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たまたま行き会った大人として

区役所に行った帰り、バス停で列に並んでいた。
目の前には小学生とおぼしき制服姿の男の子と、彼の近親者と思しき壮年の女性が立っていた。
男の子は時刻表やベンチや植え込みをいじって時間を潰していた。
時々連れの女性に向かってなにか言うが、女性は特に返事をしないようだった。
バスが来る直前、「まもなくバスが到着します」という案内が電光掲示板に流れた。それを見て、男の子は一層嬉しそうにジタバタし始めた。
するとそれまで静かだった女性が突然声を荒げた。
「じっとしなさい!バスが来て轢かれるよ!あんたなんかペチャンコだよ!」
あんまりの剣幕に驚いてふたりのほうに目をやると、女性は男の子の腕を掴んで、
「いい?2年生にもなっておもらしなんて恥ずかしいよね?バス嬉しくてまたおもらしするの?ねえ?」
と言い募っていた。
男の子が悲しそうな声で小さく、
「おもらしって言わないで」
と抵抗する。
女性はわたしに背を向けていたが、その正面に立って腕を掴まれている男の子とわたしは目が合った。
「言わなくてもお前がおもらしするのは本当だろ?」
「言わないで…」

「あの、なにかお困りですか?」
その様子があんまり酷かったので、思わず声をかけてしまった。

真後ろからいきなり声をかけられてよほどびっくりしたのか、女性は飛び上がって振り返った。
わたしはすぐ後ろに並んでいたし、わたしの後ろにも長い列ができていているのだけど、彼女はそれに今気がついたような顔をしていた。

「なにもありません。お宅に関係もありません」
女性は胡散臭そうな顔でわたしを見てそう言うと、すぐまた背中を向けた。
ほぼ想定通りの反応だった。

「そうですか…」
恥ずかしながら、それ以上なにも言うことはできなかった。

大きな声で子どもが嫌がってる(それも生理現象と羞恥心にかかわる)ことを言わないほうがいいですよ、などと言うべきだっただろうか。
お子さんのことで心配事があれば、●●に相談するといいですよとか。

でも、相談機関の連絡先なんてパッと浮かばなかったし、まったく無関係の赤の他人が「そんなことをするな」と言ったところで効果があるとも思えない。悪くすれば無意味な喧嘩に発展するかもしれないし、最悪の場合、他人から口出しされたことによる憤懣が子どもに向かいかねない。

ただ、その後女性は男の子におもらしの話はしなくなったので、それだけはよかった。
直後に来たバスで、たまたま座った座席も彼女らの真後ろだったのでそっと観察していたけど、それ以降ふたりは特に会話もしないままわたしのふたつ前の停留所で降りていった。


わたしは子どもを産んだことも育てたこともないので、その苦労がいかほどのものか知らない。
子育てが一筋縄でいかないことも、なんとなく知っている程度だ。
でも、どんな事情があれど子どもの自尊心を辱める行為が間違っているということは分かる。
屈辱を与えたところで子どもの排尿がコントロールできるようにはならないということも分かる。

小さな子どもが大人から頭ごなしに威嚇される様子を目の当たりにするのは本当に悲しいことだ。

ああいう時、一体どうするのがそばにいる大人として正解なのだろう。
わたしはできれば子どもには怖い思いをしてほしくないし、大人が子どもを傷つけるような行為は断固止めたい。

他人ができることなどあるんだろうか。


では、また。

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