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ドバイの都市戦略

日本の埼玉県の面積と同等の都市が、
いかにして経済発展をとげてきたか



〈目次〉 
1.はじめに
2.ドバイの基本情報について 
3.ドバイの経済発展の経緯
4.ドバイの観光資源と魅力
5.おわりに


1.はじめに

私は、「ドバイは中東に位置しているので、オイルマネーをもとに経済発展をとげた都市」、というイメージを持っていた。

しかし、実際に調べてみると、ドバイの産出する石油は多くないことがわかった。どのようにして、この都市は経済発展をとげたのだろうか。

今回は、このドバイという都市について、ご説明したい。

2.ドバイの基本情報について
ドバイは、正式名称をドバイ首長国と言う。アラブ首長国連邦(UAE)を構成する7つの首長国のひとつであり、国と言っても独立国家ではない。

ドバイは中東のアラビア半島の突き出した部分ににある。UAEはペルシャ湾の南側に位置し、サウジアラビアやオマーンに国境を接している国である。

UAEの国土の面積は、約8万3,600平方キロメートルであり、北海道とほぼ同じ面積に相当する。

一方、ドバイは3,885平方キロメートルで埼玉県と同程度の面積しかない。そして、ドバイはそのほとんどが砂漠であり、市街地エリアは更に小さく1/10程度しかないのである。

ドバイの面積は、UAEの1/20以下である。しかし、人口は、UAE全体で約1,000万(2023年推計)に対して、ドバイは2021年時点で約350万人である。つまり、UAE全体の約1/3の人口が、ドバイに集中していることになる。


3.ドバイの経済発展の経緯
ドバイの人口構成(ドバイ統計センターの公表しているデータによる)は、UAE国民が約28万人に対して、外国人が約320万人が移住している。

ドバイは、1960年代までは砂漠の貧しい漁村として、アラビア湾でとれる真珠を売りながら最低限の生活をしていた。

その後1966年にドバイ沖で石油が発見されることになるが、ドバイの石油埋蔵量は少なく、当時の首長は将来の枯渇を想定して、石油から得られた収益を元手に様々なインフラ整備を進めることにした。

特に、①空の交通、②海の交通、③自由貿易地域、を整備したことが、現在のドバイ発展の礎となった。

こうした空と海の交通整備に加えて、自由貿易地域の設定することによって、多数の外国企業を呼び込むことに成功した。 

自由貿易地域では、
・100%外国資本の企業を承認していること。
・法人税・所得税・輸入・輸出に関する免税。
・資本や利益の本国送金の自由。
・外国人労働者の雇用自由。
など多くのインセンティブがあったことから、外国企業誘致の拠点としたことが、ドバイの経済発展を牽引した。 

4.ドバイの観光資源と魅力
現在、商業や観光業は、ドバイ経済の主要な柱となっている。世界中から観光客を引き寄せるための豪華なホテル、リゾート、ショッピングモール、テーマパークなどの施設が充実している。

その代表的な建物が、2010年に開業した「ブルジュ・ハリファ」で、828メートルの高さを誇り、世界最高層の超高層ビルである。

「ブルジュ・ハリファ」は、主にオフィス、ホテル、住居から構成されていて、124階と148階には展望台がある。展望台からは世界有数の超高層ビルが立ち並ぶ都市景観や砂漠の美しい風景など、ドバイの壮大な景色を一望することができる。

また、ドバイは多くの人工島を造成しており、ヤシの木の形をした巨大な「パーム・ジュメイラ」や、世界地図を模した「ザ・ワールド」などが有名である。

また、ドバイは先進的な都市である一方で、アラブの伝統と文化も重要にあつかっている。

「ドバイ博物館」や「ジュメイラ・モスク」などの文化施設、歴史的建造物を保護している「バスタキヤ地区」などでは、アラブの歴史や生活様式にふれることができる。

また、ドバイを囲む砂漠自体も観光資源として活用されている。サファリツアーやバギーアドベンチャー、ラクダに乗ったキャメルトレッキングなど、気軽に体験できる砂漠の冒険も魅力である。


5.おわりに
ドバイは、中東に位置しても石油の埋蔵量も少なかった。この弱みを克服するため、オイルマネー以外の方法で経済発展をとげてきた。

この実例は、日本における地方の街づくりや、ビジネスの発想にも応用ができると思われる。


以上

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