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全国学生行動連絡会で取り組んでいくこと


はじめに

東北大学の檜田です。このたび私が代表を務めることになった全国学生行動連絡会において、どのようなトピックについて取り組んでいくのかを紹介します。できれば、先にこちらの記事を読んでください。

全国学生行動連絡会では、個人の問題意識やひとつひとつの現場の問題から活動に取り組んでいくので、必ずしも以下で書くことに縛られるわけではありません。それでも、学生運動の組織として、特に強く意識を共有して取り組むトピックについて、以下で説明します。

学内規制を突破し、自由な言論活動のできる大学を取り戻す

 現在、多くの大学では学生運動以前に、表現規制によって政治的主張をおこなうことができない状態にある。大学は社会に開かれたものであるべきであり、表現の自由が特に重視されなければならない場所である。しかし、現在の大学は、政治的な主張を伝達するための手段がきわめて制限されている。
 学生が自分の主張したいことを臆することなく堂々と主張できる、公共空間としてのあるべき姿を学生の手に取り戻そう。ビラや立て看板が当たり前にあるキャンパスを取り戻すことの意義は、政治運動の手段が確保されていることに留まらない。キャンパスで学生が政治的なことを話題とすることを憚ってしまうような文化そのものを変えていく契機になるはずである。

学生自治と権利要求運動を拡大し、学生の権利を勝ち取る

 学生は、代表者を立て、自分たちの必要のために大学当局と交渉することのできる主体であるはずである、しかし、大半の大学では、学生は教育サービスを受ける消費者として管理の対象となっており、対話と交渉をする対等な主体として認められていない。学生のことは学生によって決めることができるべきであり、学生の権利のために交渉力のある学生自治組織の建設を目指す。
 ただ、注意すべきは、学生自治組織の要点は当局との対話のチャネルとしての存在ではなく、その存在意義を常に見つめ直す内省的な構造にある。チャネルとして設計・運営された学生自治組織はその本来的な目的の喪失のために「御用自治会」化=「生徒会」化の恐れが大きい。
 一方、学生自治の意義を軸に据えた組織設計は、キャンパス・カリキュラム設計に学生が主体的に関わるものだというという主体意識を醸成することを可能にするうえ、学内民主主義の建設に寄与するところとなる。
 また学生自治組織の存在は、現在の画一的な大学運営のなかで排除されやすいマイノリティの権利を守るものとして機能する。大学当局による「調査」から零れ落ちる存在を取りこぼさないことは学生自治の使命であるのと同時に、新自由主義的なキャンパス・カリキュラム設計に対して抗するための一つの希望として機能する。

大学への競争原理の導入を許さず、学問の自由を守り抜く

 大学への競争原理の導入によって、学問の自由が危機に晒されている。とりわけ学生にとって大きな影響を及ぼすのは、「選択と集中」「学費・奨学金」「学生自治寮」の問題である。

・選択と集中
 選択と集中政策によって、研究環境の基盤は破壊されてきた。研究資金の配分によって多様な学問の継承が危うくなり、研究者が資金獲得のために疲弊している。若手研究者のポストも任期付きのものが多くなり、不安的な生活を強いられ、長期的な研究ビジョンを描けなくなっている。その結果として、短期的な成果を求めた研究が増加したり、基礎研究や文系研究が軽んじられる中で日本の研究力は下がり続けている。
 選択と集中路線の失敗については私たちが焦点化していくまでもなく、広くその失敗が言われているが、政府は反省の色を示さないどころか、国際卓越研究大学制度などさらにこの路線を強化しようとしている。学生が研究するための環境を守るために、選択と集中路線を廃すための運動を形成していく。

