見出し画像

未来について考える

「過去のことより、これからのことが大事」とよく言われますが、だからといって「未来」について真面目に考えたことがある人がどのくらいいるでしょうか?
未来予測ができないのと同様、未来は漠然としていて考えにくい世界なのでしょうね。

未来のイメージ

僕が子供の頃は未来というと・・

  • 天に向かってそびえる尖った建物

  • 周りを縫うように走る道路

  • ガラスに包まれた人が空中を移動している

  • 何やら空にいろいろ飛んでいる

というようなイメージがありましたが、現在の大都市はわりとそれに近い形になっていますね。
だからこれからの未来のイメージがどんなものか、描くのが難しいようにも思います。

二次元のなかの三次元

いまの段階では「端末」というものがあって、そのディスプレイを通してものを見るような世界になっています。
ディスプレイの表面はフラットで、二次元の世界。
そこに映る世界もかつては二次元でしたが、現在は3D技術によって三次元空間を擬似的に体験できるようになっていますね。

おそらく今後も、二次元のディスプレイやメガネなどを通して、擬似的な三次元を見るようなイメージになるのでしょうね。

そうすると未来のイメージは、やはりウェアラブルデバイスのようなものを身につけた人々が独りごとを言う光景になるのでしょうか。

もっともっと未来になれば、頭脳に直接作用して体験させるようなマシンが登場するかもしれませんね。
そうすると人々は何もしなくなるのでしょうか。

浮き彫りになるのは人の心

AIに人の心が宿るかどうかは分かりませんが、もしAIに人の心が宿ったら、それはAIが人間になるときですね。

最終的には「心」とか「想像」「創造」とかいう部分をAIと人間が取り合うような社会になっていくのかもしれません。
どんな心を持って、何を想像するかということだけが、人間にとっての価値になるかもしれないと思います。
創造的な心を持つことが普遍的な価値になったときに初めて、人間は究極の幸せを手にするのでしょう。

まとめ

未来は誰にも分からない。だから自由に考えてよいともいえるでしょう。
自由に考えれば考えるほど未来の選択肢は増えていき、固定的になるほど、僕らの人生は決定的になるということでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?