法が、社会的に醸成されていないのかもしれません。

まさに今の状況の憂慮

参議院議員選挙が終わって、もう政治のことなんか頭から消えている人もいると思いますが、選んだ人たち、あるいはもっと以前から選んでいた人たちが、今の国会や政府を動かしています。

中国の拙速な動きも、なぜ今なのか、本当にアメリカの政治家が台湾を訪問したからなのか、ということだけではないものがあると思います。
予め計画された政策に則って、着々と覇権を広げているのが今の中国なのだろうと思います。

安倍さんの事件は、たまたまだったのかもしれないけれど、岸田政権での対中国政策や今回の閣僚人事など、あるいはNHKクローズアップ現代で中国人が日本の不動産を買っている特集があったりすることも、全ては必然で、予め予定されていたものが現実化しただけなのでは?と思ってしまいます。

そのような「疑惑」を持つ感覚も、平和ぼけしていると出てこない感覚だと思います。
これからは、外の動きや自分たちの政府の動きに、国民ももっと敏感に察知して反応することが大事になってくるのではないかと、今日この頃の自分は思っているわけですね。

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