・学費奨学金
 日本政府は国際人権規約の「高等教育無償化への漸進」につけていた留保を2012年に撤廃した。にもかかわらず、その取り組みは人権規約の理念を反映しているとは言い難い。唯一給付奨学金が拡充されたが、「家庭」の経済条件でしか判断されず、給付のための条件も厳しい。学生が自由に高等教育を受けるための高等教育の無償化は不可欠である。経済的条件によって高等教育への道が閉ざされることがある状況は学問の自由が保障されているとは言えず、学問の自由と高等教育の機会均等を求める団体として学費の無償化を訴えていく。
 また、学生ではないが奨学金返済に苦しめられている奨学金負債者とも連携し、学費問題を焦点化していく。借金を背負った状態で、より弱い立場の労働者として働くことを求めらる奨学金は、労働問題の一種としても捉えられる。あるいは、社会の再生産のために社会が払うべきコストが個人に押しつけられているというのは、家事労働の問題とも構造を同じにする。
 学費の問題は、私たちの切実な要求であるとともに、ほかの社会問題と交差する問題として広く連携をつくっていきたい。

・学生自治寮
 競争原理の導入によって、露骨に学生の権利が縮小される例として、学生自治寮への廃寮化攻撃が挙げられる。物価高などによって安価な学生自治寮がますます必要とされている一方で、金沢大学泉学寮が地域や学生の声を無視して廃寮が強行され、現在残る寮の多くも大学当局によって厳しいネガティブキャンペーンなどに晒されている。大学設置基準においても学生寮の設置は必須項目から外されてしまったし、近年建築された学生自治寮は民間業者が管理に関わる高額の寄宿料を要求するものばかりである。高等教育の無償化が実現していない現状で、学生自治寮は教育の機会均等を保障するための施設としても、困窮学生のセーフティーネットとしても、必ず守り抜かなければならないものである。

法人化以降の大学改革を許さず、大学の自治を取り戻す

 戦後の大学では、戦争協力と学問への弾圧の歴史への反省から、学問の自由を守るために大学自治が特に重視されてきた。しかし、大学の自治は切り崩され、学内の民主主義は危機に瀕している。運営交付金の削減と国立大学の法人化によって、大学の基盤は切り崩され、研究・教育をおこなうための最低限の物質的基盤すら危うくなっている。
 近年の大学改革では、とりわけガバナンス改革と国際卓越研究大学制度を問題視しなければならない。ガバナンス改革によって、戦時下の学問への弾圧の歴史を顧みず、大学が政府の意向に即応できるトップダウン型の組織へと転換しつつある。政府の意向が大学運営に強く反映され、大学の自治が形骸化してしまうのみならず、強力な総長権限によって学生の利益などまるで眼中にない大学の「私物化」が起こってしまっている。また、学長選挙の形骸化やそもそも選挙すらおこなわれない大学もあり、学内民主主義が危機に瀕している。学生自治運動とともに、学内の民主主義を取り戻そう!
 国際卓越研究大学制度で強調された「稼げる大学」は、「産学連携」からさらにすすんで「産学融合」を打ち出しており、大学に年間3%の事業成長すら求められている。ここで文系や基礎科学などの分野の研究はいっそう存続が厳しくなる。
 このような状況下で、大学での研究教育は必然的に歪められる危険性があり、学問の自由の観点から強く反対をしていかなければならない。

キャンパスと街頭をつらぬく反戦運動に取り組む

 大学改革で作られるようなトップダウン的な組織改編や、横行する民主主義的手続きの無視は、戦争の問題と切り離しては語れない。過去の戦争への反省から守られてきた大学の自治が切り崩され、社会全体でもまた同じような現象が同時に進行している。これは人々から国家権力に抗う力を奪い取るものであり、国家権力のむきだしの暴力性の極限としてある戦争の危機をいっそう高める。私たちは平和な社会を希求し、搾取や抑圧、権力の横暴に抵抗する組織として、大学と社会の問題を戦争反対で貫いて行動する。

反差別・反植民地主義を貫く

 私たちは差別問題や植民地主義の問題にも取り組むが、それは私たちが単に差別や抑圧に抵抗する組織として自己規定しているからだけではなく、学生の権利団体としても立ちあがる必要がある。
 学問は人類全体の利益のためにおこなわれなければならないのであって、一部の国民国家や集団のものとなってはならず、ましてや抑圧の道具となってはならない。学問が帝国主義による侵略戦争や植民地支配、ナショナリズムの増幅、差別構造の維持の強力な手段として機能してきた歴史を踏まえ、こうした学問のあり方とは決別する。私たちは学問をする者として、自分たちが取り組む学問が及ぼす影響に自覚的になるとともに、差別や抑圧の解消に取り組む。

