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オンラインでイギリスの大学院、修士課程を修了して振り返りまとめ

2020年10月からスタートしたオンラインでのイギリスの大学院、修士課程を修了しました。社会科学部教育リサーチ部門の「教育と社会正義」というコースです。49歳の時の出願で、50歳代初めをこの学びの時間にあてたことになります。この経験の記憶が薄くなる前に、感じたことや自分なりに成長できたと思うことを書き留めておこうと思います。


日本にいながらイギリスの大学院で学ぶ

ディスタンスラーニング、つまりオンラインで大学院のコースを日本で生活しつつ学んだわけですが、このコースのおかげで、日本にいながらイギリスらしい学びができたように思います。イギリスの大学ということもあってなのか、植民地時代、産業革命、近代国家のイデオロギーが交差した欧州の歴史的背景が感じられる思考を基礎としたコースでした。

このコースで、今まで考えているつもりでも、考えるための基礎を学ぶ機会がなかったこと、問いを立てるということや読んだ文献を用いて思考する方法も知らなかったことに気づきました。

子どもの頃はSF的な空想や生命について考える時間が好きだったのに、中学の「定期テスト」というものが始まって以降、徐々にその感覚を失っていたことにも気づきました。「考えること」の価値を思い出せたのは本来の大学院の目的ではありませんが、私個人にとっては意義あることでした。「時間を気にせず誰にも邪魔されずにただただ深く思考する」という行為を楽しむ世界に少し近づけたような気もします。

オンラインで学んだ感想

日本で生活しながらのオンライン受講は、文献を読むこと、考えること、書くことが中心だったために、不便を感じたことはありませんでした。英語の書籍・文献はほとんどオンラインで読めますし(大学が契約している)、オンラインで読めた方が分からない単語が出てきた時にすぐに調べられて便利でした。また、私は日本における女子の抑圧を題材にした研究だったので、日本語の本を読む必要があり、日本に住んでいるおかげですぐに紙の本にアクセスできたのは助かりました。

オンラインだからできなかったことは、イギリスでの対面での人間関係作りです。指導してくれた先生とは卒業後もつながっています。でも、広い人間関係づくりを積極的に行わなかったこと、そもそもの機会がなかったこともあり、ネットワーキングはできませんでした。一方で、日本にいることで、日本国内で女子の抑圧、女子教育といったテーマを通じて新しく知り合い、仲良くしてくださる方々とつながることができました。

ディスタンスラーニング、先生からの指導

セオリーを学ぶモジュール(3ヵ月で1モジュール)では毎週複数の文献を読んでディスカッションを行うという流れで、moodleとzoomで十分学ぶことができました。調査研究の段階に入ってからの指導はメール、LINE、zoomでのやりとりでした。時差があるので、夕方以降に先生からの返事が届きます。なので、夕方から夜にかけてはコミュニケーションの時間にあてることができました。

興味深かったのは、どのモジュールでもディスカッションやzoomに参加するのはコース受講者の半分以下だったということです。もしかすると、コミュニティ的なものは何にも参加せずに課題を提出して卒業する人もいるのかもしれません。ディスカッション出席そのものは評価対象ではないので、それも可能なのだと思います。

マンツーマンの指導については、私の英語力(特にスピーキングが苦手)では文字でやり取りができるメールやLINEのおかげで、聞き逃しもなく助かりました。ただ、これも対面でやりとりしていれば先生との心理的距離も近くなり苦手なスピーキングの困難を乗り越えていたかもしれません。

学びの軌跡、時系列で

イギリスの修士課程はフルタイムで学べば1年間ですが、私はパートタイムで2年間のコースを選びました。「教育と社会正義」のコースということもあり、学校の先生をしながら学ぶ人が多く、このコースはフルタイムの人は少なくて、ほとんどの人がパートタイムだったように思います。学校の先生が夏休みや冬休みなどの長期休暇に論文執筆に集中して学べる工夫がされていて、日本にも同様のコースがあれば学びたい学校の先生、スクールカウンセラーも多いかもしれないなとも思いました。

