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短編小説|事務所の看板猫

  とある繁華街。雑居ビルの一室で若い男が1人、床に倒れています。

「くぉらぁ、兄ちゃん。うちのシマでシャブなんぞ売り捌きやがって」

 そこは暴力団の事務所。連れ込まれた男は組員たちにタコ殴りにされ、動けなくなっています。

「こんなもんで済むと思うなよ。オヤジ、どうしてやりましょう」
「指を切り落とせ。二度とふざけた真似ができないようにな」

 組長の言葉に、組員は嬉々としてドスを手にします。すると男は声を振り絞りました。

「お願いです………指だけは勘弁してください………」
「なんだてめえ。そんなこと言えた立場かよ」
「お願いです………手芸ができなくなってしまいます………」
「売人のくせに手芸だあ?」

 事務所内に響き渡る組員たちの笑い声。しかし、組長は一切笑うことなく男に話しかけます。

「お前、何を作るんだ」
「ぬ、ぬいぐるみです………」
「何のぬいぐるみだ」
「色々作りますが………猫が得意です………」
「なんだと……」

 偶然にも、組長は猫が大好きでした。大好きなあまり背中に猫の入れ墨を彫っているほど。懐からスマホを取り出すと、男に1枚の写真を見せます。

「おい、この猫のぬいぐるみを作れるか」
「お時間いただければ……」
「わかった。お前ら、必要な材料を聞いて買ってこい」

 思い掛けない組長の言葉に、組員たちは動揺を隠せません。

「オヤジ、何言ってるんですか。落とし前をつけさせないと」
「うるせえ! 親の言うことが聞けねえのか!」

 獅子の咆哮のような怒号に場は静まり返ります。組員たちはしぶしぶ材料を聞き出すと、近くのユザワヤまで買い出しに向かいました。

 そのまま男は事務所に泊まり込み、ぬいぐるみの作成に取り掛かります。暴力団の事務所で売人が手芸に励む異様な光景に、組員たちは黙っているしかありません。それから何日も経ち、やっと出来上がったぬいぐるみを手にした組長は涙を流します。

「みーたん……みーたんが帰ってきた」

 ぬいぐるみのモデルは組長の愛猫でした。先日、老衰で亡くなったばかりです。今にも動き出しそうなほどの出来栄えに涙が止まりません。普段は人を喰い殺しそうな組長が泣く姿に、周囲は困惑するばかりです。

 その後、男は指を無くさずに済みました。みかじめ料をしっかりと収めることで売人を続けることを許されたのです。後ろ盾を得た彼のシャブに街は染まっていきます。

 一方で、ぬいぐるみは事務所の1番目立つところに置かれました。愛猫に見守られながら、組長は今日も欲望と暴力に満ちた任侠の世界を生き抜くのです。

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