・排外主義
学問教育における歴史修正主義や外国籍/ミックスルーツの人々へのヘイトが高まっている。私たちはこうした排外主義と対抗し、入管問題を中心にあらゆる人々が排除されない社会を目指す。留学生・外国人学生とともに国際連帯でたたかっていく。

・ジェンダー
 国公立大学の男女比は極端な男性中心に偏っており、私たちはこの構造によって抑圧される学生をなくすべく行動する。また、女子枠設置をきっかけに女性差別の言説が広がっており、このような言説に対しても抵抗する。
 大学のシステム内における性別や通名についての差別的取り扱いを撤廃を目指し、セーファースペースの確保などとともにセクシャルマイノリティ当事者が安心して学べるキャンパスを作っていく。

・沖縄基地問題
 私たちは沖縄問題にも取り組んでいく。沖縄は「琉球処分」という名の併合以来、一貫して本土のために犠牲を強いられてきた。基地負担の軽減という沖縄の訴えは常に本土の強権的な政治によって封殺されてきた。70%の米軍基地が本土に集中しているという現実を共有し、沖縄の声を取り戻す運動に連帯していく。
 また、本土の反基地運動が結果として沖縄の基地負担を増加させたように、日本の植民地主義についての意識をもたなければ、運動が思わぬ弊害をもたらすことにもなる。

・パレスチナ問題
 いま大きな問題として共有されているパレスチナ問題についても、私たちは問題に加担している当事者の一部としてパレスチナ解放の運動に取り組んでいく。日本政府がアメリカに追従して、イスラエルによる植民地主義、アパルトヘイト体制を補強していることを弾劾していくとともに、各大学のイスラエルとの協定などを問題化していく。

アイヌ遺骨や軍事研究など、戦前の大学が協力してきた日本の帝国主義支配と侵略を忘れず、大学がふたたびそのようなものとならないように努力する。

学生処分・不当弾圧を許さず、必ず救援活動に取り組む

・不当弾圧
 学生運動をおこなうなかで、警察権力による不当な拘束や捜索のリスクは常につきまとう。私たちは仲間をひとりも逮捕させないことを目指しつつ、仲間が逮捕された際にはその救援に全力を注ぎ、個人と運動の両方を守っていかねばならない。
 学生運動に対する逮捕弾圧は、運動からの脱落を狙ったものであり、日本での逮捕は23日間の代用監獄と一体であるから、被逮捕者は相当な不安と苦痛を感じることとなる。また、人によっては親族や友人との関係を大きく損なうことも考えられる。被逮捕者についてすぐに救援会を結成して支援と奪還に向けた取り組みを貫徹することは、活動へ参加している人に対しての責任を果たすということでもあり、組織性が持つメリットかつ重要な役割だ。弾圧に負けることのない運動をつくりだす。

・学生処分
 学生処分が運動をしていく中で最大の壁になる。学生処分が進路決定を始めとした人生を大きく左右するものになるという点において、人権侵害の攻撃であり、許してはいけない。主に処分理由は恣意的なものである。行動の善し悪しではなく、運動をいかに破壊するかという目線で行われてきたということを確認したい。
 また、処分は学生個人にかかるものであるが、運動潰しの文脈でもあり大きな恐怖が伴うから、個人の枠を超えて対処する必要がある。処分される/されないのラインは現場の力関係による部分もある。処分に対峙できる力関係をつくるための、運動の拡大が求められていく。
 現実に学生処分があり、それを実力によって止めつつある京大の運動に連帯しつつ、処分のない運動を形成していく。

 もし、私たちとともに活動する人で弾圧や処分を受けたものがいた場合は、必ずその救援活動に組織的に取り組むことを確約する。

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