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短編小説|復讐の炎を吐く女

「なあ、それってスティーグ・ラーソン? おっかないの読んでんなあ」

 誰かが近づいてくる気配は感じていたけれど、読んでいる本に食いつかれるとは思わなかった。顔を上げると見覚えのある男子。名前は浮かんでこないけれど、たしか同じクラスだったはず。

「その小説おもしろいよな。一級品の推理小説であると同時に過激なミソジニー要素が多くて、クソみたいな男ばっかりでてくるんだけど、大体そいつら悲惨な目に合うからスッキリする。なんでこんな校舎の裏でそんな本読んでんだ?」

 まだ読み始めたばかりなのに、さらっとネタバレされた気がする。こいつ、確かどっかの体育会系の部の有望株だった気がするけれど、本なんて読むのか。というか、私がどこでどんな本を読もうがあんたには関係ないでしょう。静かに読書したいだけなんだから、放っておいてほしい。

「ごめんごめん。実は俺、いまお腹が痛くてさ。結構やばいの。それなのにトイレの個室が全部埋まっちゃってて。ここなら誰もいないだろうから、しちゃおうかと思って来たんだけどさ」

 なんだこいつ。女子に向かって何言ってんだ。最低だ。私の聖域を汚すな。すぐ近くに体育館があるのだから、そこのトイレを使え。

「確かにそうじゃん、盲点だったわ。けど、ごめんな。今しゃべっている内に限界が来ちゃったわ。そこに辿り着くまでもうもたないと思う」

 私は本を閉じて立ち上がり、急いでその場を去ることにする。これからの昼休み、どこで時間を潰そう。1人になれる静かな場所なんてそうないのに、この学校で私の唯一の居場所は今からこいつの糞便で汚されてしまう。泣きそうになるのを必死にこらえながら歩いていると、後ろから呼び止められた。

 「ああ、ちょっと待って。なんか紙持ってない?」

 私は読んでいた本を投げつけると、泣きながら走って教室にもどった。


 翌日の昼休み。机に突っ伏していたら肩を叩かれた。あいつだ。

「昨日はごめんな。けど助かったよ。これ、買ってきたから」

 渡されたのは昨日読んでいた本。けど、もう読む気にはならないし、これは下巻で私が読んでいたのは上巻。どうしてそこを間違える。というか、よくも私に話し掛けられるな。これ見よがしに大きなため息をついて本を机にしまっても、こいつはまだ私の席から離れない。

「なあ。そのシリーズ、途中で作者が死んじゃったから未完だったのに、違う作家が続編を引き継いで刊行が続いてるのよ。それがあんまりおもしろくなくてさあ」

 それなら読むのを止めて正解かもしれない。どのみち良い気分にはならなそう。

「でも、途中まではマジで名作だから。和訳も上手で読みやすいし。俺も飯食った後で昨日の場所行くから、もうちょっと本のこと話そうぜ」

 どうしてあんたが昨日糞をした場所に今日も行くことが前提なんだと突っ込もうとしたのに、話し終えるとさっさと私の席から去ってしまった。昨日から腹が立ってしょうがない。いっぱつガツンと言ってやろうか。それとも、読後にとてつもなく胸糞の悪くなる小説でも読ませてやろうか。おそろしく馬鹿っぽいから、勧めたらすぐに読みそう。結局、他にやることも居場所も無い私は今日も校舎裏に行くことにした。

 しかしこの日、私が校舎裏に辿り着くことはなかった。向かっている途中、私が手にしていた本に気付いた教師に呼び止められ、職員室へと連行されてしまった。

「君がいま持っている本の上巻が昨日校舎裏で、悲惨というか、無残というか、とても汚い状態で捨てられていたのだけれど、何か知ってる?」

 同情と悲しみの入り混じった教師の視線に私は言葉が詰まってしまう。なぜあいつは片付けなかったのか。これは罠なのか。どうしてこんな目にあっているのか。今にもこぼれ落ちそうな涙を必死にこらえながら、私は名前も知らない男子への復讐を固く心に誓ったのだった。



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