私はまず最初の1年間で3つのモジュール:「セオリー」「方法論」「自主研究」を学びました。それぞれ仕上げとして6000-7000語のエッセイ/論文を提出して単位をとります。最初の1年目はコロナの最初の年で時間はたっぷりあったのですが、自分の思考のベースがあまりにも浅いのでこのまま一気に修士課程を終えるのは不本意な修士号になると思い、一旦休学することに決めました。休学中は、本を読んだり人と話したりして自分の幅を広げるよう努めました(休学中は学費かからず)。この時に作ったのが、研究テーマで人とつながるハブとなっている「女性社会研究所」です。

休学中は「女性社会研究所」を通じて多くの女性と出会ったのに加えて、子どもの年齢に合わせた生活の変化もありました。地方都市と東京都心の2拠点生活に移したのですが、その結果一口に日本社会といっても眺める角度によって見え方が変わるのが実感できるようになりました。

そして、休学を終えた2年目のほとんどは修士論文(dessertation)に費やすことになるのですが、最初の3ヵ月の選択性モジュールでは「視覚とイデオロギー」という視覚記号論を用いてイデオロギーを解釈するモジュールを選択しました。「女子の野心が学校教育においてどのように砕かれるか」を主軸に研究する中で、視覚と記号といった時に私が真っ先に思い浮かんだのが「女子高生の制服」でした。広告であったり、文化祭での男子学生による女装パフォーマンスだったり、キャラクターとして描かれる制服姿の女子高生だったり、「女子高生の制服ってこの日本社会にとっての何なんだろう?」と常々思っていたからです。

社会にあふれる「制服と女子」という表象は思春期の女子に何を伝えているのだろうか、ということを追求するために指導の先生から記号論を使ったインタビュー調査の方法を学び、まずは簡易的な研究をすることになりました(6000語)。この研究は、多くの方の協力のおかげでスムーズに進めることができ、最終的に指導の先生が出版する本の章として出版されることにもなり(2024年2月出版リンク目次のChapter9)、それなりに結果を残すことができました。

この研究に続く修士論文では、この出版となった研究を発展させたもので、さらに多くの方の協力で研究することができました。そして、修士論文(20000語)を無事書き終えることができたのが2023年9月です。こちらも、先生の丁寧な指導のおかげもあり、良い評価とともに無事修士号を取得することができました。

自分自身の変化とこれから

49歳、コロナのステイホーム中にチャレンジすることに決めたのが今回の修士課程です。SNSで同世代の女性がディスタンスラーニングで修士課程にチャレンジしているのを知って、「私にもできるかもしれない」と勇気をもらいました。約30年前に大学にいるころから興味があった修士課程なのですが、母親から勉強が好きなことをネガティブに言われ続けていたこともあり、「勉強をする自分」への評価は高くありませんでした。ですが、SNSを通して出会う素敵な女性達が私の小さな希望の積み重ねとなり、願書を出すところからスタートできました。

その時の私と、今の私では何が変わったのかというと、一番大きな変化は「勉強をする自分」をポジティブに捉えらるようになったことのような気がします。自分の持っているものをしっかり見つめて、それらを最大限に表現して良いのだ、という感覚です。

そして、静かな自然の中を歩きながら頭の中で思考の旅をする楽しみを知りました。読んだ文献や出会った人の言葉をきっかけに頭の中でバックパック旅行をしているような気分を味わえるようになりました。

このような機会に恵まれたことは本当に幸運があってのことだと社会正義を学んだ今、心から強く思います。少しでも社会に良い影響を与えられるよう、自分らしい方法をこれからも模索しながら、実践していきたいと思います。

★ 今後の活動拠点「女性社会研究所」
★ ポッドキャスト番組「私たちのソーシャルジャスティス」

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